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栃木市西方町元の東安寺 [堂々巡り]

今回訪れるのは、栃木市西方町元の東安寺です。
これまでに紹介をしました「長徳寺」や「実相寺」と同じく、「道の駅にしかた」の西方に連なる「城山」(標高221.3m)を含む小高い山なみの東麓、先の二つの寺院の中間位置に有ります。東安寺も東北自動車道の下を抜けなければなりません。特にここ東安寺は高速自動車道を抜けると直ぐそこがお寺の入口になります。その為か東北自動車道のガード入口の手前道路脇に広い駐車スペースが整備されていました。
東安寺0.jpg東安寺5.jpg
車を駐車場に停め、歩いてガード下を抜け、参道の石段を登る。左手に石地蔵が並んでいる。鐘楼堂が有る。右手に家畜小屋か、山羊が一頭私を覗っていた。
東安寺1.jpg東安寺9.jpg
参道は古木の中石段と石畳は苔生し、風情たっぷりでした。
東安寺2.jpg山門を通り、正面の本堂に向かいます。
東安寺3.jpg東安寺4.jpg
参拝をしてから、境内を散策。本堂前に「落慶記念」の石碑が建っています。「東安寺縁起文」と題し、東安寺の成り立ち、歴史、そして本堂再建に関わる話が記されています。
東安寺は文応元年(1260)の創立。開基は宥圓法印。青林山観音院東安寺」と号する真言宗豊山派の寺院。本尊は金色座像金剛界の大日如来です。

由縁は、源義家、奥州征討の時、この地に立ち寄り、不動尊の画軸一幅を納め、賊徒退治の祈願をされたと伝えています。その後、領主西方近江守が大いに帰依し、寺運隆盛に赴いたと有ります。しかし、足利氏の末年領主没落し、郡内大いに乱れ、東安寺も又衰え見る影無きまでに荒廃しました。これに加え、明治11年6月8日、隣村火災の為、不幸にして本尊並びに過去帳のみを残し、堂宇は灰燼となりました。後に壇信徒の良財並びに尽力により速やかに再建復興されましたが、しかし平成17年2月1日、不審火により本尊を含む本堂・庫裏が全焼してしまいました。これを嘆き檀信徒一同、本堂再建を強く懇願し、平成19年10月28日寺観落慶に到りました。(以上碑文より抜粋致しました)

本堂に向かって左手、境内の隅山際に朱塗りのお堂が有りました。
東安寺8.jpg
お堂の前に数本の幟旗が立っています。朱色地に「南無千手観世音菩薩」の文字が白抜きになっています。お堂は向拝付三間四面、東向き銅板葺の立派な物です。正面に「観音堂」と記した扁額が掲げられています。この観音堂は、「都賀三十三観音霊場」の第三十二番札所になります。
東安寺6.jpg東安寺7.jpg
東安寺は西方地区で最も古い寺院と言われています。境内に立つと厳かな空気に包まれる感じがしました。

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