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栃木市大町、鬼瓦見て歩き [歩く]

今回の鬼瓦見て歩きは、栃木市大町(だいちょう)を回ってみました。
町名にふりがなを付記しましたが、地元の人は当たり前に読める地名・町名も、他所から来られた方などは、何と読むのか分からないものです。この町名も時々「おおまち公民館」はどこに有りますかと尋ねられて、こちらが頭を傾げてしまう事も有ります。
この町は、国の「重要建造物群保存地区」の選定を受けている嘉右衛門町の北隣に位置し、街の中心を「旧日光例幣使街道」が縦貫しており、その街道筋を中心に発展してきた町で、現在も街道沿いには土蔵造りや石蔵などを見る事が出来ます。
まず、国登録有形文化財に指定されている「大島肥料店店舗」を見に行きます。
建物の前に栃木市教育委員会が記した建物の説明板が建てられています。
大島肥料店1.jpg大島肥料店2.jpg
(国登録有形文化財と成っている、大島肥料店の見世蔵)(店舗前に建つ説明板)
街道に面した見世蔵(店舗)部分は修復工事が行われ、屋根の瓦も葺きかえられて、新しくなっています。
鬼瓦には家紋や屋号紋は付いていませんでした。明治40年10月1日に発行された「栃木県営業便覧」を見ると、栃木町の大丁に「各種肥料 食塩石油商 大嶋元平」の名前が見えます。そこに縦長の二等辺三角形の中央部に横棒を一本付けた屋号紋が記されています。その屋号紋を探して見ると、下屋部両サイドの降り棟の庇の先まで降りた先端部の軒丸瓦に付いていました。又、見世蔵の裏手に建つ土蔵の鬼瓦や棟巴などにも同様の屋号紋が確認出来ました。
大島肥料店4.jpg大島肥料店3.jpg
(大島肥料店の屋号紋が付けられた「棟巴」や「鬼瓦」)
先の「栃木県営業便覧」の中に、この屋号紋を使う別の店舗が万町の現在の「とちぎ山車会館」近く有った、海陸産肥料商の店舗に認められました。

大島肥料店前から例幣使街道を北方向に歩いて行くと、道路の先に立派な見世蔵が現れます。営業便覧に記されている「醤油製造 猪瀬辨藏」さんの見世蔵ですが、屋号紋は記されていません。この見世蔵は置屋根形式と言うもので、栃木の大通り周辺には見られない形という事です。残念ながら鬼が有らに屋号紋は確認できませんでした。
この猪瀬邸の前で、道路は分岐しています。分岐点に「日光例幣使街道」と刻した道標が建てられて、右方向「日光道」、左方向「足尾道」と記されています。
猪瀬家1.jpg猪瀬家21.jpg
(例幣使街道突き当りに建つ猪瀬家の見世蔵)      (分岐点に建つ道標)

分岐の手前左手に「大町郵便局」その向かい、道路の右手(東側)に立派な土蔵が有り、鬼瓦に「ヤマガタに大」の屋号紋」が付いていました。
大出邸1.jpg大出邸2.jpg
(鬼瓦に「ヤマガタに大」の屋号紋を付けた土蔵)
更に分岐の手前に小さい交差点が有ります。東に折れると、「大町公民館」の建つ大杉神社前に出ます。先の営業便覧には、その交差点から西に向かう道には「箱森道中」と記されていますが、この道路を入った裏通りに立派な石蔵や土蔵が建っています。それらの屋根の鬼瓦には「ヤマガタに本」の屋号紋が確認出来ます。この屋号紋、営業便覧にも記載されている「油製造米穀商」のものです。
橋本油店1.jpg橋本油店2.jpg
(裏通りに面して建つ石蔵やその東側に建つ土蔵の鬼瓦に見る「ヤマガタに本」の屋号紋)
又、例幣使街道の西側の裏通りを歩いていると、街道に面した店舗の裏手に建つ土蔵や石蔵を見る事が出来ます。
川島邸1.jpg川島邸2.jpg
(裏通りに面した立派な石蔵の鬼瓦に付けられた、「カネジャクにト」の屋号紋)

他に大町地内を巡り、確認出来た屋号紋等を付けた鬼瓦を以下に紹介いたします。
大塚邸1.jpg早乙女邸1.jpg


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