変わる栃木駅周辺の風景 [懐かしい写真]
栃木市街地にて、平成になって大きく変わった風景は、やはり栃木駅周辺だと思う。
栃木駅舎に関しては昨年(2014年11月9日)の私のブログで「旧栃木駅の風景」として紹介しました。
(1976年4月撮影、栃木ガス会社北側を通っていた両毛線、現在は県道31号線が通る。)
平成15年(2003)の栃木駅高架化に伴い、駅南へのアクセスが大幅に改善した。それまで沼和田町を抜ける県道153号線(南小林栃木線)は、JR両毛線と東武日光線の二つの踏切を通らなければならず、朝夕の出勤時間帯は渋滞が発生していた。それが現在では何のストレスも感じずに沼和田町に、そして駅南にも行くことが出来る。
(1980年撮影、沼和田東武線踏切) (2013年撮影、元踏切が有った場所)
国土地理院平成25年発行の栃木の地形図を参考に作成した、栃木駅周辺の概略図に鉄道高架化される前の、路線を重ねて見ると、東武日光線は殆ど移動していません。それに比較してJR両毛線は、栃木駅の東側のルートが大きく変わっています。現在は東武線の北側にぴったりと付いて、巴波川を渡っています。その後、従来の交差部付近で東武線の下を潜り、円通寺の北側付近で以前のルートに戻って、南東方向の思川駅に向かいます。
(栃木駅周辺概略図)
※JR両毛線の旧路線位置を朱書き追記。新しく通じた県道31号線、「いっちょう栃木店」北側までJR両毛線の線路が伸びていました。現在「学悠館高校」となっている所は以前は東武線の踏切と、両毛線の踏切との間に挟まれた所で、先に添付した写真に見える様に、「トリウミ味噌」の工場が有りました。
駅南の大平町上牛久(とりせん栃木駅南店の西側付近)に九十九曲り用水が流れていますが、最近まで川岸にはアジサイなどが咲いて長閑な風景でしたが、今は道路も広がり住宅街に変わっています。
(1993年九十九曲用水の奉行橋付近) (2014年大平町上牛久の風景)
現在、栃木翔南高の北側で建設が進んでいる「栃木地区メディカルセンター」が完成すると又、大きく変わって行くでしょう。
駅の西側は昔は、鍋山の石灰会社の倉庫が有り、貨物線を引き込んで貨車への積み込みを行っていたが、現在は「えきまえ公園」と変わっています。
(1976年撮影、両毛線第一佐野踏切より栃木駅構内方向を望む)
(1978年撮影、栃木駅西側の風景) (2014年撮影、栃木駅西側のえきまえ公園)
栃木自動車教習所やその西側も両毛線の高架で風景も大きく変わりました。
(1965年撮影) (2015年撮影)
最後に両毛線と県道31号線(栃木小山線)が交差した踏切に跨線橋が出来た当時の写真が有ります。その頃はまだ両毛線にも蒸気機関車が走っていました。
栃木駅舎に関しては昨年(2014年11月9日)の私のブログで「旧栃木駅の風景」として紹介しました。
(1976年4月撮影、栃木ガス会社北側を通っていた両毛線、現在は県道31号線が通る。)
平成15年(2003)の栃木駅高架化に伴い、駅南へのアクセスが大幅に改善した。それまで沼和田町を抜ける県道153号線(南小林栃木線)は、JR両毛線と東武日光線の二つの踏切を通らなければならず、朝夕の出勤時間帯は渋滞が発生していた。それが現在では何のストレスも感じずに沼和田町に、そして駅南にも行くことが出来る。
(1980年撮影、沼和田東武線踏切) (2013年撮影、元踏切が有った場所)
国土地理院平成25年発行の栃木の地形図を参考に作成した、栃木駅周辺の概略図に鉄道高架化される前の、路線を重ねて見ると、東武日光線は殆ど移動していません。それに比較してJR両毛線は、栃木駅の東側のルートが大きく変わっています。現在は東武線の北側にぴったりと付いて、巴波川を渡っています。その後、従来の交差部付近で東武線の下を潜り、円通寺の北側付近で以前のルートに戻って、南東方向の思川駅に向かいます。
(栃木駅周辺概略図)
※JR両毛線の旧路線位置を朱書き追記。新しく通じた県道31号線、「いっちょう栃木店」北側までJR両毛線の線路が伸びていました。現在「学悠館高校」となっている所は以前は東武線の踏切と、両毛線の踏切との間に挟まれた所で、先に添付した写真に見える様に、「トリウミ味噌」の工場が有りました。
駅南の大平町上牛久(とりせん栃木駅南店の西側付近)に九十九曲り用水が流れていますが、最近まで川岸にはアジサイなどが咲いて長閑な風景でしたが、今は道路も広がり住宅街に変わっています。
(1993年九十九曲用水の奉行橋付近) (2014年大平町上牛久の風景)
現在、栃木翔南高の北側で建設が進んでいる「栃木地区メディカルセンター」が完成すると又、大きく変わって行くでしょう。
駅の西側は昔は、鍋山の石灰会社の倉庫が有り、貨物線を引き込んで貨車への積み込みを行っていたが、現在は「えきまえ公園」と変わっています。
(1976年撮影、両毛線第一佐野踏切より栃木駅構内方向を望む)
(1978年撮影、栃木駅西側の風景) (2014年撮影、栃木駅西側のえきまえ公園)
栃木自動車教習所やその西側も両毛線の高架で風景も大きく変わりました。
(1965年撮影) (2015年撮影)
最後に両毛線と県道31号線(栃木小山線)が交差した踏切に跨線橋が出来た当時の写真が有ります。その頃はまだ両毛線にも蒸気機関車が走っていました。
2015-03-03 23:18
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コメント(3)
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とても懐かしく拝見しました。
ありがとうございます。
新しい駅を見慣れてしまい、以前の駅の場所が自分にはわからなくなっています。
沼和田に住んでいますが、駅まで歩いた道も、今の景色に重ね合わせることができない…。なんだか悲しい。
もっと写真を撮っておけば良かったと後悔しています。
by atsubond (2015-09-11 16:59)
atsubondさんコメントを寄せて頂きありがとうございます。
栃木駅の南側は最近激変していますね。
現在、病院の建物の全容が出来て来て、周辺道路の整備も進んでいます。
それに伴い九十九曲り用水の一部は暗渠化されました。毎日見ていると気が付かない変化も、いつか消えて忘れ去られてしまいます。
街が発展するのは楽しくも有り、又悲しくも有りますね。
by 一味 (2015-09-15 10:53)
一味 さん
TBありがとうございます。おっしゃるとおりです。
私は、沼和田町から第一小学校に通いました。
2つの踏切を越え、いつもホースから水が出ている
豆腐屋の前を通り、大塚書店の交差点から石原、
幸来橋を渡って通学しました。
栃木駅の高架によって駅周辺が激変し、あの景色
の記憶はかなり薄れました。とても寂しく思います。
しかし、
翔南高校の東にある我が家から、夜、西の方向を
見ると、銀河鉄道が!
駅に向かって東武電車が登っていくため、あたかも
空に飛んでいくかのように見えるのです!
一味さんがおっしゃるとおり、町が発展するのは
楽しくもあり、悲しくもありますね。
これからも、時々拝見させていただきます。
by atsubond (2015-09-16 22:59)