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栃木市の道路元標 [石碑]

「日本橋」は日本人であれば誰もが良く知っている、日本の代表的な橋です。橋の南西詰にこの「日本橋」についての説明板が建てられています。
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説明文には
①日本橋が初めて架けられたのは、徳川家康が幕府を開いた慶長八年(1603)と伝えられている。
②そして、幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋としました。
③現在の日本橋は東京市により、石造り二連アーチの道路橋として、明治44年に完成しました。
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(現在の日本橋、下を流れるのが日本橋川、上を走るのが首都高速都心環状線)
④橋銘は第15代将軍徳川慶喜の筆によります。
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⑤青銅の照明灯装飾品の麒麟は、東京市の繁栄を、獅子は守護を表わしています。
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(日本橋の親柱の上に建つ獅子。その獅子が右手で支えているのは東京市章です。)
⑥橋の中央に有る「日本国道路元標」は、昭和42年に都電の廃止に伴い道路整備が行われたのを契機に、昭和47年に柱からプレートに変更されました。プレートの文字は当時の総理大臣佐藤栄作の筆によるものです。
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(写真は橋の北西詰に設置されている複製です。本物は車道の中央の為撮影困難)
と説明されています。

明治六年(1873)12月20日、政府は太政官達第413号により各府県ごと「里程元標」を設け陸地の道程の調査を命じています。明治四十四年(1911)に現在の日本橋が架けられたとき「東京市道路元標」が設置され、大正八年(1919)の旧道路法では各市町村に一個づつ道路元標を設置することとされました。

栃木町の道路元標は、栃木市倭町大通り、足利銀行栃木支店の交差点に建っています。一辺が25cm高さ60cmの四角柱で上面に少し丸味を付け、大通りに面した側面に「栃木町道路元標」と彫られてます。
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(写真の左端に建つ「栃木町道路元標」)          (道路元標を拡大した写真)
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