SSブログ

壬生町下馬木地区神明宮境内に建つ石碑 [石碑]

壬生の市街地の北側に下馬木という地区が有ります。国土地理院が発行する2万5千分1地形図「壬生」を広げると、壬生の市街地から北西にのびる国道352号と北関東自動車道とが交差する地点右脇に「下馬木」の地名が記されています。
「下馬木」の読みは「げばき」です。インターネットのグーグルマップにて「下馬木」の地名で検索すると、北関東自動車道の更に北側、県道221号(国谷家中停車場線)北側に広がる「嘉陽が丘ふれあい広場」の近くに「下馬木公民館」が表示されました。住所は「栃木県下都賀郡壬生町上稲葉1058」となっています。
しかし、壬生町の字名を調べてみると、昭和29年11月3日に壬生町と稲葉村とが合併した当時の資料によると、大字壬生の地域に「下馬木」「下馬木東」「下馬木西」「下馬木前」などの小字名が見えますが、大字上稲葉の地域には「下馬木」という小字名は見当たりません。ただ、「下馬木」という地域は壬生町と稲葉村との境界に有ったようです。
昭和30年8月20日、栃木県町村会発行の「栃木県市町村誌1955年版」に掲載されている、「稲葉村」の地図には、壬生町との境界線の北側に「下馬木」の文字が記されています。

「下馬木」の場所が大よそ分かったところで、今回の目的の石碑が建つ「神明神社」を、又グーグルマップにて検索すると、周辺の「神明神社」としては、壬生町安塚や、栃木市嘉右衛門町などが出ました。同時に「神明宮」として栃木市旭町の住所の外に、壬生町壬生乙2898イの所在が表示されました。
この「壬生町壬生乙2898」の住所が、上記の境界近くに位置する事が確認されたので、早速現場確認に行ってきました。チョッと分かり難い所でしたが、何とかたどり着くことが出来ました。
神明神社.jpg
(壬生町壬生乙の北の境界近くに建つ神明宮、社殿に向って左脇に石碑が建てられています。)

社殿は東向きに建てられていて、境内の北側に建つ建物には「下馬木公民館」の表示板が掲示されています。
石碑を眺めてみましょう。
石碑全景.jpg篆額部分拡大.jpg
石碑正面上部に「篆額」、その下に碑文が私の苦手な漢文体で刻まれています。文字ははっきり見ることが出来るので、書き写しました。
下馬木溝渠碑(碑文).jpg

石碑上部の篆額には、「下馬木溝渠碑」と篆書体で書かれています。揮毫した人物は、「正五位子爵貴族院議員鳥居忠文」です。
この鳥居忠文という人物については、「シリーズ藩物語・壬生藩」に詳しい。壬生藩祖「鳥居元忠」から数えて13代目に当ります。大名の身分は12代「鳥居忠宝」までで、忠文が家督を継いだのは明治になってから。
碑文は、「伊東久賢」の撰文及び書と有ります。石工は「栃木泉町 清水政次郎鐫」と石碑左下隅に彫られています。碑が建てられたのは、「明治30年(1897)3月」です。

碑文の内容は、此下馬木地区は水利に恵まれず、畑ばかりで水田が出来なかった為、「増田才兵衛」「葭葉吉五郎」「殿塚久米右衛門」「葭場禮助」という四人の人物が中心となって地区住民一丸となって、大工事の末に下馬木用水を完成させた事が記されています。
この「下馬木用水」は壬生町の歴史の中でも、石碑に刻まれ残されていたことも有り、「壬生町史」の通史編や民俗編、「栃木県土地改良史」等、多くの文献に掲載されることとなりました。

今回参考にした資料:
・壬生町史、通史編及び民俗編 壬生町発行
・シリーズ藩物語 壬生藩、現代書館発行
・栃木県の地名、 平凡社・1988年8月25日発行
・栃木県土地改良史 栃木県土地改良事業団体連合会発行
・25000分1地形図「壬生」国土地理院発行
・栃木県市町村誌1955年版、栃木県町村会発行
・栃木県町村合併、第四巻 栃木県発行
・グーグルマップ




nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。