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佐野市葛生、街歩き [歩く]

先日、久しぶりに葛生の街中を散策しました。
2005年2月28日に、佐野市と田沼町と合併して葛生町と言う町名は今は無くなっています。
栃木市の皆川地区の西に南北に連なる、標高300から400メートルの山々の稜線が現在も、栃木市と佐野市の境界であり、昔からその境界のひとつに、琴平神社が祀られています。
私が葛生町を最初に訪れたのは、高校3年の時に遡ります。高校1年の夏休みに、自動二輪車の運転免許を取得したことと、高校で葛生から通学する友が出来た事も有り、初めて尻内から現在の国道293号のルートをバイクでとばしました。当時は会沢トンネルはまだ有りませんでしたから、会沢峠を越えて行きました。
石灰の街葛生1.jpg
(1968年撮影、石灰工業の街葛生を最初に訪れた時)
今回は、葛生の市街地の中心に出来た、「葛生ポケットパーク」の駐車場に車を停めさせて頂き、街中を散策しました。
葛生ポケットパーク.jpg
(葛生の街の中央に有る、「葛生ポケットパーク」)
葛生の市街地の中央を、ほぼ南北に通る県道123号線(葛生停車場線)は、現在北側「嘉多山公園南」交差点から、南側葛生駅入口交差点付近までの約1キロメートルの区間、電線の地下埋設が行われて、すっきりとした街並みと成っていました。
この市街地中心の道路は、街の西側を流れる秋山川の右岸(西側)を通る「葛生バイパス」が開通する前は、国道293号でした。
この地域の空中写真で私達が閲覧可能な最も年代の古いものは、昭和22年(1947)11月1日の米軍撮影の写真に成ります。
その空中写真を観察すると先ほどの「嘉多山公園南」交差点付近から南側「葛生駅入口」交差点付近までの区間、周辺道路と比較してはるかに広い道路が確認出来、その道路の両側に短冊状の屋敷割と成る家並みがぎっしりと続いています。
そんな中心道路を歩いて行くと、新しい立派なお屋敷と、大正から昭和初期ごろと思われる土蔵作りの建物がポツリポツリと残っています。
市街地風景1.jpg市街地風景4.jpg
市街地風景3.jpg市街地風景2.jpg
(葛生の中央の通りを散策して、目にした趣のある建物と風景)

通りの南側「葛生本町」交差点の南東側角に、葛生町道路元標と刻した石柱が残っていました。この交差点で、北から来て西に折れ秋山川に架かる「天神橋」を渡るルートが、以前の国道293号ですが、それ以前からこの交差点は各方面に向かう道路の要と成るポイントだったのです。
道路元標1.jpg道路元標2.jpg
(葛生町道路元標が、シッカリした姿で設置されています)
逆に通りを北側に歩いて行くと、道路は小高い山の階段の正面で突き当たります。ここは市街地の北の端に当たり、現在は「嘉多山公園」と成っています。
恥ずかしい事ですが、私はこの公園の名前をこれまでずっと「喜多山公園」と思っていました。市街地の北側に有るからそれをもじって「喜多」としたものと勝手に解釈をしていました。
この公園に初めて来たのも結構前に成ります。昭和47年(1972)12月です。その時公園で撮影した「子供二人がより添って座る像」の写真が私のアルバムに残っていました。今回訪れてその像を探してみましたが、確認できませんでした。
1972年12月葛生喜多山公園.jpg
(1972年12月撮影、「嘉多山公園」から南方向、原人ロードが見える)
子供がまだ小さかった頃も何度かこの公園に連れて来た事が有ります。階段を上がった所に、子供の遊び場が有ってそこに「タコ」の形のピンク色の滑り台が有り、子供達も喜んで遊んでいました。その滑り台も無くなっていました。
1990年6月葛生喜多山公園.jpg
(1990年6月撮影、子供達が喜んで遊んだ、ピンクのタコの滑り台)
今、その場所には、大正4年英国ベーヤピーコック社製造の四輪連結テンダー型機関車が展示されています。この機関車は東武佐野線にて活躍したもので、昭和41年11月東武鉄道佐野線の全線電化で引退したものと脇に建つ掲示板に記されていました。
嘉多山公園1.jpg
(現在の公園に展示されている、蒸気機関車。横の滑り台が昔のタコの名残りか?)
尚公園内には「吉澤石灰工業発祥の地」と記した石碑や、「吉澤兵左翁」の銅像が建てられています。
吉澤石灰工業㈱発祥の地碑.jpg吉澤兵左翁の銅像.jpg
(公園内に建てられた記念碑や銅像)
この公園は元吉澤石灰工業の石灰製造の場所と言い、近くに明治時代から大正5年頃まで石灰石を焼き石灰を製造した「七輪窯」の跡も残されていました。
七輪窯1.jpg七輪窯2.jpg
(石灰岩を焼くための「七輪窯」の跡)
尚、先ほど記した昭和24年撮影の空中写真には、この嘉多山公園前から「嘉多山公園南」交差点間に道路は無く、一面田畑だけが広がっています。他に昭和36年5月13日撮影の空中写真では景色は一変して、道路が縦横に走り、住宅が密集しています。
新たに出来た「嘉多山公園」前からの道路は、「原人ロード」と名付けられ、平成6年7月に「ふるさとを紹介する道」として、「手づくり郷土賞」を受賞している様です。以前は、この「嘉多山公園」前のこの道路を発着点として、「葛生原人マラソン大会」がおこなわれていて、私の息子が中学生の時、一度このマラソン大会に参加をしています。雨が降るあいにくの天候でしたが無事に走りきってくれました。
原人ロード受賞プレート.jpg1999年4月葛生原人マラソン大会.jpg
(公園入口階段脇の「手づくり郷土賞」の記念銘板」「葛生原人マラソン大会スタート風景)

葛生の街は私にとっても、思い出の多い場所です。思い出を探りながら、街の中を散策する事が出来ました。



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