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栃木市志鳥町の観音堂 [堂々巡り]

今回訪問するのは、栃木市志鳥町の観音堂です。
志鳥町は太平連山の最高峰晃石山(標高419.1m)の北麓に位置し、東北自動車道の南側となっている為、通常用の無い人は足を踏み入れる事が無い袋小路の地形に成っています。2003年3月に永野川に架かる「大砂橋」が出来てからは、県道75号線(栃木佐野線)大皆川町から「栃木特別支援学校」に向かう為の広い道路が通った事で、以前よりスムースにこの志鳥町に来ることが出来るようになりました。このエリアーは東側半分が皆川城内町滝の入。西側半分が志鳥町大沢となります。
志鳥観音堂6.jpg
(中央の一番高い山が晃石山、写真左端が太平山に成ります)
今回の観音堂は西側の山の中腹に祀られています。山への入口に「正観世音菩薩入口」の石柱が建てられています。登り坂の道を進むと、石段の上の高台に堂宇が見えます。
志鳥観音堂1.jpg志鳥観音堂2.jpg
(志鳥観音堂への道)
周りを杉木立と竹林とに囲まれ、南東方向を向いた二間四面瓦葺の観音堂です。
志鳥観音堂3.jpg
境内に1基青面金剛像が祀られていました。
志鳥観音堂5.jpg志鳥観音堂4.jpg
(青面金剛像の石仏)       (観音堂前より入口側南東方向を望む)
観音堂の詳細は分かりませんが、地元の人達に依って信仰され、守り伝えられて来たものと思われます。
昭和52年8月発行「栃木郷土史」(栃木郷土史編纂委員会編)の中に、東山道のルートに関する記事が載っています。東山道の栃木市近辺のルートは、現在まだ確定を見ていません。三毳山の中に三毳の関跡や東山道跡の案内が有ります。が、ここを東山道が通ったとする意見に、異を唱える人もいる様です。又、下野国府へのルートに関しても、大平町から北東に斜めに入る説の他に、≪本県の最大の考古学者、丸山瓦全翁は、下津原より小野寺村を通り、志鳥岩船山後を経て国府村に至るのではないかと考証された。無論決定的の意見ではない。≫ここで「志鳥」と言う地が出て来ています。又、延喜式東山道の条に、下野国駅馬、足利、三鴨、田部、衣川、新田、磐上、黒川、各十疋。と有ります。ここで、三鴨駅の場所は、岩舟村下津原の辺りと有ります。
尚、志鳥の地名について、「和名類聚鈔」に栃木附近の地名と思われるものに、委文(シトリ)、大和(ヤマト)、山後(ヤマシリ)、高家(タカイエ)等の地名が見えます。委文(シトリ)は現在の皆川村の志鳥。と記されています。いにしえの京の都にも、下野国都賀郡委文(シトリ)の地名は知られていたのでした。今はただ長閑な田園風景が広がっています。

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