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太平山の山頂に登って来ました。 [自然の恵み]

先日、太平山の標高に付いて、地形図にてこれまでの変遷を調べました。
生まれてから今日まで、ずーっと栃木市に籍を置き、朝に夕に太平山を見て来ました。
そして、2年前に退職をしてからは、これまで以上に太平山を眺める機会が多くなりました。
太平山が見える時は、雨に成らないと一人確信をしています。
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小学校・中学校そして高校と校歌の中には、いつも「太平山」の歌詞が有りました。
 小学校校歌:夏雲もえる「太平山」に この声この歌こだまを返す・・・・・・。
 中学校校歌:「太平山」に見はるかす、豊けき広野 栄えあり・・・・・。
 高校校歌 :広やかに光る空、晴れやかに躍る胸、「太平山」のみどりにも・・・・・・。

そんな身近な「太平山」ですが、これまで一度も山頂まで登った事が有りませんでした。
山頂近くまでは登っているのですが、意識してここが太平山の山頂と確認した記憶が有りません。
岩船山から晃石山・太平山へと尾根伝いに歩くハイキングコースも子供の頃数回歩きましたが、太平山頂は登っていなかったと思います。
そこで今回、「太平山」山頂に意識的に登って来ました。
最近、登り道はとても苦手で直ぐ息が切れてしまう為、とても下からは登れません。車で見晴台駐車場まで行き、そこから登る事にしました。
まず、太平山神社にお参りをして、本殿と見晴台の中間辺り、境内社が並ぶ右の端に、「奥宮入口(徒歩5分)浅間山・晃石山方面」と記した案内板が立っています。その脇から山に登る道が有ります。
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太陽が照り付けている境内と違い、登山道は木々に覆われ少し涼しく感じます。
少し登ると道路の左手にしめ縄がはられた分かれ道が有り、「奥宮入口」の案内が出ています。しめ縄を潜り中に入ります。奥に石の祠が祀られています。脇に「太平山神社奥宮」の説明文を記した案内板が立てられています。
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ご祭神は「天目一大神(あめのまひとつのおおかみ)」。ご神徳は「天下太平・製鉄関係の産業の発展・緒願成就」となっていました。
お参りをして、祠の裏手から元の登山道に戻ります。少し行くと岩肌の剥き出た箇所が有りますが、そこを通り抜け更にしばらく山道を進んで行きますと、又分かれ道に出ます。
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今度は右の道にしめ縄が張って有ります。脇に道しるべが有り、右側が「富士浅間神社0.1km」左側が「晃石山1.8km」と有りましたので、右の神社方面を選びます。
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しめ縄の張られた道の脇に、円柱状の石材が横たえてあります。おそらく以前この場所に建てられていた鳥居のものと思われます。
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しめ縄を潜り先に進みます。道路に岩が露出して歩きにくくなります。足場に気を付けて登ると、社殿が建つ開けた場所に出ました。
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この場所が地形図に鳥居の地図記号が描かれている、太平山の山頂部分です。
広場の脇に「富士浅間神社・太平山城」の案内板が建てられています。
太平山の山頂は、この富士浅間神社裏手の少し高くなっている所で、脇に木の幹に「太平山 341m」と記した木札が付けられています。
太平山13.jpg太平山14.jpg
最新の栃木の地形図に記されている、「太平山」341mの高さを今、実際に確認して来ました。しかし、現地は現在木々が生い茂り、周囲を見晴らす事が出来ない状態になっています。
中世の時代に、皆川城の支城として築かれた太平山城(別名富士山城)は、天正十二年(1584)北条氏直の軍勢が山麓に火をかけた為に落城、一時占領をされてしまいました。その当時はきっと関東平野を一望できる場所で有ったものと想像します。
太平山神社から約400m、歩いて20分の場所でした。



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