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京都三条大橋の橋詰に建つ駅伝発祥の地の碑 [石碑]

京都三条大橋は東海道五十三次終点の地に成ります。
京都鴨川に架かるこの橋の西橋詰には、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」の二人の主人公、弥次さんと喜多さんの像が建てられています。そしてその前で多くの観光客が、記念写真を撮りあっています。
京都三条大橋.jpg弥次喜多の像.jpg
(擬宝珠を載せた京都三条大橋の高欄)    (西橋詰に建っている弥次さん喜多さんの像)
一方、丁度その反対側東橋詰に、ひっそりと駅伝発祥の地を記念した碑が建てられています。
台座部分に大きく「駅伝の碑」、その下にスタート地「三条大橋」からゴール地「東京上野不忍池」、そしてその間22箇所の中継点の名前が刻されています。
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(京都三条大橋東橋詰に、2002年日本陸上競技連盟によって建てられた「駅伝の碑」)
そして台座の上、碑のデザイン、これは襷を表わしているのでしょうか。何となくカタツムリの形にも見えますが。碑文は、
≪駅伝の歴史ここに始まる≫と題して、≪我が国、最初の駅伝は、奠都五十周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が大正6(1917)年4月27日、28日、29日の3日間にわたり開催された。スタートは、ここ京都・三条大橋、ゴールは、東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。≫と記されて、襷を掛けた二人のランナーの走る姿をシルエットで描いて有ります。
同じ内容の碑が、ゴール地点の東京上野不忍池のほとりにも、建てられているそうです。
碑文にも有る様に、競技としての最初の駅伝とされるこの大会は、この三条大橋を午後2時に出発、東京上野不忍池までの23区間、約508キロメートルを昼夜問わず走り抜けるもので、ゴールに到着したのは翌々日の午前11時34分だったそうです。
「駅伝」の名前は、開催に当たり当時の大日本体育協会副会長及び神宮皇學館長、武田千代三郎が名付けました。江戸時代の伝馬制からヒントを得たと言われています。
来年2017年は、この最初の駅伝競走が開催されてから、丁度100年目と言う節目の年と成ります。

12月に入って毎週末には、日本のどこかで駅伝大会が開かれる季節に成りました。1月2日・3日に開催される「箱根駅伝」の話題も今から色々とニュースになっていて、どの大学が優勝をするのか、注目選手は誰かなど、早くも盛り上がっています。
箱根駅伝・絆の像1.jpg箱根駅伝歴代優勝校掲示板.jpg
(読売新聞社・社屋前に建つ箱根駅伝「絆」のブロンズ像)(歴代優勝校の銘板がならぶ)

その前、この12月25日には、「全国高等学校駅伝競走大会」が、京都市西京極総合運動公園陸上競技場をスタート・ゴールに、全国各都道府県の高校生の代表選手が夢の都大路を走り抜けます。
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(京都・西京極陸上競技場でゴールする選手を待つ観衆)
今年の栃木県代表は男子が「佐野日本大学高等学校」、女子が「白鷗大学足利高等学校」が、さる11月3日の栃木県大会にて代表の座を獲得しています。
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(各出場高校を応援する幟旗が立ち並ぶ西京極陸上競技場スタンド)

男子代表の佐野日本大学高等学校は那須拓陽高等学校に遅れ2位でゴールをしています。しかし、1位の失格による繰り上がりという思わぬ形で3年ぶりの栄冠を手にしたのでした。
翌日の下野新聞の記事には≪閉会式で優勝旗を手渡されても、報道陣にカメラを向けられても一度は「完敗」を受け入れた選手たちの表情に笑顔はない。それでも各自が口にしたのは「責任」の2文字。「那須拓陽のためにも全国大会で結果を出すしかない」と大森主将。ライバルの思いも背負って都大路を駆け抜ける。≫と載っていました。
結果として佐野日本大学高等学校は、3年ぶり15回目の優勝を果たし、都大路への切符を獲得しています。北関東枠代表と合わせ4年連続17回目の全国出場。昨年、一昨年の都大路では不本意な結果でしたので、今年は日頃の練習の成果を大いに発揮しての力走を期待したいと思います。
全国高校駅伝3.jpg
(西京極陸上競技場でスクールカラーの小旗を持って応援する佐野日大高校の応援団)

栃木県女子代表の白鷗大学足利高校の選手の皆さんは、3年連続3回目の出場です。実力を出し切って念願の都大路を襷を繋いで駆け抜けて下さい。

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