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栃木市大宮町の普賢院 [堂々巡り]

先日、2月8日に大宮町に有る「如意輪寺」を紹介しましたが、今回の「普賢院」は、如意輪寺の東隣りに有る「大宮城址」や「大宮神社」を挟んだ反対側、大宮神社の東の参道(馬場)の先に有ります。
普賢院は正式には「城密山 普賢院 金胎寺」と号する真言宗豊山派の寺院になります。
ご本尊は不動明王です。
正面入口は南側になります。
普賢院1.jpg
寺院名を刻した門柱を抜け、お寺の境内に入りますと、正面に本堂、右隣りに庫裏。 本堂左手奥に地蔵堂が見えます。
本堂手前に十三重の石塔が有りその脇に立派な「水子厄除地蔵尊」が祀られています。
普賢院2.jpg普賢院7.jpg
地蔵菩薩はその胸に両手でふくよかな赤子の体を抱いております。そして、その眼は何を見ておられるのか。
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左手奥の地蔵堂に祀られておりますのは、「火防地蔵尊」とのことで、堂前に建て替えの経緯を記した案内板が立っております。
普賢院3.jpg普賢院8.jpg
更にこの地蔵堂の右手奥に石碑が建っております。正面には「勝道上人行場跡」と大書され、後ろ側に「普賢院を創建せる勝道上人は此の地にて行法修行の後出流の山に苦行し又薬師寺に学び再び山に入り古峰ヶ原を越えて日光に至り寺を建て仏教を弘めつ十有五年の苦心をへて遂に延暦元年(782)男体山の頂を極めると伝う」そしてその後に建立年月と建立者のお名前が刻まれております。
普賢院0.jpg
この「普賢院」を建立したのは郷土の偉人の一人「勝道上人」と伝えています。
勝道上人は天平七年(735)4月21日に、母親の実家であった芳賀郡高岡(現真岡市)にて生まれました。幼名を藤糸と称しました。
父親は下野国府の役人でしたから、子供の頃の勝道上人は下都賀郡のこの地近辺で育ったのでしょう。その頃高藤一家は都賀郡城山を居城にしていて、国府に通っていたと伝えられます。
先の石碑に有った話「勝道上人行場跡」は、天平勝宝元年(749)、藤糸15歳の時の事と伝えています。
それぞれに手を合わせお参りをして来ました。
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