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北陸のマンホールカードを求めて富山県へ③ [コレクション]

富山県のマンホールカード収集の旅も、最終日に成ります。
昨日までの2日間で収集したカードは、8枚です。現在富山県下で配布されているカードは、15枚ですから、今回全部は収集できません。せめて富山市の7枚はゲットしたいので、残る3枚を集めて帰路に着きたい。
収集のコツで最初は遠方からと言う事で、まず越中八尾駅へ向かう。ホテルをチェックアウトして、富山駅へ、今のところ曇の天候。駅のコインロッカーに旅行カバンを預けて、高山本線の列車に乗る。
平日の為車両は高校生が多く、混雑している。
高山本線列車.jpg越中八尾駅.jpg

越中八尾駅に到着したのは、8時頃でした。ここのカード配布場所は「越中八尾観光会館」。配布開始は9時からと言う事で、駅から目的地まで街の中を散策していきます。
八尾町は、毎年9月1日から3日にかけて行われる、「おわら風の盆」が有名で、私も一度来てみたいと考えている所です。駅の待合室に、大きな観光ポスターが何枚も掲示されていました。
風の盆のポスター1.jpg風の盆のポスター2.jpg

富山市八尾町は、富山市の南の端に位置し、南隣の岐阜県と県境を成しています。八尾町は街の中央部を貫流する「井田川」の川に沿って開けた町の様で、国土地理院の地形図を見ると、東西と南の三方を山に囲まれ、唯一北側だけが開けた所で、「井田川」は富山市の中心部「富山城址公園」の西方辺りで、同じように富山県中央部を南から北に貫流して、富山湾に注ぐ「神通川」の左岸に合流する神通川の支流です。

駅の待合室に置いてあった、「坂のまち八尾散策マップ」が頼りです。
駅前の通りを左方向に進んでいくと、早速「井田川」に架かる「坂のまち大橋」に出ました。
橋の名前も「坂のまち」を冠に付けています。橋の形状は「斜張橋」で、親柱には編笠を被って、「おわら」を踊る女性の姿が彫られています。親柱のデザインもどのようなモチーフで出来たものか興味が湧いてきます。橋桁に取り付けられた橋の銘板を見ると、「2007年6月」と有り、比較的新しく架けられた橋の様です。
坂のまち大橋.jpg坂のまち大橋親柱.jpg

この橋の上からが、上流側を眺めるビューポイントと先ほどの散策マップに記されています。
見ると、井田川の右岸の街並みの後方には標高200から300メートルの山並みが連なり、山と川とに挟まれた高台に、街が開けている様子が伺えます。
坂のまち大橋からの眺め.jpg
橋の直ぐ上流部右岸(左端)に合流する川が有ります。「久婦須川」で、架かる橋は「新久婦須橋」、その奥(写真中央)にも同じく右岸に合流する川が見えます。「別荘川」です。見える橋は「天満橋」です。その先の井田川に架かる橋が「十三石橋」です。橋好きの私にとっては、とても魅力的な場所です。
が、のんびり見ていたら、雨が降ってきてしまいました。

井田川を渡って、「久婦須川」に架かる「新久婦須橋」とその上流に架かる「久婦須橋」を写真に収め、更にその先の「別荘川」に架かっている「天満橋」へ。
新久婦須橋.jpg久婦須橋の高欄装飾.jpg
久婦須橋の高欄には、おわらの踊り子の装飾が施されています。

「天満橋」の上から別荘川上流側を望むと、二つのコンクリートアーチを持った橋が架かっているのが見えます。「眼鏡橋」という橋名が付けられています。橋の袂に回り込んでいきます。
天満橋の親柱と高欄.jpg眼鏡橋1.jpg
(井田川右岸に沿った、「十三石橋」の橋詰めから「坂のまち大橋」の橋詰間の道路は平成時代に新しく通った道路で、以前は「眼鏡橋」から「久婦須橋」を通るルートを通っていた様です。「天満橋」の竣工は2010年3月と記されています。ちなみに橋名の「天満橋」は、近くに鎮座している「天満宮」からと思われます。)
天満宮に参拝をして、眼鏡橋の袂に。
眼鏡橋2.jpg眼鏡橋3.jpg
この眼鏡橋は、ウィキペディアにて検索すると、<1893年(明治26年)に、富山県最初の永久橋として単径間の無筋コンクリート橋として架橋された。1914年(大正3年)8月13日、台風に伴う豪雨で発生した洪水により下部工のコンクリートアーチを残し流失。その後1916年(大正5年)に明治の橋の遺残物を利用しつつ、右岸側に1径間延長し2径間コンクリートアーチ橋となる。1954年(昭和29年)には下流側に単径間の鋼板桁を架設して3m拡幅された。>複合橋だと分かりました。
橋詰のバス停には、おわらを踊る男女の姿が描かれています。八尾町では、ここかしこに「おわら」が描かれています。まさに「おわら」一色の街並みの様です。それではいよいよ、その八尾地区の中心部に足を踏み入れたいと思います。

確かに八尾は坂のまちです。それでもそれほど苦になるほどの坂では無いので、息も上がらない。
しばらく歩いて行くと、道路左手の石段の上に、鐘楼と大きな伽藍の寺院が現れる。
下新町あたり.jpg聞名寺1.jpg
聞名寺2.jpg
「聞名寺」は浄土真宗本願寺派の寺院。その歴史をお寺のホームページに求めると、<聞名寺がはじめて越中に入ったのは応仁二年(1468)、本格的に拠点を移したのは大永四年(1524)であったと伝えます。八尾南部の山間地(乗峰や倉ヶ谷など)を経て、福島の台地に一旦寺域を構えましたが、越後上杉勢の来襲に備え、天文二十年(1551)、三方を崖に囲まれた旧い砦の址、「八尾前山」(現在地)に移りました。その後寛永十三年(1636)境内に八尾町建てがなされ、当寺は町そのものの母胎として今日に至っています。>と、記されています。

「風の盆」の碑.jpg「風の盆」の碑の心組み.jpg
聞名寺の境内に建てられた「風の盆」の碑。
境内には枝垂れ桜もあり、花を咲かせた頃を思い描くと、またその時期にも訪れたくもなります。

