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足尾銅山(2002年2月) [懐かしい写真]

昨今、廃墟ブームと言う言葉に出合う事が良くある。一時テレビで取り上げられていた、長崎の端島(通称軍艦島)は明治時代から昭和時代にかけて、海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していた。昭和四十九年(1974)の閉山に伴って、島民が島を離れてからは無人島になっているが、平成二十一年(2009)一月に「九州・山口近代化産業遺跡群」の一部として、世界遺産暫定リストに追加記載されるに至っています。
我が栃木県においても地元日光市(旧足尾町)を中心に、足尾銅山の世界遺産登録を目指して、平成17年(2005)から活動をしている事を知りました。
私も田中正造や足尾鉱毒事件の話から、以前から足尾の町には興味が有りました。このブログにても、今年の1月31日に栃木県内にて最初の鉄製橋梁としての「古河橋」について少し書きましたが、2002年2月頃何度か足尾町を訪れました。その時に撮影をした物を何点か紹介いたします。
2002年足尾製錬㈱全景.jpg2002年足尾製錬㈱.jpg2002年足尾.jpg
(松木川<現在は渡良瀬川>の右岸に沿って立ち並ぶ、足尾製錬(株)の建屋群)
2002年仁田元沢水管橋1.jpg2002年仁田元沢水管橋2.jpg
(渡良瀬川の上流、三川合流点に架かる仁田元沢水管橋)
2002年足尾通洞変電所.jpg2002年足尾通洞変電所2.jpg
(足尾通洞変電所)
2002年足尾通洞動力所.jpg2002年足尾木橋.jpg
(足尾通洞動力所)               (本山坑に向かう途中、沢に架かる廃橋)
2002年足尾古河掛水俱楽部.jpg
(掛水俱楽部近くに有る赤煉瓦倉庫)
まだ13年しかたっていませんが、その当時足尾銅山の建物はかなり廃墟化が進んでいる様に見えましたが、現在の状況は分かっていません。足尾製錬(株)の工場建屋は殆ど解体撤去されたと聞いています。少し陽気が良くなったら又、出かけて見たいと思っております。
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