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栃木市西方町の甘露寺 [堂々巡り]

今回は、栃木市西方町の甘露寺を巡ります。
甘露寺は「道の駅にしかた」の北西に見える山の中腹に有ります。西方町本城から、西方城址の有る城山(標高221.3m)の北麓を、東側から西側に回り込み、西方町真名子に通ずる旧道沿いに入口が有ります。東北自動車道のアンダーパスの東側に、「工業団地東」の信号機の有る交差点から西に100m程、東北自動車道アンダーパスの手前に右側に入る道路が有ります。旧道になります。この道路に入り東北自動車道の下を潜り、更に100m程西進すると右に入る坂道が有ります。角に「甘露寺」の石灯籠が立っています。坂を上ると中腹左側に甘露寺の前に出ます。
甘露寺1.jpg甘露寺9.jpg
(2014年4月の訪問時に撮影)       (今回2015年7月4日撮影)
駐車場はその上に有りますが、寺院の裏手には「西方総合公園」が有りますので、そこにも駐車場が有ります。
今回私は少し離れた思川の小倉堰の有る公園の東側「ふれあい広場」の駐車場に車を置いて、公園内を散策して甘露寺に向かいました。
甘露寺10.jpg
(西方総合公園案内図。甘露寺は図の左側「噴水広場」の南隣りに成ります)
前に来たのは、2014年4月で本堂の前の枝垂れ桜が満開の時でした。
甘露寺2.jpg甘露寺3.jpg
(4月本堂の前は枝垂れ桜や水仙の花が咲いて鮮やかになります)
今回はアジサイの花もすでに盛りを過ぎていました。梅雨空で時折小雨がぱらつく中、参拝をしました。本堂の脇に錦鯉が泳ぐ池に、黄色の蓮の花が1輪咲いていました。
甘露寺4.jpg甘露寺5.jpg
入口の階段を上がった右手に「本堂落慶記念碑」が有ります。碑文に甘露寺の由緒・縁起が記されています。縁起には、≪下野国都賀郡西方郷那智山天中院甘露寺は、従二位権大納言甘露寺元長郷の創建にして、南紀那智山を移す所なり。甘露寺元長郷の母公は西方三代綱泰の息女にて、父母両霊の菩提のために創建す。時に人皇百五代後柏原院の御宇大永二年(1522)三月、参内して当山開創のことを奉す。那智山天中院甘露寺号及び三嶺を賜う。因って開山して城北の地に熊野十二社詞を建て奉勅願那智山と称し、宝祚葛歳国家泰平祈願の道場として大宝殿を設け釈迦文殊普賢三尊を荘厳す。佛師恵心僧都彫刻なり。方丈厨子庫裏楼門悉く備わり法城厳然たり。然るに後関白豊臣秀吉の命関東に及ぶに当たり、当山の大旦那西方太郎左ヱ門綱吉その命に抗し天正十五年(1587)十二月、西方城落ち国郡諸士離散し、一家流離し、僧侶も悲風に逢い離散す。寺門を鎖し庭に荒草長し狐狸の棲み堂塔舎院皆亡滅す。然る後、実相禅寺二世紅谷長宅大禅師、元和二年(1616)当地に来り、草庵を結び、西方山甘露寺を再興す。加州大乗寺の住の月船大禅師、甘露寺号を大書し額を金殿に掛く。寛永三年(1626)長宅大禅師示寂し法を関月長鎖大和尚に系す。元禄年中漸り堂舎・庫門に至るまで造立し、七世悦堂大和尚に至り、丈余の三界万霊塔石を造立する外銅鐘成り堂塔を荘厳して後代にのこす。≫と記されています。
甘露寺8.jpg甘露寺7.jpg甘露寺6.jpg
(境内に祀られている像。「すこやか観音像」「瑩山禅師之像」「道元禅師求道之像」
緑に包まれた静かな寺院でした。
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