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渡良瀬遊水地周辺に分布する「決潰口跡」の碑を巡る [石碑]

栃木市を貫流する一級河川「巴波川」や「永野川」では、令和元年の東日本台風(台風19号)の際に、堤防決壊や溢水等が多くの箇所で発生、大規模な浸水被害をもたらしました。
現在、これら決壊箇所を始めとして、大規模な河川改修工事が進行しています。栃木市街地中心部を流れる「巴波川」に対しては、栃木第三小学校上流に架かる「原の橋」から市街地を抜けた「学悠館高校」北東部に架かる「平成橋」の間を地下トンネルで結び、増水した水を市街地をバイパスして下流に放流する事業計画が進行しています。
「災害は忘れたころにやってくる」とよく言われています。
栃木市でも昭和25年頃までは、毎年のように巴波川が溢れて、市街地を水浸しにしていたと言われています。栃木市内の老舗写真館が発行した写真集「片岡寫眞館」(片岡惟光編)には、明治43年の「大洪水」の貴重な写真が多数掲載されています。
その洪水も、昭和26年に完成した赤津川分水路によって、以前のような災害は殆ど発生しなくなりました。数年前まで私はこう考えていました。「栃木市は、映画館も大規模ショッピングモールも、工業団地も無い。でも、海も無いし険しい山も無い、関東平野の豊かな田園地帯に囲まれた地域で、大きな自然災害も無い安全な街。住むには最高の街だと。」
でも、ここ数年再発する台風や豪雨で発生した浸水被害等を目の当たりにすると、災害に対する備えは常に大切なことだと考えを改めています。

そこで、今回巡る石碑は栃木市の南部に広がる「渡良瀬遊水地」の周辺に建てられた「決潰口跡」の碑に成ります。
この「決潰口跡」の碑、私が確認したのは全部で五基です。
1基目は、栃木市藤岡町部屋で、巴波川に架けられた橋「巴波橋」の上流左岸の堤防の上に建てられています。【題字揮毫者は当時の部屋村長 島田清一氏】
2基目は小山市の渡良瀬遊水地第2調節池の北東側、生井桜づつみ公園内に建てられています。
【題字揮毫者は当時の生井村長 立野 茂氏】
栃木市藤岡町部屋に建つ碑.jpg小山市生井桜づつみ公園に建つ碑.jpg

3基目は群馬県板倉町海老瀬地先、渡良瀬湧水地北エントランス入口から堤防上道路を少し南に行った所に建てられています。堤防に沿って走る県道佐野古河線を走ると、堤防の上に建っているのを見ることが出来ます。 【題字揮毫者は当時の群馬県知事 伊能芳雄氏】
4基目は埼玉県加須市向古河地先、3基目と同様に県道佐野古河線を走ると三国橋の手前、東武日光線の新古河駅東口に通ずる丁字路近く、渡良瀬川右岸堤防上に見ることが出来ます。
【題字揮毫者は当時の北川辺領水害豫防組合管理者 出井菊太郎氏(旧北川辺名誉町民第一号)】
群馬県板倉町海老瀬に建つ碑.jpg埼玉県加須市向古河に建つ碑.jpg

そして最後、5基目は同じく埼玉県加須市ですが、場所は少し離れて新川通地先、利根川の右岸堤防上、カスリーン公園内に建てられています。【題字揮毫者は当時の埼玉県知事 大沢雄一氏】
埼玉県加須市新川通カスリーン公園に建つ碑.jpg

これらの5基の石碑の建立位置をしるした、概略図を作ってみましたので、参考にして下さい。
渡良瀬遊水地周辺地図.jpg

これら5基の石碑はその外観形状はまちまちですが、石碑の表の題字は全て同じで「決潰口跡」です。そして、碑陰に刻された碑文の内容も概ね同文、異なる点は石碑が建てられた堤防の決壊に伴い、被災を受けた地域の違いです。
碑文冒頭の、<利根川の治水のために カスリン台風に因る異常な降雨を集めた利根川>の部分、そして<は昭和二十二年九月十五日夜半>の部分、さらに<昭和十年と昭和十六年>以降碑文最後までの文言は全て同一文章になっています。そして最後の日付も<昭和二十五年九月十五日>と、その後に続く撰文者<利根川上流工事事務所長 横田周平>も全て同じでした。
碑陰に刻された碑文を書き写しました。5基全て紹介します。
栃木市藤岡町部屋に建つ碑文.jpg
小山市生井桜づつみ公園に建つ碑文.jpg
群馬県板倉町海老瀬に建つ碑文.jpg
埼玉県加須市向古河に建つ碑文.jpg
埼玉県加須市新川通カスリーン公園に建つ碑文.jpg

碑文に記されている通り、これら5基の石碑は、昭和22年9月15日の夜半に関東地方を襲った「カスリン台風」により、相次いで堤防決壊をしそれぞれの地域にて大規模な洪水被害をもたらした事実と、その原因として防災対策の不備を指摘し、不断の治水の必要性を後世の我々に伝える為の、防災祈念碑でした。

