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西新井駅から越谷駅まで歩く [歩く]

今日も、昨日に続き東武日光線(東武スカイツリーライン)沿線を歩きました。昨日の小春日和とは違い今日は雨の降る確率が40%程度との予報でしたが、時間も取れ昨日の足の疲れも無かったので、決行をしました。
今日は、西新井駅まで電車で行き、東武沿線を北に歩く事としました。西新井駅から浅草駅までは、昨年の暮12月27日に一度歩いていますから。
今回は電車に乗る時間が長い為、早や目に家を出る事にしました。と言っても新栃木駅発11時27分の普通電車南栗橋行きに乗るのが精一杯で、南栗橋で乗り継いで、西新井駅から歩き始めたのは、13時を過ぎていました。
新栃木駅全景.jpg東武電車.jpg
(新栃木駅から途中南栗橋乗り換えで、西新井駅まで)
栃木を出発する頃は、まだ雨は降っていませんでしたが、途中で電車のワイパーが動き出していました。西新井駅東口前から、雨傘を開いて歩き出しました。寒くは有りません。
西新井駅.jpg環七通り.jpg
(西新井駅東口の駅前)                   (環七通りの歩道橋を渡る)
環七通りの「島根歩道橋」を渡り、都道103号線(旧日光道中)を北上します。
増田橋跡交差点へ.jpg
(都道103号線、旧日光道中を北に向かって行く)
増田橋の五差路交差点の東南角に石の道標が建っています。歩道側正面に「増田橋跡 北へ旧日光道中」と刻されています。道標の東側の側面には「西へ 旧赤山道」となっています。
増田橋跡旧日光道中道標.jpg赤山道.jpg
(増田橋五差路の東南角に建つ道標)
「旧赤山街道」はここ旧日光街道の増田橋から北西に向かう道で、かっては譜代藩の城下町岩槻へ至る道で「岩槻道」と呼ばれていましたが、関東郡代伊奈氏の陣屋が足立郡赤山村(現在の埼玉県川口市)に造られた為「赤山道」と呼ばれるようになりました(「あだち観光ネット」より)。又、増田橋跡と言う地名は赤山道に沿って流れて来た、見沼代用水千住堀と竹ノ塚堀がこの地点で日光道中に沿って流れる時、赤山道の北側を流れる竹ノ塚堀は、日光道中を横切る為、日光道中に橋が架けられたのが「増田橋」でした。現在は残っていません。
ここから日光道中を北に進みたかったのですが、道路が少し狭く歩道が見当たらなかったので、安全優先でそこから東に折れて、東側を南北に通る国道4号線を歩く事にしました。道路沿いに「十勝甘納豆本舗」のお店を見つけたので、糖分補給として「栗どら」と「甘納豆」一袋を購入しました。
暫く歩くと分岐点に差し掛かります。国道4号線は左方向にカーブして行きますが、ここで真直ぐ北に向かう都道49号線を歩く事にします。
するとしばらく歩いたその先で、増田橋交差点を北に直進した旧日光道中が、左側から合流して来ました。また、日光道中に戻ったようです。そしてその先で「毛長川」と言う小河川を渡ると、その先は東京都から離れ、埼玉県草加市へと入って来ました。
毛長川.jpg埼玉県草加市入口.jpg
(毛長川に架かる橋を渡ると、前方に「埼玉県」「草加市」の標識が見えてくる)
先ほどの増田橋交差点辺りが、千住宿と草加宿のほぼ中間点に当たっていて、「立場」として賑わっていた所だそうです。暫らく歩いた所に又分岐が現れ分岐点に新しい大きな「今様草加宿」と記した道標が建っています。
今様草加宿.jpg国道49号線標識.jpg
(今様草加宿と記した大きな道標)        
ここでも安全を考え広くて歩道を完備した右手の道を選びます。(帰宅後調べると旧日光道中は細い左手の道でした。)草加と言えば「おせんべい」。先ほどから道路の両側に草加せんべいの店舗が多く見られます。
神明町の丁字路の角に小さい公園が有り、銅像が建てられています。正面に近づいて見ると、「河合曾良像」の銘板が台石に付いていました。公園脇に草加市役所で建てた解説板が建てられています。「松尾芭蕉翁像と河合曾良像」と有ります。それによると近くに芭蕉翁の銅像も有りそうです。
