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皆川城と金剛寺 [堂々巡り]

今日、栃木市皆川城内町の皆川城祉と皆川家の菩提寺「慈眼山護国院金剛寺」に行ってきました。
皆川城は標高147mの平山城で別名をその形から「ほら貝城」とも呼ばれています。
築城したのは室町時代皆川氏を名乗った長沼秀宗と言われています。
山の南麓には現在皆川地区公民館が建っていますが、皆川城の桝形に建てられたそうです。
この場所の標高は約60m前後ですから、本丸の有った山頂までの比高はおおよそ90m弱となります。
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城跡は現在城址公園として地元の人達が一生懸命に草刈り等の整備をしているという事で、「竪堀」や「虎口」なども良く分かり、登り易くもなっています。
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ただ、今日は10月下旬と言うものの太陽が照りつけ暑い上に、さすが山城だけの事が有り、予想外に登るのもきつく感じました。
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それでも山頂の本丸跡に建てられた櫓状の展望台に上がると、360度の眺望が開け、南の方向を見ると中央右手に皆川中学校の校舎、その手前に藤川が右から左方向に流れ、更にその手前に藤川に合流する柏倉川が流れている。遠方を見ると東北自動車道その奥に「大平山」や「晃石山」の山並みが連なっています。
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東を望むと中央に皆川城東小、そのグランドの更に右側に木々に囲まれたグランドが有る。ここは東宮神社の裏手に有り昔は流鏑馬や草競馬などが行われた所である。
その奥に東北自動車道が北に向かっている。その奥が栃木の市街地そして関東平野が広がり、地平線が霞んでいる。
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北に目を転じれば皆川城カントリー倶楽部。その向こうに仲方町の街並み、そして都賀町との境の山となります。
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西側は山間を一本の道が伸びています。県道126号線(栃木田沼泉)です。
山向こうは佐野市(旧葛生町)で、峠越えの途中にその昔栄えたという琴平神社が有ります。
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山を下りて皆川家の菩提寺「慈眼山護国院金剛寺」に向かいます。
資料によると、小山氏の遠孫「長沼秀宗」公が会津田島の所領を没収され、縁故を頼って此の皆川に永享元年(1429年)に移り住んだ。そして嗣子「氏秀」公と共に観音山(今の城山)に城を築いた際に、秀宗公の母堂の隠居所として尻内村の駒岡に有った廃寺を現在地に移し、皆川家代々の菩提所と定めた。との事。
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寺の境内の左手の方向に「皆川家歴代祖廟」が有り、ここには上記の「長沼秀宗」公を初祖とし、その子「氏秀」公より皆川姓を名乗ったことで初代となっておりました。建ち並ぶ墓碑の形式を見る事によって時代差を知ることが出来るという事です。

尚、「皆川広照」公が本寺に寄進したと伝える「皆川広照着用具足」(南蛮鎧兜)を見る事が出来ました。
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