栃木市藤岡町石川の日蓮堂 [堂々巡り]
今回は、栃木市藤岡町石川、渡良瀬遊水地の北東側堤防の北側に有る、日蓮堂を巡ります。
藤岡町石川へは、栃木市の「ふれあいバス部屋線」を利用すると、栃木駅前から「70分間のんびりバスの旅」を満喫しながら、終点の「部屋南部桜づつみ公園」まで連れて行ってくれる。これで運賃300円です。一つ手前の「石川入口」停留所で降りても良いのですが、せっかくですので終点まで乗ります。
「部屋南部桜づつみ公園」にて、渡良瀬遊水地を周囲堤の上から眺められます。堤防の外側は渡良瀬第2調節池が広がっています。
ここから巴波川左岸堤防上の道を上流に向かって歩きますと、前方奥に太平山の山並みが横に広がっています。堤防の内側、右手に「石川の集落」。そして堤防横に高い木がそびえている所が石川の「八幡宮」に成りますので、堤防から降りて、神社の境内に向かいます。
八幡宮の社殿は石の鳥居を潜り階段を登った高台の上に有ります。参拝をして右手の階段から降り、前方に見える火の見櫓方向に向かいます。
途中道路の両側に石柱が建っています。振り返って見ると石柱に「下都賀郡」「部屋村役場」の文字が彫られています。ここには元部屋村の役場が有った所です。
火の見櫓の周辺は墓地が有り、道路の脇に数基の石仏が祀られています。その中に、十九夜供養塔や地蔵尊と並んで、「溺死精霊慈濟塔」と大書された石碑が有りました。紀念銘は文化十三年(1816)となっています。この石碑は、この地域が過去から何度も洪水の被害にあって、多くの人命を奪われていた事を、物語っています。
道路の先、突き当りを左に曲るとその先に、目的の「日蓮堂」が見えてきます。
日蓮堂も八幡宮と同じように少し高くなった石段を登った上に有りました。
お堂の正面に「日蓮宗大法山妙経寺」と書かれた木札が掲げられたいます。
この「日蓮堂」の由緒等の文献をまだ見つけられていません。お堂の北隣り道脇に一基石塔が建てられています。
江戸から明治、この付近は巴波川の舟運の中継点として大いに栄えた「部屋河岸」や「新波河岸」などが有った所です。現在は自然豊かな田園地帯が広がったいます。
藤岡町石川へは、栃木市の「ふれあいバス部屋線」を利用すると、栃木駅前から「70分間のんびりバスの旅」を満喫しながら、終点の「部屋南部桜づつみ公園」まで連れて行ってくれる。これで運賃300円です。一つ手前の「石川入口」停留所で降りても良いのですが、せっかくですので終点まで乗ります。
「部屋南部桜づつみ公園」にて、渡良瀬遊水地を周囲堤の上から眺められます。堤防の外側は渡良瀬第2調節池が広がっています。
ここから巴波川左岸堤防上の道を上流に向かって歩きますと、前方奥に太平山の山並みが横に広がっています。堤防の内側、右手に「石川の集落」。そして堤防横に高い木がそびえている所が石川の「八幡宮」に成りますので、堤防から降りて、神社の境内に向かいます。
八幡宮の社殿は石の鳥居を潜り階段を登った高台の上に有ります。参拝をして右手の階段から降り、前方に見える火の見櫓方向に向かいます。
途中道路の両側に石柱が建っています。振り返って見ると石柱に「下都賀郡」「部屋村役場」の文字が彫られています。ここには元部屋村の役場が有った所です。
火の見櫓の周辺は墓地が有り、道路の脇に数基の石仏が祀られています。その中に、十九夜供養塔や地蔵尊と並んで、「溺死精霊慈濟塔」と大書された石碑が有りました。紀念銘は文化十三年(1816)となっています。この石碑は、この地域が過去から何度も洪水の被害にあって、多くの人命を奪われていた事を、物語っています。
道路の先、突き当りを左に曲るとその先に、目的の「日蓮堂」が見えてきます。
日蓮堂も八幡宮と同じように少し高くなった石段を登った上に有りました。
お堂の正面に「日蓮宗大法山妙経寺」と書かれた木札が掲げられたいます。
この「日蓮堂」の由緒等の文献をまだ見つけられていません。お堂の北隣り道脇に一基石塔が建てられています。
江戸から明治、この付近は巴波川の舟運の中継点として大いに栄えた「部屋河岸」や「新波河岸」などが有った所です。現在は自然豊かな田園地帯が広がったいます。
2015-07-07 23:40
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