通り沿いに「おわら資料館」の看板が現れました。中に入ると正面に等身大のパネルが、男女のおわらの踊り手とバックに、風の盆の行燈が道の両側に灯る石畳の道。
おわら資料館1.jpgおわら資料館2.jpg

受付のスタッフさんに案内されて、最初の映像展示室へ。約10分間の「おわら」の映像を大画面で堪能できます。それから資料展示室へ回り、数多くの歴史的な写真や資料などを見て廻りました。

「おわら風の盆」の事を少しかじって、資料館を後に八尾町の通りを散策します。石畳の諏訪本町通りに差し掛かると、八尾町は確かに「坂のまち」であることを、実感する風景がそこに有りました。
諏訪町本通り.jpg諏訪町本通り上から.jpg

街並みに気を取られて、ここまで歩いて来ましたが、時計はすでに10時を過ぎています。もう雨降る中を2時間もうろうろしていました。少し急いで目的地の「越中八尾観光会館」へ向かうことにします。

八尾曳山展示館1.jpg川崎順二像.jpg
「越中八尾観光会館」には、毎年5月3日に開催される「曳山祭」に曳き出される豪華絢爛な曳山を、3基展示する「曳山展示館」が併設されて、栃木市の人形山車を展示している山車会館同様、背の高い曳山を収納展示する為、背の高い大扉が、建物を象徴しています。
開館前には、多くの石碑や銅像が建てられています。
医学博士「川崎順二」は、越中八尾おわら保存会初代会長となった人物で、顕彰碑の碑文「事績」冒頭を参照させて頂くと。
<大正十一年春、好者のみで伝えられてきた郷土民謡越中おわら節を永遠の文化として次代にのこさんがため、町内同志と諮りおわら研究会を結成、昭和四年に越中おわら保存会と発展的改称をなし、以来三十余年に富山県民謡おわら保存会と改称するもその会長として中心的役割を医師という多忙な日を割き、あるときは私財を投じて尽力してきた。・・・・(後略)>

そんな超有名となった「越中八尾おわら風の盆」だけでなく、八尾の町には、豪華絢爛な6基の曳山が有ることを、PRする会館の中を見学します。
入口の受付にて、本日一枚目のマンホールカードを受け取り、まずは映像で曳山祭りの情報を、映像を見て楽しく理解することが出来ました。
続いて館内を見学、いろいろな情報を得ることが出来ました。
曳山展示館内1.jpg曳山展示館内2.jpg
豪華絢爛な曳山.jpg豪華絢爛な曳山の装飾.jpg
曳山は全体に彫刻が施され、動く陽明門の様に感じられます。
この曳山が、あの八尾の石畳の坂を進む姿、狭い路地を曲がる迫力を、是非実際に見てみたいと思いました。
帰りの列車の時間が心配になってきました。幸い帰りは下り坂です。

富山駅に戻り、残り2枚のカードも無事に入手出来ました。
富山市7.jpg富山市6.jpg富山市3.jpg

今回、富山県を訪れて、多くの情報に触れて、是非又、富山県を訪れたいと感じました。
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北陸のマンホールカードを求めて富山県へ② [コレクション]

富山県二日目は、冷たい雨の朝となりました。時折白いものも混じっています。
今日は、なるたけ外を歩かなくて済む、マンホールカード配布所を廻ることにします。
傘をさして富山駅に向かう途中、駅南口前広場の一角で、越中富山の薬売りの像が、目に留まりました。
越中富山の薬売りの像1.jpg越中富山の薬売りの像2.jpg
椅子に座り、柳行李を開けて、顧客伝票を確認しているのか、傍に貰った紙風船を膨らまして遊ぶ少女が立つ。そしてもうひと組み、柳行李を背負い次の顧客の家へと向かう薬売りと、手を振って見送る子供の像。
私の子供の頃の記憶にも残っています。置いていった紙風船を膨らまして、ポンポンと手のひらで突き上げて遊んだ事を思い出します。

富山市内は、市内電車が有効な交通手段になるので、1日フリーきっぷを買うことにしました。
富山市は、市内で7種類のマンホールカードを発行しています。これは最も多く発行している、岐阜県高山市の8種類に次いで、2番目に多い自治体で、愛知県岡崎市と同じ枚数です。次に多いところは5種類で、新潟県長岡市や村上市、大阪府の池田市、岡山県の倉敷市が続きます。

一般に平日の場合は、市役所の下水道課窓口等での配布の場合は、朝8時30分の仕事始めから配布していますが。観光案内所や道の駅などの観光施設で配布するところでは、9時とか10時の配布開始が多くなっています。カード収集のコツとして、朝一は少し遠距離の配布場所を攻略するようにしています。ので今回もまず、少し離れた小矢部市の駅の観光案内所に向かいました。

小矢部市のマンホールカードは2種類有りますが、1枚は富山駅から「あいの風とやま鉄道」で金沢方面の列車で「石動駅」で降り、駅構内に有る観光案内所で、雨に濡れることなく入手出来ます。
もう1枚は、「石動駅」から歩いて往復1時間以上かかるので、今回は断念しました。
10時からの配布開始に合わせて、10時18分着の列車で向かいました。天候は途中から雨から雪に変わってきました。

2日目最初のマンホールカードを、石動駅の駅舎内「石動駅観光案内所」にて無事入手。
小矢部市2.jpg
すぐにホームに戻り富山方面に戻る列車の到着を待ちます。この駅で驚いたのは駅の名前の事です。「石動」の読み方です。私は普通に「いしどう」と呼んでいましたが、全く違っていたのです。ホームに建つ駅名表示は「いするぎ」と表示されています。
「石動」と言う漢字からは、どうしても私には「いするぎ」と言う読み方は出てきません。手元の「広辞苑」や「漢字源」を調べても出てきません。日本語の地名や人名の難しさを改めて知らされました。
雪の石動駅.jpg石動駅銘板.jpg
(雪の中の「石動駅」とホームに建つ「駅名表示板」)

