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精勝祭の思い出 [祭]

今から36年前の丁度今日、1979年7月8日太平山神社に伝わっている「精勝祭」(せっかちさい)と言う祭が、90年ぶりに復活しました。この祭りは下都賀地方の89ヶ村42郷を3日間で、神輿が渡御したと言われていましたが、明治の中頃にすたれてしまいました。太平山神社ではその年、360年に1度の大祭「御開扉」(ごかいひ)が行われるのをきっかけに「精勝祭」を復活させたのでした。
太平山神社の古い記録をたどると、この祭りは中世以降から始まり、旧暦の6月23日から25日まで行われました。神社を出発した神輿は、旧栃木市内、下都賀郡、小山市の一部を各地の若者達によってかつがれ、3日間で131村郷をあわただしく回る事から、名称も「せっかちさい」と言われるようになったとの事です。
そして、36年前の今日、栃木県内の夏祭りのトップを切って行われたのでした。
当日は天狗を先頭に、御神馬、大提灯、神輿、お囃子などの大行列が午前9時に太平山中腹の国学院栃木高校グラウンドを出発、栃木の旧市内を練り歩き、夜になると松明の明かりに導かれて、古式ゆかしく太平山神社に戻りました。
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(精勝祭に渡御をした御神輿)           (渡御の列の先頭を行く天狗)
今、私の手元に1冊のアルバムが残っています。あの日私は90年ぶりに復活した祭りを撮影する為、1日中祭りに付いて、時には先回りをしながら、祭りの様子を写真に収めました。
アルバムを開いていきます。最初のページにはその時の宣伝用チラシから切り取った「精勝祭」の説明文が貼られていました。
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(私の手元に有る精勝祭のアルバムの一頁)
永野川に架かる「二杉橋」を9時25分に通過。神輿の担ぎ手は「太組」「平組」「山組」の三つの組に分かれて、ローテーションをして担ぎました。最初の交代はこの「二杉橋」の上で行われました。
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(二杉橋を渡る渡御の列)
9時35分に栃木バイパス道を渡って栃木商業学校前へ。私はここで交差点の歩道橋の上から神輿渡御の列を狙いました。神輿を上から見ては本来駄目なのですが、神輿を担ぐ様子や、担ぎ手が羽織る色とりどりの法被の群れを高いアングルから撮影したかったのです。
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(太平山をバックに栃木バイパス道を横断する渡御の列)
渡御の列は栃女高入口交差点を左に曲り箱森町方面へ。私は箱森地内で水田越しに神輿渡御の列を狙った。その昔の渡御は恐らく田畑の中を進んだはず、しかし36年前当時でも渡御ルートの中で田畑が見える所は限られていました。私は事前確認でそのポイントを見付けていました。
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(箱森町の水田地帯を行く御神輿)
その後神輿は栃木の市街地に入り、錦町・嘉右衛門町・大町を回って、大通りに出て、平柳町1丁目に有った丸栄ドライブインにて昼食休憩となった。
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(昼の休憩時間に繰り広げられたお囃子連の共演)
午後1時から渡御は再開され、1時35分頃に万町交番前に。これから交通規制で車の姿が消えた大通りへと入って行くのでしたが、このころから雨がポツリポツリと落ち始めていました。
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(万町交番前で御神輿を力強く差し上げる)
そして、現在の栃木市役所の前辺りに来た頃には、雨はドシャ降り状態になりましたが、神輿の担ぎ手はその雨にまるで力水を受けた様に、更に威勢よく神輿を担いでおりました。その当時大通りの歩道部分にはアーケードが有りましたので、私はそこから雨の中を進む神輿を撮り続けました。
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(ドシャ降りの雨の中走り出す)     (ずぶぬれで御神輿を差し上げる担ぎ手)
銀座通りでは各組の担ぎ手が後退して神輿を担ぎ盛り上がりを見せました。
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4時50分頃には神輿は栃木駅前に有りましたが、この頃には雨もすっかり上がっていました。
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ミツワ通りを抜けて巴波川に架かる「幸来橋」の東詰に来たところで夕食休憩を行い、6時30分に出発。
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(6時30分、巴波川に架かる「幸来橋」を渡る渡御の列)
湊町、祝町から真直ぐ太平山に向かって渡御の列は進んできます。午後8時40分には朝の出発地国学院栃木高校前を通過。暗くなってきて、松明に火が付けられ、松明の明かりに先導された神輿は太平山神社を目指して山道を登って行きます。
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(松明の明かりに先導されて、太平山を登る御神輿)
謙信平の土産物店の前を通過し、隨神門前を通過、見晴台から神社前に到着しました。
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(隨神門前では多くのカメラマンが待ち構え、ストロボがたかれ御神輿が浮かび上がる)
太平山神社の前で、御神輿がおろされ、手締めが有って、現代的に実行委員長の胴上げが始まり、そして境内に参集した人達にもお赤飯や御神酒が振舞われました。
現在、あの時渡御をした神輿は星宮神社の祭壇向かって左脇に収められております。又いつの日か復活する日を待って。
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