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巴波川日記100回目記念「開運橋」と「幸来橋」 [栃木市の河川と橋]

私のブログ「巴波川日記」も今回丁度100回の記念する日を迎えました。
昨年(2014)9月24日に初めて自分のブログを開設、要領も良く分からないままのスタートでした。ブログの名前を何にしようか色々と考えた結果、私が生まれて育ったそして現在も生活をしている栃木市のシンボル的川の名前を使わせてもらい、「巴波川日記」としました。「うずまがわ」と呼ぶこの川は、利根川水系渡良瀬川の支流になります。
巴波川0.jpg
古くは江戸との交易の手段となり、舟運で栃木の街は大いに栄え、世界的浮世絵師「喜多川歌麿」も何度もこの町に足を運び、昨年歌麿の直筆大作「深川の雪」の発見で話題を呼んだ、「雪」・「月」・「花」の三部作を依頼した豪商を生んだ川でも有ります。
幸来橋0.jpg
私の父はこの巴波川の右岸「入舟町」に生まれました。子供の頃、夏になるとこの川で泳いで遊んだ事を話してくれました。
現在、巴波川には栃木市川原田町に有る源流の「白地沼」から栃木市藤岡町の渡良瀬遊水地内で渡良瀬川に合流するまでの全流域に49橋が架かっていますが、今回は新年初めてのブログですので、お目出度い橋梁名を持つ2橋を紹介します。
まず万町(よろずちょう)と入舟町(いりふねちょう)に架かる「開運橋」です。
開運橋0.jpg開運橋1.jpg
現在の橋は2000年6月竣工と比較的新しい物です。明治19年7月発行の地図にはこの場所に橋は認められず、1900年(明治33年)鍋山人車鉄道がここに橋を設けているのが最初でしょう、通称「トロッコ橋」です。しかし1933年(昭和8年)にはルートが変更されています。「開運橋」の名称は以前の橋(1937年4月竣工)から命名されたものでしょう。
開運橋2.jpg1980年頃開運橋1.jpg
(2000年10月頃の開運橋)                (1980年頃の開運橋付近)
もう一つは倭町(やまとちょう)と湊町(みなとちょう)に架かる「幸来橋」です。幸来橋1.jpg幸来橋2.jpg
現在の橋は1992年12月の竣工です。この場所は天明7年(1787)の栃木町の地図に、「念仏橋」として現れます。この時期の巴波川にはこの念仏橋の他は、この町を通過した日光例幣使街道に架けられた「開明橋」の二橋しか認められません。
念仏橋は栃木町の中心から西の太平山へ向かう唯一の場所で、巴波川の栃木河岸と片柳河岸を渡す場所で、まさにその当時の中心的位置に当たっていました。
現在の橋の前は大正14年7月(1925)の竣工でした。この時はすでに「幸来橋」と名付けられていました。
それ以前は木橋が架けられていました。
幸来橋(1991年6月).jpg幸来橋1.jpg
(1991年6月撮影幸来橋)             (2000年撮影幸来橋)

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