富山駅に戻ると直ぐに、市内電車を利用して、富山市内で配布しているカードの収集を開始しました。
富山駅内の市内電車発着所.jpg市内電車.jpg

富山駅舎内の市内電車発着所には、次々と車両が入ってきては出ていきます。行先をよく確認して目的の電車を間違えないよう乗り込みます。
岩瀬浜行で終点の「岩瀬浜駅」で降り。近くの「岩瀬カナル会館」にて2枚目を受け取り、折り返し運転の為、待機している電車に飛び乗ります。
富山市5.jpg
順調に回って、「富山市民プラザ」・「TOYAMAキラリ」・「富山市まちなか観光案内所」の各配布場所でカードをゲット出来ました。
富山市4.jpg富山市1.jpg富山市2.jpg
「富山市ガラス美術館」では、常設展の見学をしました。
富山市ガラス美術館の外観.jpg富山市ガラス美術館の内観.jpg
「TOYAMAキラリ」は富山市立図書館本館・富山市ガラス美術館・富山第一銀行本店が入る複合施設で、建物内部は斜めの大きな吹き抜けに、多くの木材が使われ、森の中にいるイメージ。設計は隈研吾建築都市設計事務所。
6階常設展示展1.jpg6階常設展示展2.jpg
ガラス美術館6階の常設展示フロアーは写真撮影が出来たので、鮮やかな作品をカメラに収めました。4階に展示されていた作品の1点1点が、見事で感動モノでした。人間の創造力の素晴らしさを感じました。写真に撮れないので、脳裏に焼き付けてきました。

雨の中でしたが、富山城址公園の中も散策、「富山市郷土博物館」を見学しました。
富山市郷土博物館.jpg千歳御門.jpg
昭和29年(1954)戦災復興事業の一環で建設された「富山城天守閣」。現在郷土博物館として、富山城の歴史を紹介しています。平成16年に国の登録文化財に成っています。「千歳御門」は富山藩十代藩主前田利保が隠居所として造営した千歳御殿の正面で、嘉永二年(1849)に建築されました。市指定文化財に成っています。富山城で唯一現存する創建当初の建造物に成ります。
富山城址公園の景雲橋.jpg富山藩第二代藩主前田正甫像.jpg
擬宝珠を載せた朱塗りの橋は、城址公園内の池に架けられた「雲景橋」です。私が行ったときは先の震災に被災したためか、通行禁止に成っていました。そのほかあちらこちら被災した影響で、通行止めとなっている箇所が見られました。橋の近くに建つ銅像は、富山藩第二代藩主「前田正甫公像」です。昭和29年(1954)に建てられました。高さは台石部を含めて、約10mにもなります。
富山城址公園の山茶花.jpg富山城址公園の梅.jpg
公園内には、山茶花や梅の花が咲いていました。

まだ、富山市内のカード3枚を残していますが、今日は時間切れで、ホテルの戻ります。
部屋に戻って、明日最終日の計画を練ることに。

今回の参考資料:
.・富山市ガラス美術館リーフレット
・富山市郷土博物館リーフレット
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北陸のマンホールカードを求めて富山県へ① [コレクション]

私のコレクションのひとつに、マンホールカードの収集が有りますが、今回は富山県に向かいました。合わせてその地域の観光も楽しみです。
これまでに私が収集した、マンホールカードの枚数は、今回300枚を超えました。
コレクションを始めたきっかけは、栃木県内で最初に発行された「足利市」のカード入手でした。
足利市のカードの発行は早く、今から8年前、2016年4月に第一弾が発行されたその年8月、第二弾で配布が開始されています。
私はそれ以前から、県内各自治体が設置している、ご当地マンホール蓋のデザインに興味を持ち、写真を撮り歩いていました。ですから、この「マンホールカード」の収集は、当然の様に興味を持ったのです。
当初は栃木県内とその周辺、群馬県や茨城県・埼玉県の範囲でしたが、次第にその範囲を広げ、現在は北は北海道から南は九州鹿児島県までになりました。
現在、全国的に発行されているその種類は、昨年12月に発行された第21弾のマンホールカードまでで、ついに1,000種類に達しています。つくば市や北九州市で発行している英語版を合わせると、1,004種類に成ります。ただ、すでに一部のマンホールカードは配布を終了しているカードもあります。それでもこの「マンホールカード」は、これからも新しいカードが続々と発行予定になっておりますから、全てを収集することは不可能に近いです。
北九州市1英語版.jpg北九州市4(英語版).jpg
(北九州市が発行する英語版のカード3枚の内2枚)

昨年、山形県の12種類を完全取得しました。群馬県も一度100%取得しましたが、すぐ新しいカードが発行され現在は19種類のうち2種類が未入手に成っています。
酒田市.jpg桐生市2.jpg
(昨年収集した山形県酒田市と群馬県桐生市発行のマンホールカード)

北陸地方は新潟県は36種類中20種類を収集していますが、その他の県(富山・石川・福井)については、これ)まで1枚も収集できていませんでした。
昨年の夏に富山県への計画をしましたが頓挫して、今回改めて計画しました。
能登半島地震の事もあり、躊躇するところも有りましたが、思い切って出かけました。

北陸新幹線にて富山駅に、両毛線で高崎駅まで行き、そこで新幹線に乗り込みます。ただ、自由席ホームで待っていると、駅員さんが駆けずり回って「本日は大変混雑をしていて、全員乗り切れない可能性が有りますので、指定席車両等分散して乗車して下さい。」と叫んでいます。私は一番前で待っていたので、降りてくる人を待って列車に乗り込みましたが、空席が有りません。何とか三列席の真ん中に荷物を置いていた外国の方がいたので、声をかけて座ることが出来ました。富山駅到着後、荷物を駅のコインロッカーに、ところが意外やコインロッカーに空きが無い状態、運よく丁度一か所空いたので、身軽になって最初のマンホールカードを求めて、氷見市へ向かいました。
氷見市には富山駅から「あいの風とやま鉄道」で高岡駅へ、そこでJR氷見線に乗り換え、終点の氷見駅に。駅構内の観光案内所で配布している氷見市のマンホールカードを受け取りました。富山県最初の一枚です。
氷見市マンホールカード.jpg
(富山県で最初に入手した、氷見市のマンホールカード)
カードにデザインされている魚は、氷見市の高級ブランド「ひみ寒ぶり」、カード裏面にはマンホール蓋にデザインされた図柄の解説が記されています。

