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下野国都賀郡榎本宿の事 [栃木市の河川と橋]

下野国都賀郡榎本宿は現在栃木市大平町榎本となる、関東平野の田園地帯の中に有る。
東に筑波山を望み、北西に太平・晃石の山並み、更に遠く日光連山を望むことが出来る。
榎本宿4.jpg榎本宿2.jpg
(東南東方向にそびえる筑波山)         (北西側に連なる太平・晃石の山並み)
日光例幣使街道の犬伏宿と富田宿の間に正規の宿駅ではないが、茂呂宿(現在の和泉)が自然に形成された。そしてこの例幣使街道の茂呂宿から、日光街道の小山宿へ通ずる道筋に当たるのが、榎本宿になります。又、榎本宿は藤岡宿にも通ずる重要な道筋でも有りました。
榎本は榎本城が築城されて以来、本城の小山はもちろん、藤岡・古河方面を結ぶ要地でした。
榎本宿が日光街道とか例幣使街道の様な国道や官道から外れていたとはいえ、以前交通の要地となっていました。
榎本宿略図.jpg
上の地図は、平成14年国土地理院発行二万五千分一の「下野藤岡」の地形図を参考に、大平町榎本付近を説明用略図として表わしたものです。
中央部を北から南に流れる小河川が「杣井木川(そまいきかわ)で、この川と略図左側を同じく北から南に流れている中河川「永野川」とにはさまれた所が、榎本になり、杣井木川の東側が小山市南小林です。この杣井木川が、現在小山市と栃木市との境界線になっています。略図右下に大きく蛇行して流れる中河川が「巴波川」になります。
略図中央を西から東に通っている道路(黄色に着色)が、現在は県道36号線(岩舟・小山線)で、南を通る国道50号線(岩舟小山バイパス)が開通する前は、この通りが国道50号線でした。しかし、この道路も比較的新しく作られたもので、昭和39年国土地理院発行地形図には、描かれていません。地図上に赤ペンで着色した道路が、昭和39年の地図に出ている道路で、この時は榎本の町の中を抜けて、小山市に行っています。この昭和39年の地図では、国道122号線となっています。
永野川に「千部橋」が新旧2本、ほぼ平行に架かっています。下流側の「旧千部橋」(赤色側)の架橋年は1934年で、「新千部橋」の架橋は1962年(昭和37年)です。2年後の昭和39年発行の地図にはまだ反映されていません。
千部橋(旧).jpg千部橋(新).jpg
(永野川に架かる旧千部橋、西南橋詰より)  (永野川に架かる新千部橋、東南橋詰より)
尚、旧千部橋の西側橋詰に石碑と石の祠が祀られています。石碑正面には「千部橋供養」とある。左側面に「享保」の文字が読み取れますので、1720年ごろにはすでにこの場所に粗末ながら橋が架けられていたことが分かります。
榎本宿7.jpg榎本宿8.jpg
(旧千部橋西側より、道路左側に供養塔)   (千部橋供養と陰刻された石塔)
この旧千部橋から東に300m行くと、榎本宿の南北に伸びる道路に出ます。真直ぐな道路が北に500m伸び、道の両側に掘割が作られています。そして道路の両側の屋敷割は栃木宿同様に、間口が狭く奥行きのある短冊状に並んだ家並みが、今も垣間見られます。
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(南の端妙性院参道入口前より北方向を) (道路東側掘割の上に立つ灯篭)
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(立派な蔵や門構えの家)               (道路の脇に建つ半鐘塔)
道路を500m程北上すると、今度は東西に真直ぐ伸びる道路に突き当たります。西側は道路正面に八坂神社が有り、道路は神社の前を北に折れ、200m程先で又永野川の西岸に出る「両明橋」になります。
榎本宿1.jpg2013年5月25日両明橋4.jpg
(西の端八坂神社)                 (永野川に架かる両明橋、西南橋詰より)
東は榎本宿の東の端、南小林との境を成す「杣井木川」に架かる「鍋田橋」まで、600m程の直線道で、道路の両側にはやはり掘割が有り、綺麗な水が流れています。
榎本宿0.jpg榎本宿3.jpg
(西の端八坂神社前から東方向を)          (東の端鍋田橋から西方向を)
この東西に走る道路の両側にも短冊状の屋敷割が認められます。

この榎本宿の北側約500mの所、道の南側に「榎本城跡」の案内板が立っています。
榎本宿9.jpg榎本宿10.jpg
(榎本城跡を記す石塔と案内板)           (榎本城跡の北方、畑が広がる)
≪東は巴波川、杣行川、西は永野川(昔このあたりでは出流川といった)が南流する要害の地にあり、その規模は東西613m、南北396mという複郭の広大な城であった。
永禄元年(1558)小山下野守高朝は小山の出城を榎本に築き、二男の高綱を城主にしたと伝えられているが、当城はすでに弘治年間(1555~1558)には存在していた。≫と、記されています。
また、下野新聞社が昭和50年に発行した「栃木の城」には、
榎本宿13.jpg榎本宿14.jpg
(下野新聞社発行の栃木の城) (文中に掲載されている榎本城の図)
榎本城は、藤原秀郷の十五代の子孫、小山判官宗長が、文治元年(1185)八月十八日小山城の出城として築いたと有ります。

現在は殆ど田畑や宅地と変わり、城跡の面影は有りません。又、榎本宿も新しい国道や県道に交通の主体を奪われ、今では地元住民の生活道路へと変わりました。八坂神社前から南と東に伸びる街道筋を眺めていても、車も人の姿も殆んど見られず、まるで時間が止まったような錯覚に襲われました。


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地元43歳

地元のに伝承を知りたい歳になり偶然にも此方に辿り着きました。

非常に分かりやすく細かい説明に感激しています。
土与在住ですので親近感があり時間をかけてじっくり拝見させていただきます。
素晴らしいサイトのご提供ありがとうございます!
by 地元43歳 (2017-05-07 02:42) 

一味

地元43歳さん、初めまして。
「巴波川日記」へのご訪問、そしてコメントまで寄せて頂き、ありがとうございます。
楽しんで頂けたら幸いです。
by 一味 (2017-05-12 12:31) 

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