河合曽良像.jpg草加市解説版.jpg
(河合曾良の銅像)    (銅像についての解説文が英語の他点字でも紹介されている)
ここですでに時間は15時近くなってしまいました。まだ昼食を食べていません。少し疲れも出て来たので近くの中華店に入り食事にしました。
食事を済ませて店を出ると、雨が止んでいました。歩き出すと直ぐ県道49号線は「伝右川(でんうがわ)」に架かる、「草加六丁目橋」を渡ります。
草加六丁目橋.jpg望楼.jpg
(草加六丁目橋の親柱)                   (草加松原南端に建つ望楼)
道路の右側に立派な松並木が現れました。松並木の東側には「綾瀬川」がゆったりと流れています。松並木の中は遊歩道の様に整備がされ、ゆっくりと歩くのに最適です。
南の端に草加市が一望できると言う高さ11.1mの木造の望楼が有りました。内部に入れるようでしたが、先を進む事にしました。その望楼の近くに「松尾芭蕉翁」の銅像が建てられています。
松尾芭蕉見返りの像.jpg矢立橋上より.jpg
(南、千住方面を振り返って見る芭蕉翁の銅像)(「矢立橋」と名付けられた歩道橋の上より)
綾瀬川右岸の松並木を北に向かって歩いて行きます。松並木の街道に沿って、幾つも石碑が建てられています。「日本の道百選 日光街道 草加松原」の大きな石碑が有りました。埼玉県の県土を宿尺37,000分の1の形にかたどりされています。「日本の道100選」の顕彰プレートは、草加市の位置に設置されているとの説明碑が脇に建っていました。日本の道100選草加松原.jpg草加街道絵巻.jpg
(日本の道百選の顕彰碑)           (矢立橋の橋床に埋め込まれた街道絵巻)
松並木を快調に歩いて行くと、松尾芭蕉の句碑「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」が建てられています。
芭蕉句碑(草加松原).jpg松尾芭蕉文学碑.jpg
(松尾芭蕉の句碑)                (松尾芭蕉文学碑)
ここ「草加松原」は、平成26年3月18日に「おくのほそ道の風景地」として国指定名勝となっています。その記念碑も建立されていました。
国指定名勝記念碑1.jpg国指定名勝記念碑2.jpg
(国指定名勝記念碑)             (国指定名勝「草加松原」顕彰碑)
多くの石碑等に目を奪われ、思うように先に進めませんが、16時を過ぎる頃にやっと公園の北の端に着きました。前方に「東京外環自動車道」が見えて来ました。
東京外環道路.jpg
(草加松原の遊歩道の北端。前方に東京外環自動車道がよこぎっている)
外環道の下を抜け更に綾瀬川に沿って進むと、県道49号線が綾瀬川を渡る「綾瀬橋」の南橋詰に出ました。この「綾瀬橋」を渡ると、草加市から越谷市に変わります。
越谷市へ.jpg
(綾瀬橋を渡る先に「越谷市」の標識が見える)
県道49号線を真直ぐ北に向かいます。道路の西方を道路とほぼ並行して、東武スカイツリーラインが走っています。以前は東武伊勢崎線だったのでしょうが、栃木市民としては「東武日光線」と呼んだ方が馴染みが有るのは私だけでしょうか。蒲生駅入口交差点を過ぎる頃から街灯が点灯を始めました。前方に武蔵野線のガードが見えてきます。
武蔵野線ガード.jpg
(新越谷駅入口付近。前方に武蔵野線のガードを望む)
やはり暗くなると少し心細くなってきます。昨日同様今日も19時頃まで頑張って歩こうと心に言い聞かせていましたが、越谷駅を過ぎる頃、又ポツリポツリと雨が落ちてきてしまいました。
今日はここまでとして、越谷駅に向かい、新栃木に到着したのは19時でした。
越谷駅前.jpg新栃木駅ゴール.jpg
(越谷駅東口駅前)                   (新栃木駅前ロータリー)
本日の総徒歩数は27,647歩でした。



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