早速、氷見駅で折り返し運転となる、乗ってきた車両に飛び乗り次の目的地、道の駅「雨晴」に向かうことに。私の住む栃木市を走るJR両毛線も同じようですが、富山県のローカル線も昼前後は、1時間に1本有るか無いかと言う状況です。移動するタイミングをよく考えないと、観光も上手く出来ません。

次の目的地「雨晴」では、次の列車が来るまでの間、1時間40分でカードを入手して、昼食を取り、周辺観光を楽しみました。
雨晴駅.jpg道の駅「雨晴」.jpg
(雨晴駅のホームから高岡方面に向かう列車。大型客船のイメージの道の駅「雨晴」の建物。)

カードを配布している、道の駅「雨晴」は前を通る国道415号とJR氷見線の線路を挟んで、富山湾を望むことが出来ます。
高岡市1マンホールカード.jpg
(富山県で2枚目取得の「高岡市」のマンホールカード。)
図柄は、中央に「女岩」、右端に「義経岩」、後方に立山連峰が描かれています。

「雨晴」の読みは「あまはらし」ですが、最近もテレビのクイズ番組の「難読漢字」で出ていました。
ここ「雨晴海岸」は、能登半島国定公園に有り、天気が良い日には富山湾越しに、3,000メートル級の山々が連なる、立山連峰を望むことが出来る景勝地ですが、残念ながら私が行った日は曇っていてその景色を拝むことは出来ませんでした。それでも道の駅の展望席で「氷見うどん」を食べながら、目の前に広がる富山湾の景色を堪能できました。
雨晴海岸「女岩」.jpg
(雨晴海岸の名勝地「女岩」、晴れた日には後方に立山連峰が見える。)
万葉句碑と芭蕉句碑.jpg
(道の駅2階展望フロアーには、移設された万葉歌碑と芭蕉翁の句碑が有りました。)

次の目的地は二駅先の「伏木」です。ここでは次の列車が来るまで1時間44分有りますから、カード配布場所「勝興寺」までの間の周辺観光も楽しみました。
高岡市2マンホールカード.jpg
(勝興寺の受付で受け取った、3枚目のカード)
図柄は、勝興寺本堂と、その周りに万葉集の編者「大伴家持」が歌に詠んだ「カタクリ」の花。

勝興寺は浄土真宗本願寺派、「雲龍山」と号し、本尊は阿弥陀如来。
平成十年(1998)に本堂の保存修理に着手、令和二年(2020)までの23年を掛けて、重要文化財12棟全ての保存修理を行っています。その後、「本堂」と「大広間及び式台」の2棟が国宝に指定されています。
総門を入ると、正面に城郭を思わせる望楼形式の「鼓堂」。左手受付の先に、京都興正寺から移築された、檜皮葺の「唐門」
唐門.jpg鼓堂.jpg
(唐門と鼓堂)

濠に架かる石橋を渡り、唐門を抜けると、正面に国宝となった「本堂」の大伽藍が現れます。その右手奥には、同じく国宝の「大広間と式台」が有ります。
本堂.jpg大広間と式台.jpg
(本堂と大広間と式台)
<勝興寺の境内は、奈良時代の越中国庁跡と推定されるところで、万葉集を編纂した大伴家持が国守として5年間在任し、その間に詠まれた多くの和歌が今に残されています。>と、勝興寺で頂いたリーフレットに記されていました。
勝興寺総門の手前の参道脇に、総門を背に立つ「大伴家持卿」の像と、家持の歌碑が建てられています。
大伴家持の像.jpg勝興寺総門前方に建つ万葉歌碑.jpg

伏木の駅前から勝興寺総門まで、約300メートル。その中程に「高岡市伏木気象資料館」が有ります。この建物は「旧伏木測候所」で、庁舎は明治42年(1909)に建築されています。脇に建つ測風塔は昭和13年(1938)に建てられました。共に国の登録有形文化財です。
尚、敷地内には「越中國守館址」と刻まれた石碑も建てられています。碑陰には<天平勝宝二年(750)三月二日、越中国守大伴家持が館舎の朝の寝床ではるか射水川を漕ぎ歌う船人の声を聞いてよんだ歌。「朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唱ふ船人」>が刻まれています。(高岡市教育委員会の解説文を参照しました。)
旧伏木測候所.jpg越中国守館址の碑.jpg

本日予定の3枚のマンホールカードを無事入手して、今夜の宿泊地「富山」に戻りました。
宿泊したホテルには、おおぜいの外国人観光客の姿も有りました。

夕食後は近くの、「富岩運河環水公園」のイルミネーションを見に行ってきました。
富岩環水公園イルミネーション1.jpg富岩環水公園イルミネーション2.jpg

今回、参考にした資料:
・公益財団法人勝興寺文化財保存・活用事業団発行リーフレット「甦った大伽藍 国宝勝興寺」
・高岡市教育委員会文化財保護活用課発行リーフレット「高岡市伏木気象資料館」

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壬生町にてガンダムデザインのマンホールカードが配布開始 [コレクション]

先週末の1月28日土曜日より、栃木県壬生町のマンホールカード2種類目、ガンダムがデザインされたマンホールカードの、配布が始まりました。
マンホールカードの配布は2016年4月に、第1弾が配布されてから今回の配布は、第18弾に成ります。今回栃木県内では、壬生町とさくら市の2自治体より発行されています。昨年は発行されていませんので、約1年5ヶ月ぶりに成ります。
壬生町マンホールカード2.jpg壬生町おもちゃ博物館.jpg
(今回配布が開始された壬生町2種目のマンホールカードと配布場所の壬生町おもちゃ博物館)

さくら市マンホールカード.jpgさくら市卯の里庁舎.jpg
(同時に配布が開始された、さくら市のマンホールカードと配布場所のさくら市卯の花庁舎)

壬生町としては、2021年4月25日の第14弾にて、最初のマンホールカードを発行しているので、今回は2種類目に成ります。
壬生町マンホールカード1.jpg壬生城址公園の門.jpg
(壬生町最初のマンホールカードと、デザインの壬生城址公園入口に建つ門)

