栃木市大平町下皆川の光盛寺 [堂々巡り]
今回訪問するのは、栃木市大平町下皆川の光盛寺です。
大平町史に、光盛寺は山号を「寿福山」と号する、日蓮宗の寺院です。開基は「大運阿闍梨日調聖人」、開山は「慈光院日辰大徳」、本尊は「十界大曼陀羅」と載っておりました。沿革には、≪当山はもと千葉県興津にあり、大本山池上本門寺貫主大運阿闍梨日調聖人の兼務寺であった。明治十六年(1883)当地に慈光院日辰大徳発願して一宇を建立したが、当時新たに寺号公称が認可されず、その為興津在の光盛寺の寺号を譲り受けたものである。当山は開山以来、主として祈祷修法をもって布教伝道に専従し、近郷より多くの改宗檀信徒を帰依せしめて現在に至っている。≫
日調聖人(1428~1501)は池上本門寺第8世になります。
光盛寺の場所は、太平山の東麓を永野川に架かる「二杉橋」の西側交差点から南に進み、JR両毛線大平下駅方面に向かう道路を行くと、臼井産婦人科病院が道路右側に有りますが、光盛寺はこの病院の丁度裏手になります。光盛寺の南隣りには、明治元年創業の大平酒造(株)が有り、蔵造りの建物や高い煙突が目印になります。
大平酒造(株)の脇に参道が伸び、少し高くなった場所に本堂が望めます。
本堂に参拝して境内を散策します。
境内社の並びに、見慣れない石像が祀られています。石像の足元に柄杓が置かれているのは、これで石像に水をあげるという事なのでしょうか。
今後調べてみたいです。宿題を残して光盛寺を後にしました。
大平町史に、光盛寺は山号を「寿福山」と号する、日蓮宗の寺院です。開基は「大運阿闍梨日調聖人」、開山は「慈光院日辰大徳」、本尊は「十界大曼陀羅」と載っておりました。沿革には、≪当山はもと千葉県興津にあり、大本山池上本門寺貫主大運阿闍梨日調聖人の兼務寺であった。明治十六年(1883)当地に慈光院日辰大徳発願して一宇を建立したが、当時新たに寺号公称が認可されず、その為興津在の光盛寺の寺号を譲り受けたものである。当山は開山以来、主として祈祷修法をもって布教伝道に専従し、近郷より多くの改宗檀信徒を帰依せしめて現在に至っている。≫
日調聖人(1428~1501)は池上本門寺第8世になります。
光盛寺の場所は、太平山の東麓を永野川に架かる「二杉橋」の西側交差点から南に進み、JR両毛線大平下駅方面に向かう道路を行くと、臼井産婦人科病院が道路右側に有りますが、光盛寺はこの病院の丁度裏手になります。光盛寺の南隣りには、明治元年創業の大平酒造(株)が有り、蔵造りの建物や高い煙突が目印になります。
大平酒造(株)の脇に参道が伸び、少し高くなった場所に本堂が望めます。
本堂に参拝して境内を散策します。
境内社の並びに、見慣れない石像が祀られています。石像の足元に柄杓が置かれているのは、これで石像に水をあげるという事なのでしょうか。
今後調べてみたいです。宿題を残して光盛寺を後にしました。
2015-06-12 23:11
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