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栃木市湊町の白旗八幡宮と力石 [栃木市の神社]

今日は、昨日の天気とは一転して朝から晴れて、暑い一日となりました。
今日訪れるのは、栃木市湊町白旗山勝泉院の東隣りに祀られた、白旗八幡宮です。
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(白旗八幡宮の南側鳥居前より。左横に見えるのが白旗山勝泉院鐘楼)
もともと白旗山勝泉院は、この白旗八幡宮や片柳村の総鎮守であった二杉神社の別当寺で、貞観年中(859~877)に慈覚大師の開基になると伝え、初めは法泉寺阿弥陀坊と称する修験寺でした。元は栃木女子高校の前に有りましたが、万延元年(1860)に現在地に移転されました。
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(昔は白旗八幡宮の別当寺であった、白旗山勝泉院)
明治四年の神仏分離令でこの勝泉院より分かれました。白旗八幡宮は源義家が、後三年の役の戦勝を祈願した時に、源氏の旗指物の白旗を立て掛けた桜の木、「義家旗掛桜」で有名になりましたが、現在は枯れてしまい、社殿の裏側にただ「旗掛桜」と記した石碑が立つのみです。
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(白旗八幡宮の社殿を東側面から望む。本殿裏に「旗掛桜」の石碑が立つ)
この八幡宮の境内、社殿に向かって左端に台の上に載せられた、米俵より少し小さい楕円形の石が有ります。石の表面に「三十三〆  片柳新田 松本藤兵ヱ  安永二年」と彫られています。
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(白旗八幡宮境内に奉納された力石。石表面に安永二年等の文字が読める)
「〆」は質量の「貫」の略字で、一貫は3.75kgですから、33貫は123.75kgという事になります。米1俵60kgですから、約米俵二個の重さになります。奉納されたのは安永三年と有りますので、1774年となります。
下野史談会の近藤亀吉氏が昭和13年5月発行の「下野史談」に寄稿した「栃木市の力石を見て」と言う小作品が有ります。その中でここ白旗八幡宮の力石と同様の物が、入舟町の大日堂境内にも有ると書いています。以前大日堂へ行った時はその様な力石が有る事には気が付きませんでしたが、今回改めて大日堂へ出向き境内を見直しました。
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(入舟町大日堂境内。松の木の根元長方形の石。力石を載せた台石だった)
有りました。境内の松の木の根元に半分埋まった状態になっていました。又、近くには力石を載せていたと思われる四角い石が2個置かれていました。
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近藤亀吉氏は書いています、≪栃木市入舟町大日尊に詣でし所、堂前に手澤滑らかなる楕円形硬質岩の、台上に横たわるを見て、力石と察したれば巨細に検せしに、台石の南側には「片柳新田 松本藤兵衛奉納力石三十六〆目安永二年とあり、北側には藤兵衛孫為水月院追福万町二丁目松本松蔵大正二年八月とあるを見れば、その際台石を修理せしものとす。≫
どちらの力石も、同じ人が、同じ時期に奉納したものでした。ちなみに白旗八幡宮の力石の台石は、昭和五十七年三月に後裔松本達郎氏が奉納しています。

又、栃木市藤岡町の部屋八幡宮では昔、若衆の奉納相撲が行われ、その為か境内には10個の力石が並べられていると、「ふじおか見てある記」という2002年2月15日に藤岡町教育委員会が発行した小冊子に載っておりましたので、今度機会が有ったら行って見てみたいと思っています。
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白旗八幡宮の参道脇に、季節の花「アジサイ」が咲いていました。秋になるとコスモスの花が彩りを添えてくれます。
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(2013年9月23日撮影、白旗山勝泉院大施餓鬼会の日)
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高島

四日市大学にて体育史学の立場から力石を研究する者です。貴ブログの大日堂(入舟町)の力石写真を入手希望です。画素数の大きな写真を提供していただけないでしょうか。勝手なお願いですが、よろしく御配慮下さい。URLには力石について記載しています。力石情報がございましたら御教示下さい。takashim@za.ztv.ne.jp
by 高島 (2015-12-20 09:06) 

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