壬生町2種目のデザインは、昨年4月にバンダイナムコグループが全国の自治体と協力して取り組んでいる「ガンダムマンホールプロジェクト」により登場したデザインマンホール蓋を、カードにしたものです。
プロジェクトにて製作されたマンホール蓋は2種類で、「RX-78-2 GUNDAM」デザインと、「MSN-02 ZEONG」デザイン。カードになったのは、「おもちゃのまち」の文字が入った、ガンダムデザインで、現物は東武宇都宮線おもちゃのまち駅の東口、駅前ロータリー南側の歩道に設置されています。
壬生町マンホール2.jpg
(「おもちゃのまち」東口側歩道に設置されている、ガンダムマンホール。デザインにはガンダムとおもちゃ博物館、壬生町名産の干瓢を用いた「ハロ」と、「おもちゃのまち」の文字が施されています。)

又、「ガンダムマンホールプロジェクト」で設置された、もう一枚のジオングデザインのマンホール蓋は、駅前から更に東に行った「おもちゃのまちバンダイミュージアム」の入口前の歩道に設置されています。
バンダイミュージアム正門前.jpgジオングデザインマンホール蓋.jpg

一方、同時発行されたさくら市のマンホールカードのデザインは、さくら市上野の「集落排水」として従来から地区内の道路に設置されていた図柄をそのまま採用されています。
私は、マンホールカードが出来る前から、各地の道路に設置されているデザインマンホール蓋の写真を撮影収集していました。栃木県内のデザインマンホール蓋は、ほぼ収集したと思いますが、マンホールカードが発行されるようになってから、新しいデザインマンホール蓋が出てきているので、終りはなさそうです。
因みに、このさくら市上野のマンホール蓋を見つけたのは、2016年9月18日でした。この頃は妻や娘を乗せて、毎週のようにドライブがてら、県内各地を走り回っていました。
私は運転しているので、マンホールを見つけるのは妻や娘。特に娘は良く見つけていました。
さくら市マンホール.jpg
(国道293号線を喜連川から国道4号線方向に向かって走行中に発見しました。)

このさくら市上野の図柄は、県内50枚程あるデザインマンホール蓋の中では、私の好きな図柄でしたから、今回マンホールカードとして発行されたので、早速にゲットしてきました。


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とちぎ橋カード集めました。 [コレクション]

栃木県では昨年の4月から6月にかけて実施した、「本物の出会い栃木 デエスティネーションキャンペーン」から一年経った現在、「アフターデエスティネーションキャンペーン」を展開しています。その一環として各種インフラカードとそれらの収集したカードを入れる専用ホルダーをキャンペーン期間中、無料配布を行っています。
配布を行っているカードの種類は、「ダムカード、17種類」「とちぎ橋カード、24種類」「とちぎ公園カード、12種類」「マンホールカード、10種類」です。
ダムカード(表).jpgダムカード(裏).jpg
(ダムカード)                      (ダムカード裏面)
橋カード(表).jpg橋カード(裏).jpg
(とちぎ橋カード)                    (橋カード裏面)
公園カード(表).jpg公園カード(裏).jpg
(とちぎ公園カード)                  (公園カード裏面)
マンホールカード(表).jpgマンホールカード(裏).jpg
(マンホールカード)             (マンホールカード裏面)
※マンホールカードは期間配布ではなく、通年配布されています。在庫が無くなっても補充再配布が予定されていますので、その間待てば後日入手する事は可能なカードに成ります。

これらのカードの全てを収集することは、大変ですのでせめて私の好きな「橋」を対象にした、「とちぎ橋カード」だけは是非集めようと県内を、東奔西走して来ました。そして先日、県北地区の「那須」「黒磯」「大田原」を回って、24枚を収集完了する事が出来ました。そして専用ホルダーもゲットしていました。
橋カードホルダー表紙.jpg橋カードホルダー裏表紙.jpg
(とちぎ橋カード専用ホルダー表紙)        (とちぎ橋カード専用ホルダー裏表紙)
橋カードホルダー1頁.jpg橋カードホルダー2頁.jpg橋カードホルダー3頁.jpg
(収集したカード24枚をホルダーに収めました)

これらのカードの外にも、現在栃木市内の観光施設で無料配布しているカードが有ります。地元で入手できるので、さっそく貰ってきました。
その一つが「歴コレ2019」と銘したカードで、「とちぎ県南地域歴史文化財コレクション」として、足利市・栃木市・佐野市・小山市・下野市・壬生町・野木町の7市町で配布しています。
歴コレカード(表).jpg歴コレカード(裏).jpg
(歴コレ2019カード)                 (歴コレ2019カード裏面)      
そしてもう一つのカードが、「歴まちカード」と言う全国展開のカードです。このカードは現在の所栃木県内では、栃木市と下野市の2か所のみの配布のようです。
歴まちカード(表).jpg歴まちカード(裏).jpg
(歴まちカード)                      (歴まちカード裏面)

カードの裏面に記されているデータや豆知識には、インフラ施設ならではの専門的な用語が並びますが、へーーそうなんだと思わず感心するような情報が満杯です。
これらのカードは現地に行かなければ入手する事が出来ませんが、カード配布先周辺での観光で思わぬ風景に出合うことが出来ました。
キャンペーン期間は6月末までです。興味が有ったら是非ゲットしては如何ですか。


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新しい「橋カード」、集め始めました [コレクション]

今日、橋カード3種類をゲットして来ました。
東雲さくら橋(表).jpg東雲さくら橋(裏).jpg
(橋カード「東雲さくら橋」の表面)       (橋カード「東雲さくら橋」の裏面)

これらのカードは、この4月より新たに配布を開始した「とちぎ橋カード」で、昨年行われた栃木県のデスティネーションキャンペーンの一環で配布された「とちぎ橋カード」に続くものです。
昨年2018年にカードになった橋は、県北の那珂川に架かる「晩翠橋(ばんすいきょう)」など10橋梁でしたが、今年(2019年)は枚数が増えて、24橋梁がカードに成りました。
橋カード2018.jpg橋カード2019.jpg
(昨年配布された「橋カード」)          (今年配布されている「橋カード」)

明日から世間では10連休と言うことで、海外へ出かける人達や、故郷に帰る人達の大移動が始まります。我家ではこれといった予定も無く、遠出をして渋滞に巻き込まれるのもかなわないので、時間の余裕を見て栃木県内のこれらの「橋カード」を集めて回ろうかとも考えています。
今回の「橋カード」の多くが、県内各地域の道の駅が配布場所となっていますから、道の駅でその地域の物産を見たり食べたりするのも楽しみの一つです。





