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栃木市藤岡町部屋の圓城寺 [堂々巡り]

今回は栃木市藤岡町部屋に有る圓城寺を巡ります。
少し前の事になりますが、2014年1月24日の夕暮れ時の事です。藤岡町の蛭沼から部屋に向かって県道50号線を東に車を走らせていた時、道路の左手前方に夕日を受けてオレンジに光る大きな建物が目には行って来ました。大きな瓦屋根は東大寺の大屋根を見るような感じを抱きました。
円城寺3.jpg
(2014年1月24日に撮影)
この辺に寺院は有ったのかと、思いつつ早速その方向へハンドルを切りました。近くに行くと、広い敷地の中にドッシリとした寺院の建物が建っていました。時間の余裕があまり無かったので夕日を受けた姿を数枚写して立ち去りました。
建物の前に寺号を記した石柱が建てられていましたが、浅学の私には読み方が分かりませんでした。
円城寺2.jpg円城寺4.jpg
その後インターネットにて検索をしましたが、その結果近くの巴波川の右岸堤防の直ぐ脇に「圓城寺」と言う名前を見つけました、真言宗智山派の寺院です。

国土地理院発行の2万5千分1の地形図「下野藤岡」にも寺院記号「卍」が記されています。又、明治前期測量の迅速測図には、「延浄寺」として「卍」記号が載っております。

位置的に少しずれが有りましたので、その年の3月16日に再度現地を訪れました。
巴波川に架かる「巴波橋」の北詰めから巴波川右岸の堤防の上を少し遡ると、堤防の直ぐ下の道路脇に、寺号を刻した石柱が建っていました。向かって右側石柱に「寶峯山」、左側石柱に「圓城寺」となっています。
国土地理院発行の2万5千分1の地形図の寺院記号「卍」が記された位置に確かに寺院が存在しました。
そしてその寺院の後方に前回発見した大きな寺院の建物を見る事が出来ました。
円城寺5.jpg円城寺6.jpg
(2014年3月16日撮影)
今回改めて圓城寺を巡り又新たな事実が分かりました。立派な新しい寺院に行き、境内の左側に建つ石碑背面の碑文を確認した所、「圓城寺境内移転・本堂建立事業沿革概要」と有りました。内容を見るとすでに平成二十一年(2009)十一月二十二日に落慶大法要が執り行われておりました。したがって現在はこちらの建物が圓城寺の本堂に成っております。境内はまだ整備中のようです。
先ほどの碑文に圓城寺の由緒も記されていました。それによると、
≪当山は平安末期養和元年(1181年)の創建にして、元禄年間には智積院の直末に遇され、伽藍を造営して薬師如来、不動明王を安置し江戸・明治・大正と繁栄を極めたりと伝えられる。されどもこの間度々災害に合う、特に昭和十六年・二十二年は甚大なる被害を被り、これに伴う防災事業協力により境内の変遷縮小をみる。大正十三年建立の旧本堂も老朽化が進み将来を案じ、総代・大字区長と謀り、平成元年境内移転を発願し新境内をこの地に定め・・・・・。≫と有りました。
円城寺8.jpg
間口7間奥行き6間寄棟造り、瓦葺屋根の大棟の両端に「鴟尾」を備えた立派な本堂です。
境内については、これからも暫らく整備が進むものと思われます。
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