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栃木市千塚町の平等院 [堂々巡り]

今回訪れるのは、栃木市千塚町の平等院です。
正式には「大悲山 平等院 大安寺」と号する、真言宗豊山派の寺院です。本尊は大日如来。建久二年(1191)三月の建立と伝えています。
平等院の位置説明用の栃木市千塚町の概略図を作成しました。
平等院案内図.jpg
地図の右上に斜めに少し見えている広い道路が、県道32号線(栃木粕尾線・通称鍋山街道)で、その下に有る学校が「栃木市立千塚小学校」で、八角錐の屋根の塔を備えたクリーム色ベースの童話本の中の建物の様な目立つ校舎の北側を西に続く広い道路を進みます。
平等院10.jpg平等院11.jpg
暫らく行くと永野川に架かる「千塚橋」に出ますので、渡って100m程の所の交差点を左の細い道に入り、道なりに進むと目的の平等院の参道前に出ます。
平等院1.jpg
私が最初に平等院を訪れたのは2013年9月28日、丁度お寺では、大施餓鬼会が執り行われていて、本堂は檀家の皆さんが、参集しておりました。
平等院8.jpg
本堂に向かって左手に、東向き間口三間奥行二間半、向拝付の堂宇が建っています。正面欄間に「千手観世音」の扁額が掲げられています。
平等院7.jpg平等院6.jpg
お堂の北側には歴代住職のお墓があります。
平等院5.jpg
又、本堂の裏手には、昨日紹介した鍋山町西方寺のブログの中で載せた、不摩城を築いた「戸矢子七郎有綱」の墓が有ります。
平等院4.jpg
先ほどの歴代住職の墓の脇の石碑が有り、その碑文の冒頭に≪為中性院殿前関白有綱大禅定門菩提建久二年三月佐野左衛門尉藤原実綱戸室郷に建立、開祖道元禅師中興尊永和尚大永三年七月移転≫と刻まれています。
佐野左衛門尉実網は、佐野氏の祖戸矢子有綱の菩提の為に、安蘇郡戸室(現佐野市戸室町)に道元を開山と仰いで、曹洞宗大悲山平等院大安寺を建立しました。院号、平等院とは有綱が若き日軍功をたてた、宇治の平等院に因んだもの。これを大永三年(1523)に尊永和尚が現在の所に移したものです。当時はやはり曹洞宗でしたが、現在は真言宗です。
大永三年と云えば、皆川宗成と宇都宮忠綱とが川原田合戦を行った年です。平等院の有る千塚町はかって、戸矢子保に属していた所で佐野氏の勢力圏で有った為、この拠点強化の為にここに平等院を移したものと云われている。(都賀町史から引用させて戴いました)
この平等院は「都賀三十三薬師霊場第四番札所」になっていました。現在は明らかでは有りません。
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