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栃木県内各市で、新しいデザインのマンホール蓋を設置 [コレクション]

最近、全国的にマンホールカードの人気が高まり、多くのコレクターが各地を訪れています。
私もそのブームに乗って地元栃木県を中心に集めて、現在99枚。後1枚で100枚の大台に乗りますが、その1枚がなかなか。来月には新たに第9弾が発行されるので、栃木県内で発行されることを期待しています。
一方そんなマンホールカードの影響によるものか、デザインマンホール蓋への注目度も、これまで以上に上がって来ている様です。その証拠に、今年度栃木県内で新しいデザインによる、ご当地マンホール蓋の設置があちこちで行われています。それはマンホールカードと共に発表されるものと、将来的にカードの発行も予定されつつ、先行して新しいマンホール蓋のデザインを発表、設置するケースも少なくありません。
マンホールカードの発行はこれまで、4月・8月・12月の年3回の頻度で発行されて、1回の発行種類も制限が有る為、発行を希望する自治体が多ければ、順番待ちという事に成ります。自治体によっては既に2種類も3種類も出している所も有ります。
マンホールカードを発行することによって、コレクターが現地を訪れて来ますから、観光PRの一助にもなっています。
2018年、今年これまで栃木県内で、新しいデザインのマンホール蓋を設置したのは、私が確認している物で11種類も有ります。(幾つか紹介します。)
とちまるくん.jpgさのまる.jpg日光連山とSL大樹.jpg
(栃木県)               (佐野市)             (日光市)
彫刻屋台.jpgみるふぃ&キティ.jpg餃子通り.jpg
(鹿沼市)               (那須塩原市)          (宇都宮市)

私は、マンホールカードの第一弾が発行された、2016年4月の前から、デザインマンホール蓋の写真を撮影していました。そして2016年10月21日、このブログで栃木県内のマンホール蓋をほぼ全部収集してとしてまとめて掲載しました。しかし、その後もこうして新しいデザインのマンホール蓋が作られ設置されています。カラーマンホール蓋も多くなりました。
現時点で私が収集した栃木県内のデザインマンホール蓋の種類は80種、その中でカラーのマンホール蓋は40種と成っています。

又、撮り尽くしたはずと思っていましたが、見逃していた以前からのデザインマンホール蓋もまだ有る様で、これらを最近も偶然に見つけたりしています。
都賀町1.jpg都賀町集排.jpg
(旧都賀町のデザインマンホール蓋) (今年見つけた都賀町集排のデザインマンホール蓋)
写真右は、今年7月に都賀ターゲットバードゴルフ赤津コース近くの道路で発見した、都賀町集落排水のデザインマンホール蓋です。図柄は旧都賀町章、町の花「キキョウ」、そして魚が泳ぐ川の流れなどが描かれています。川は地区内を流れる「赤津川」や「荒川用水」でしょうか。
写真左は、都賀町の通りで良く見るマンホール蓋です。図柄は旧都賀町章、町の花「キキョウ」、そして都賀町に三ヶ所文化財に指定されている、「獅子舞」に成ります。

国分寺町2.jpg国分寺集排.jpg国分寺集排(菊).jpg
(国分寺町集排、水車)    (国分寺町集排、ハト)    (国分寺町集排、キク)
上の3枚の写真は、全て旧国分寺町のデザインマンホール蓋です。
水車の絵柄は栃木市から小金井街道を進み、花見が丘から姿川辺りで良く目にするマンホール蓋ですが、ハトとキクの絵柄のマンホール蓋は今年に入って撮影した物です。中央の「ハト」の絵柄に付いては以前からインターネットにて存在を確認していましたが、これまで旧大字国分寺周辺を何度となく探索していましたが、どうしても発見できませんでした。ハトやキクの絵柄のマンホール蓋は旧大字国分寺を大きく離れた、JR小金井駅の東側、新国道4号線近くで、まさに遭遇しました。絵柄と成った「ハト」は旧国分寺町の鳥、「キク」は旧国分寺町の花でした。この辺りは昔は大字柴と云い、此処もまた旧国分寺町の範囲だった事を、この時知りました。旧国分寺町は予想以上に広い範囲にまたがっていました。

こうして見ると、栃木県内にも、まだまだ私が発見していないデザインマンホール蓋が有るのかも知れません。これからも気を付けて道路上をチェックして行きたいと思いました。
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「とちぎ橋カード」をゲットして来ました。 [コレクション]

我が栃木県では「本物の出会い 栃木」デスティネーションキャンペーンが、4月1日から6月30日までの3ヶ月間開催されていますが、その一環として「とちぎ橋カード」が県内10箇所で配布されています。
栃木県内の河川に数多く架けられた橋の中から、栃木県、県土整備部、道路整備課、構造物担当の専門家の方々が厳選した、「橋梁10箇所」。橋好きの私にとって以前から興味の有った橋も有れば、今回初めて現地を訪れて見た橋も有りました。
カード表の橋の写真は、その構造を説明する目的も有り、思川の「観晃橋」や大谷川の「日光橋」は、橋の下部構造を見せる為、下から撮影しています。
今回、そんな「橋カード」をゲットしながら、特殊な構造を持った橋巡りを楽しみました。
<1枚目>松原大橋(まつばらおおはし) 一級河川思川 県道南小林・松原線 
       平成8年(1996)架設。
橋カード松原大橋1.jpg
松原大橋1.jpg松原大橋2.jpg
私の松原大橋との出会いは、1993年10月の架設工事中、思川に何本もの橋脚だけが建っている写真を撮影したのが始まりです。最近では2011年4月2日に歩いて渡っています。東日本大震災が発生した後で、まだ時々大きな余震が起きている頃でした。

<2枚目>観晃橋(かんこうばし) 一級河川思川 県道栃木・小山線
       平成4年(1992)架設。
橋カード觀晃橋1.jpg
観晃橋1.jpg観晃橋2.jpg
観晃橋は栃木から小山駅に向かう時、必ず渡る橋ですが、現在のこの橋が完成した時は、本当に開放感のある橋に成ったと感じました。架け替え前の橋の思い出は、小学3年生の春の遠足が小山の「森永」の工場と小山のSLの操作場見学の後、思川の河川敷に下りて記念写真を撮りました。その記念写真のバックに以前の観晃橋が写っていました。

