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壬生町の道路元標について [石碑]

下都賀郡壬生町は、慶安4年(1651)に作られた「下野一国」に記された、下野国の五つの大道筋の内の2街道が交差する、江戸時代からの交通の要衝です。
壬生の町を南から北に抜け、更にその北側で向きを90度西に変え、その後北北西方向に進んで鹿沼へ至る、「日光西街道」(日光道中壬生通りとも呼ばれる)と、栃木と宇都宮とを結ぶ街道の2街道です。
東京方面から壬生町に来るには「日光街道」を北進、小山の市街地を抜けた喜沢の分岐で「日光街道」から外れ左方向へ、雑木林の中の道「日光西街道」(現在は栃木県道18号線です)を進みます。
飯塚宿1.jpg花見が岡1.jpg
(日光西街道飯塚宿付近)             (日光西街道花見が丘付近)
姿川を渡った後思川の左岸(東側)を北上、飯塚宿を抜け国分寺跡を右手奥に見ながら、花見が丘の交差点を通過すると、壬生町の入口となる黒川に架かる「御成橋」が見えてきます。
御成橋(黒川).jpg壬生一里塚1.jpg
(黒川に架かる「御成橋」、この辺りが壬生下河岸)    (国指定史跡「壬生一里塚」)
御成橋を渡ると街道の右側が「壬生町元町」、街道左側が「壬生町表町」。
道路の左側に用水堀、途中で道路の右側に移ります。その先で道路左側に国指定史跡の「壬生一里塚」が現れます。脇に壬生町教育委員会が建てた説明板によると、
≪壬生の一里塚は、「日光道中壬生通」に設けられた一里塚の一つで、日本橋から数えて23里目(約96km)にあたります。(中略)壬生の一里塚は、この地が壬生城の入り口に当たるため、将軍の日光社参の際は壬生の城主はここに出迎えるのを例にしたと言われています。≫と記しています。
東武宇都宮線の踏切を過ぎると、道路左側は「壬生町本丸二丁目」右側は「壬生町中央町」と町名が変わります。踏切から北側50メートルの交差点を左に折れると、思川を渡って栃木市に入ります。
この交差点の手前、道路と歩道の境に「壬生町道路元標」が建てられています。大正11年8月18日内務省令第20号「道路元標ニ関スル件」の第三条に、「道路元標ハ其ノ位置ヲ表示スル為道路ニ面シ最近距離ニ於テ路端ニ之ヲ建設スヘシ」と定めている通りに建てられています。
その為か、その表面には車が擦ったと思われる横筋が付いています。
壬生町道路元標2.jpg壬生町道路元標1.jpg
(写真右下に道路元標、交差点を左に曲ると栃木へ至る)   (壬生町道路元標の正面)
道路元標の設置場所を記した、壬生町の明治時代の道路状況を略図で表してみました。
明治初期壬生町略図1.jpg
(明治期の壬生町の道路の様子を略図にしました。道路元標は赤の印を付けました)
当然まだ東武鉄道は有りません。町の中央部に壬生城跡、町内には5つの寺院が認められます。
壬生城址公園2.jpg壬生城址公園1.jpg
(壬生城址は現在中央公民館や図書館、歴史民俗資料館が建つ、城址公園に成っています)
町の南側で西側から「日光西街道」に合わさった「宇都宮・栃木道街道」は、町の北側で東に折れて黒川を渡った後北方向に向きを変え宇都宮へ至ります。
黒川に架かる橋は「東雲橋」と言い以前より桜の名所に成っています。
東雲の桜1.jpg
(黒川に架かる「東雲橋」と桜の花、2015年4月1日撮影)

※今回参考にさせて頂いた文献は、栃木県文化協会発行「栃木の街道」です。

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