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慈覚大師誕生の地と高平寺 [堂々巡り]

慈覚大師円仁誕生の地と伝えられるのは現在二ヶ所有ります。下都賀郡壬生町の壬生寺と、栃木市岩舟町下津原です。今回訪ねるのは後者の岩舟町下津原です。ここは三毳山の東麓に当たります。
三毳山の北側を東西に走る県道67号線の佐野市と栃木市の境の直ぐ東側に南に入る細い道が有ります。入口の左角に石柱が有り正面に「天台二祖 慈覺大師誕生霊蹟地道」と記されています。右側面には「明治四十五年五月 下都賀郡岩舟村大字下津原」と陰刻してあります。
少し入ると左手に広い駐車場が整備されて有ります。そして右手の山裾が慈覚大師誕生の地と伝える場所になります。駐車場より東方向を眺めると、前方左手に岩船山が岩肌を露わに見えます。その昔は手前の人家などなく一面の原野に岩船山がより強烈にそこにそびえていたのでしょう。小さかった頃の円仁少年この下津原でどのような気持ちでこの風景を眺めたのでしょう。
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はそれでは誕生の地と伝える手洗窪に行きます。
昭和47年4月に岩舟町教育委員会が設置した案内板が有ります。
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三毳山をバックに木立の中左より間口二間の堂宇。「高平寺別院 誕生寺」、その右側に2.5mは有りますか石碑が建っています。上部に「慈覺大師誕生霊蹟」と有ります。天台第243世座主「山岡観澄」大僧正が記されたものです。下に書かれている文章は漢文の様でとても私には読み取ることは出来ません。左下に「真宗講師 文學博士 南條文雄 撰」と有ります。
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その石碑の右に「慈覚大師円仁之像」その後ろに「慈覚大師生誕千二百年記念」の碑、そして右手前に宝塔が建っています。
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お堂の前方には危険防止の鉄柵に囲まれた古い井戸。この井戸の水で大師が産湯を使われたと、伝えられています。今この付近の地名は「手洗窪」ですが、昔は「盥窪」と言われていたそうです。

ここより南に約1.5km程行った山裾に「高岡山 法幢院 高平寺」真言宗豊山派の寺院が有ります。慈覚大師円仁が岩舟町小野寺に有る「大慈寺」に弟子として入る前、9歳までこの寺に留まり養育されたと言われています。
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大平町のぶどう団地を抜けた道路をそのまま南進、とちぎ花センターに向かう道路の西側山裾に見える寺院で入り口の道路脇に石仏が建っております。
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正面に山門。山門に向かって右手に庫裏、左手に鐘楼が見えます。
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山門を潜ると正面に本堂、その裏手に池が有りますが、「大師行の井」や「面相智水」等の旧跡を記す案内板が建てられております。その裏手に「不動堂」そして墓地になります。
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その奥の山の中腹、階段を登って行くと、水子供養の像やぼけ封じ観音像が建てられております。
「関東ぼけ封じ観音霊場 20番札所」になっております。

又、この高平寺と先ほどの誕生寺の中間あたりに、もう一つお堂が建っております。
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観音堂で、ここは元「佐野三十三観音霊場」 第九番札所となっていた「明星山 不動院」の跡との立札が有りました。木々に囲まれた境内には石仏がひっそりと建っておりました。
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