<3枚目>五行川橋梁(ごぎょうがわきょうりょう) 一級河川五行川 真岡鐵道
       明治27年(1894)架設(推定)、大正2年(1913)転用
橋カード五行川橋梁1.jpg
五行川橋梁1.jpg五行川橋梁2.jpg
五行川橋梁を見るのは今回初めてでした。真岡には2016年5月27日に街歩きに来ました。その時は五行川に架かる「長瀬橋」や「田町橋」、そして行屋川沿いを歩いて「施無畏橋」や「静風橋」などを見て回りましたが、その時はこの五行川橋梁まで足を延ばしませんでした。今度は「橋カード」の様な、蒸気機関車と橋梁の写真を撮りに行きたいと思います。

<4枚目>晩翠橋(ばんすいきょう) 一級河川那珂川 県道西那須野・那須線
       昭和7年(1932)架設。
橋カード晩翠橋1.jpg
晩翆橋1.jpg晩翆橋2.jpg
那珂川に架かる晩翠橋は以前は国道四号線上の橋で、那須温泉や茶臼岳方面に観光に行く時は、必ず渡る橋でした。橋を渡ると直ぐに左に折れると那須道路。現在は高速自動車道で行くことが多くなった為、この橋を渡る機会も少なくなりました。当然以前この橋を渡るとき、橋の下部構造にこのようなアーチ状に成っている事は全く知る由も有りませんでした。初めて晩翠橋を下から撮影したのは平成12年、今回3度目の訪問に成りました。

<5枚目>烏山大橋(からすやまおおはし) 一級河川那珂川 県道那須烏山・御前山線
       平成10年(1998)架設。
橋カード烏山大橋1.jpg
烏山大橋1.jpg烏山大橋2.jpg
烏山大橋に来たのは、今回で2度目です。最初は2015年11月、那珂川の一つ上流側に架かる「平成19年度土木学会選奨土木遺産認定の境橋」の紅葉を撮影に行った途中、烏山大橋の斜張橋の主塔が目に留まり、寄り道をしていました。

<6枚目>渡良瀬橋(わたらせばし) 一級河川渡良瀬川 県道足利・太田線
       昭和9年(1934)架設。
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渡良瀬橋1.jpg渡良瀬橋2.jpg
足利の街は私の好きな街の一つで、若い頃は鑁阿寺や織姫公園に出掛けていました。足利の街は「東の小京都」とも称され、街の中を西から東に流れる渡良瀬川には魅力ある橋が、3本架けられています。上流側から「渡良瀬橋」「中橋」「中田橋」。橋カードとなった渡良瀬橋は歌手の森高千里さんの歌詞で全国的に有名になりました。
≪渡良瀬橋で見る夕日を・・・・・≫で歌いだし、≪・・・夕日がきれいな街≫と歌われます。
橋カードもその景色を意識したものに成ってます。

<7枚目>宮の橋(みやのはし) 一級河川田川 県道宇都宮・笠間線
       平成7年(1995)架設。
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宮の橋1.jpg宮の橋2.jpg
JR宇都宮駅の西側、田川と大通りとの交点に架かる橋。いつも大勢の歩行者や車が行き来しています。
栃木市から宇都宮に行くと東武宇都宮線が多い為、JR宇都宮駅まで行くのはなかなかありません。今回も久しぶりの訪問でした。

<8枚目>第一松木川橋梁(だいいちまつきがわきょうりょう) 一級河川渡良瀬川
       わたらせ渓谷鐵道 大正3年(1914)架設。
橋カード第一松木川橋梁1.jpg
第一松木川橋梁1.jpg第一松木川橋梁2.jpg
渡良瀬川の上流域、日光市足尾町には明治23年(1890)12月に架設され、現在国の重要文化財にも指定されている、日本でも初期の道路用鉄橋「古河橋」をはじめとして、その他吊橋や斜張橋など特殊な構造の橋が多く架けられている為、私も以前から撮影に通っています。

<9枚目>日光橋(にっこうばし) 一級河川大谷川 国道119号
       昭和37年(1962)架設。
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日光橋1.jpg日光橋2.jpg
日光駅で電車を降り、一直線に続く登り坂の道を歩いて行く、道路の両側には観光客相手のお土産店や飲食店が並んでいます。下鉢石町、中鉢石町から上鉢石町と抜けてくると道路は大谷川に架かるこの「日光橋」を渡り、対岸の日光の二社一寺へ向かう。ただこの日光橋を渡るとき、私達の目は直ぐ上流側に架かる朱塗りの「神橋」に向いてしまう。この場所はこれまでも何度も来ているが、今回初めてこの「日光橋」を意識して観察しました。改めて見るとやはりこの橋はデザイン的にも派手さが無く、脇役に徹した橋に成っていると感じました。

<10枚目>湯西川橋梁(ゆにしがわきょうりょう) 一級河川湯西川(五十里湖) 野岩鉄道
        昭和58年(1983)架設。
橋カード湯西川橋梁1.jpg
湯西川橋梁1.jpg湯西川橋梁2.jpg
最後の一枚は野岩鉄道湯西川温泉駅でゲットしました。併設されている道の駅湯西川には、ゴールデンウィークに入っていることも有って大勢の観光客が来ていました。
最後の橋カードに写る「湯西川橋梁」は、その眼の前を通る道路の先に見えています。
そこには既に私と同じようにその橋を写真に収めようとしている人が、鉄橋を通る電車が来るのを待っている様で、私も早速撮影の準備をして、無事写真に収める事が出来ました。

「橋カード」の裏面には、「橋名」「路線名」「所在地」「交差物件」「橋長(最大支間長)径間数」「代表形式」「架設年」「管理者」等の基本情報と、「豆知識」として橋の特徴や周辺情報などが記されています。