埼玉県東村(現在の加須市)における、利根川本流の堤防決壊は、その碑文にも記されている通り、<その濁流は遠く東京都を浸しました>という、大きな被害をもたらしています。
この⑤の「決潰口跡」の碑が建てられた場所は、現在「カスリーン公園」として整備され、平成9年9月16日「カスリーン台風の碑」も新たに建立され、被害の状況等を写真等で紹介をしています。
カスリーン台風の碑.jpg

私が現地を訪れた今月22日も、公園周辺では「利根川・江戸川流域治水プロジェクト いのちとくらしをまもる防災減災 国土強靭化対策工事」の真っ最中でした。
「決潰口跡」の碑文で訴えている「不断の防災対策」が今、しっかりと進められています。
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壬生町下馬木地区神明宮境内に建つ石碑 [石碑]

壬生の市街地の北側に下馬木という地区が有ります。国土地理院が発行する2万5千分1地形図「壬生」を広げると、壬生の市街地から北西にのびる国道352号と北関東自動車道とが交差する地点右脇に「下馬木」の地名が記されています。
「下馬木」の読みは「げばき」です。インターネットのグーグルマップにて「下馬木」の地名で検索すると、北関東自動車道の更に北側、県道221号(国谷家中停車場線)北側に広がる「嘉陽が丘ふれあい広場」の近くに「下馬木公民館」が表示されました。住所は「栃木県下都賀郡壬生町上稲葉1058」となっています。
しかし、壬生町の字名を調べてみると、昭和29年11月3日に壬生町と稲葉村とが合併した当時の資料によると、大字壬生の地域に「下馬木」「下馬木東」「下馬木西」「下馬木前」などの小字名が見えますが、大字上稲葉の地域には「下馬木」という小字名は見当たりません。ただ、「下馬木」という地域は壬生町と稲葉村との境界に有ったようです。
昭和30年8月20日、栃木県町村会発行の「栃木県市町村誌1955年版」に掲載されている、「稲葉村」の地図には、壬生町との境界線の北側に「下馬木」の文字が記されています。

「下馬木」の場所が大よそ分かったところで、今回の目的の石碑が建つ「神明神社」を、又グーグルマップにて検索すると、周辺の「神明神社」としては、壬生町安塚や、栃木市嘉右衛門町などが出ました。同時に「神明宮」として栃木市旭町の住所の外に、壬生町壬生乙2898イの所在が表示されました。
この「壬生町壬生乙2898」の住所が、上記の境界近くに位置する事が確認されたので、早速現場確認に行ってきました。チョッと分かり難い所でしたが、何とかたどり着くことが出来ました。
神明神社.jpg
(壬生町壬生乙の北の境界近くに建つ神明宮、社殿に向って左脇に石碑が建てられています。)

社殿は東向きに建てられていて、境内の北側に建つ建物には「下馬木公民館」の表示板が掲示されています。
石碑を眺めてみましょう。
石碑全景.jpg篆額部分拡大.jpg
石碑正面上部に「篆額」、その下に碑文が私の苦手な漢文体で刻まれています。文字ははっきり見ることが出来るので、書き写しました。
下馬木溝渠碑(碑文).jpg

石碑上部の篆額には、「下馬木溝渠碑」と篆書体で書かれています。揮毫した人物は、「正五位子爵貴族院議員鳥居忠文」です。
この鳥居忠文という人物については、「シリーズ藩物語・壬生藩」に詳しい。壬生藩祖「鳥居元忠」から数えて13代目に当ります。大名の身分は12代「鳥居忠宝」までで、忠文が家督を継いだのは明治になってから。
碑文は、「伊東久賢」の撰文及び書と有ります。石工は「栃木泉町 清水政次郎鐫」と石碑左下隅に彫られています。碑が建てられたのは、「明治30年(1897)3月」です。

碑文の内容は、此下馬木地区は水利に恵まれず、畑ばかりで水田が出来なかった為、「増田才兵衛」「葭葉吉五郎」「殿塚久米右衛門」「葭場禮助」という四人の人物が中心となって地区住民一丸となって、大工事の末に下馬木用水を完成させた事が記されています。
この「下馬木用水」は壬生町の歴史の中でも、石碑に刻まれ残されていたことも有り、「壬生町史」の通史編や民俗編、「栃木県土地改良史」等、多くの文献に掲載されることとなりました。

今回参考にした資料:
・壬生町史、通史編及び民俗編 壬生町発行
・シリーズ藩物語 壬生藩、現代書館発行
・栃木県の地名、 平凡社・1988年8月25日発行
・栃木県土地改良史 栃木県土地改良事業団体連合会発行
・25000分1地形図「壬生」国土地理院発行
・栃木県市町村誌1955年版、栃木県町村会発行
・栃木県町村合併、第四巻 栃木県発行
・グーグルマップ




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庭のシュウメイギクが満開に [草花]

10月も中旬、我家の濡縁前のシュウメイギクも、多くの花を咲かせています。
シュウメイギク2.jpg
調べてみると、シュウメイギクはキクの仲間ではないそうですね。アネモネの仲間だそうです。
中国から入ってきて帰化した植物で、この白色の品種は、他種との交配によって生まれた品種なんだそうです。
シュウメイギク3.jpg
暫らくは我家の庭に、花を添えてくれます。

今日も曇空で、時々小雨がパラついています。
今年の秋は、スカッとした秋空が少ない気がします。
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