これらの「橋カード」は今回の観光キャンペーン期間限定版。宇都宮市や日光足尾町などどこのカード配布場所に行っても、県内外からのコレクターが来ていました。カード自体は無料配布に成っていますが、はるばる遠方から時間とお金を掛けて、観光も兼ねて来ています。それが元々この「橋カード」配布の目的でしょうから、これによりまた地元に架かる橋にも興味を持たれる人が増えればと思います。
今回の私の「橋カード」による県内橋巡り、新しい発見も有り楽しい時間を過ごせました。
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栃木市カラー版マンホール蓋、2ヶ所目発見しました。 [コレクション]

今年の3月末、栃木市内をウォーキング中に偶然、色鮮やかに着色されたマンホール蓋を発見ました。それから、これまで他に設置されていないか注意しながら市内ウォーキングをしていましたが、栃木駅前や大通りの歩道など確認しても、見つかっていませんでした。それが今日、巴波川沿いの観光スポットの一つ、幸来橋の近くで2ヶ所目のカラーマンホール蓋を発見しました。
栃木市マンホール蓋カラー版2枚目.jpg栃木市マンホール蓋カラー版2枚目発見.jpg
(今日、発見した2ヶ所目となるカラー版デザインマンホール蓋) (発見場所 幸来橋付近)
この2枚目を発見した場所こそ、この栃木市のマンホールのデザインとなった場所付近となります。
「幸来橋」の橋の上から下流側を見ると巴波川左岸の川沿いに、下流に架かる「巴波川橋」までの間100メートル以上に渡って、黒く塗られた板塀が続いていて、塀の向こう側には土蔵が幾つも連なっています。
巴波川の上には現在、両岸から渡された沢山のロープに、赤や青、緑など色とりどりの鯉のぼりが吊るされ、それが泳ぐ様に風に舞っています。その風景はマンホール蓋のデザインそのものです。
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(旧栃木市地区マンホール蓋のデザインとなった風景、巴波川沿いの黒塀と土蔵群)
2ヶ所目のカラーマンホールが設置されている場所も、1ヵ所目の場所同様に車道の成っていますから、注意して見て欲しいです。
栃木市マンホール蓋カラー版1.jpg栃木市マンホール蓋カラー版1枚目発見.jpg
(3月末に発見した1ヵ所目のカラー版マンホール蓋)  (発見場所、元県庁堀付近)

この栃木市のデザインマンホール蓋は、以前からデザイン的にマンホール蓋コレクターの間では結構評判が良かったもので、旧市内で有れば何処でも見る事が出来ます。但しカラー版に成っているデザインは左下に描かれている「市章」が合併後の新しい市章です。この新しい市章のマンホール蓋は、新しく下水道を設置した区域ですから、探してみて下さい。
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(新しい栃木市章のマンホール蓋)        (旧栃木市章のマンホール蓋)
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山羊座のマンホール蓋は何処へ?宇都宮市ユニオン通り [コレクション]

最近は宇都宮を訪れる時は、もっぱら自動車に頼っていますが、それでも年に1・2回は今も東武電車を利用しています。以前一緒に働いた先輩や同僚たちとの飲み会に参加する為で、この時ばかりは電車のお世話に成ります。
東武宇都宮駅からオリオン通りを抜けて、二荒山神社方向に歩くのが殆んどですが、先日チョッと寄り道をして、オリオン通りとは逆方向、日光街道を渡って西側に進む「ユニオン通り」へ向かいました。
「ユニオン通り」は宇都宮市の大通りに対して、一本南側を並行して通る道幅6メートル程の細い通りで、日光街道と材木町通りの間約370メートルのほぼ直線で、「ユニオン通り商店街」の中心を成しています。
「ユニオン通り」の北側は「伝馬町」、南側は「西一丁目」ですが、通りの両側はお洒落なファッション系のお店や、カフェやイタリアン等の若者向けの店舗が軒を連ねています。
私が訪れた時は通りの路面が、電線類の地中化工事が進行中の為か、元の石畳部分と工事に伴う仮舗装とがモザイク状に成って少し見た目が悪くなっていましたが、もうすぐ新しい町並みに生まれ変わる様です。
ユニオン通り2.jpgユニオン通り1.jpg
(入口に建てられた通りの標柱。下部に「ユニオン通り景観事業工事に伴い ご迷惑をおかけ致しております 生まれ変わるユニオン通りに御期待ください」の記載が有りました。)

現在、そんな工事の最中でしたが、この「ユニオン通り」に設置されている、十二星座を描いたマンホール蓋を写真に収めて来ました。
日光街道側からユニオン通りに入ると、最初に「おひつじ座」を描いたマンホール蓋が目に入って来ました。更に通りを西に向かって歩いて行くと、「おうし座」「ふたご座」「かに座」と順に設置されている様です。
おひつじざ.jpgおうし座.jpgふたご座.jpgかに座.jpg
(おひつじ座)      (おうし座)       (ふたご座)       (かに座)
材木町通り側に抜ける手前で最後の「うお座」まで12枚の星座を描いたマンホール蓋の写真を納めました。
ユニオン通り3.jpgユニオン通り4.jpg
(「かに座」と「しし座」は直ぐ近くに有りました)(だいたい通りの中央部に有ります)
が、改めて確認してみると「やぎ座」のマンホール蓋が見当たりません。そしてなぜか「みずがめ座」を描いた蓋が2枚有りました。
しし座.jpgおとめ座.jpgてんびん座.jpgさそり座.jpg
(しし座)        (おとめ座)       (てんびん座)       (さそり座)
いて座.jpgみずがめ座.jpgみずがめ座2.jpgうお座.jpg
(いて座)        (みずがめ座)       (みずがめ座)     (うお座)

なぜ「やぎ座」が無くて「みずがめ座」が2枚有るのか。
その2枚の「みずがめ座」のマンホール蓋を良く見ると、固定用のボルト穴の様なものが1枚だけ左右が逆に付いています。その為11枚のマンホール蓋は、描かれた絵が通りの西方向が絵の上に成る様に作られていますが、「みずがめ座」の1枚だけは通りの東方向が上に成る様に設置されていました。
これは単純な間違いでは無く、何かの意図が考えられます。
それが何を意図したものか、今、私にはどうにも考えが及びませんが、今度何かの機会に関係された方にお伺いをしてみたいものです。
もしかしたら「やぎ座」のマンホール蓋もどこかに設置されているのかも知れません。でなければ「やぎ座」の誕生日の人達がかわいそうですから。
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