太平山の標高は343m? [自然の恵み]
私が子供の頃、太平山の高さは343メートルで、東京タワーの333メートルより丁度10メートル高いと覚えた記憶が有ります。
それでは太平山の山頂は何処になるかと言うと、平成25年発行の国土地理院2万5千分1地形図を確認すると、「太平山神社」と記された箇所の、左上方に「太平山」の文字が見え、その下に神社の鳥居記号が載っています。「浅間神社」が鎮座している所に成ります。そして、その所に「黒点」と「341」の数値が記されています。「黒点」は標高点の地図記号で、その横の数値「341」が写真測量による標高341メートルとなります。即ち最新の地形図では太平山山頂の高さは341メートルと記されている事に成ります。
私が子供の頃に記憶していた高さより2メートル低くなったという事に成ります。そこで私が所持している過去の栃木市の地形図上で、太平山の高さどのように記されていたか、調査をしてみました。結果は下記の様になりました。
①明治前期測量の2万分1フランス式彩色地図:三角点343.49メートル
(この地形図では、太平山神社は「三光社」と記されています。)
②大正6年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点343.4メートル
(この地形図が制作された頃は、まだ遊覧道路は造られておりません。
太平山遊覧道路の開通は昭和9年を待つ事になります。)
③昭和40年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点346メートル
(この地形図では、遊覧道路が描かれ、見晴台への道、大山寺脇から長谷川平への道、
ツツジ園から六角堂下側への道が見えます。この地形図にはまだ記載が有りませんが、
太山寺の南側には國学院大学栃木高等学校が昭和34年9月に、又、昭和40年11月
遊覧道路登り口永野川河川敷脇に栃木県立栃木工業高等学校の校舎が竣工しています。)
④昭和49年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点346メートル
(新たに太平山神社南方に三角点が追加され278.0メートルと記載されています。
太平山と晃石山との鞍部に電波塔が建設され、謙信平から電波塔への工事車両用の
道路が地形図上に現れています。)
⑤平成元年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点記載なし。
(太平少年自然の家が地形図に記されます。)
⑥平成9年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点341メートル
(前回消えた太平山の標高341mが再び記されました。)
⑦平成25年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点341メートル
(太平山山頂から太平山神社裏手に引かれていた「大平町」との境界線が、
合併により削除されています)
このように地形図の制作年によって表現も数値も変わって来ています。
それでは実際太平山山頂と東京タワーとではどちらが高いか、改めて比較しますと、東京タワーは良く地上333メートルと云われてます。タワーそのものの高さが333メートルですから、太平山の標高341メートルと基準点が違っていますので、このままでは比較になりません。そこで太平山も栃木市と言う場所に、土盛りされた土の高さと考えると、栃木市の旧市街地の高さ「約40メートル」を太平山の標高341メートルから、差し引くと、≪341-40=301≫から、太平山の比高は301メートルという事に成りますから、東京タワーの方がだいぶ高いという事に成ります。
でも、東京タワーのてっぺんに立つことは実際不可能ですからね、太平山山頂からの展望が勝ります。実際太平山の見晴台からの展望は素晴らしいです。
(太平山見晴台より栃木市街地を望む)
それでは太平山の山頂は何処になるかと言うと、平成25年発行の国土地理院2万5千分1地形図を確認すると、「太平山神社」と記された箇所の、左上方に「太平山」の文字が見え、その下に神社の鳥居記号が載っています。「浅間神社」が鎮座している所に成ります。そして、その所に「黒点」と「341」の数値が記されています。「黒点」は標高点の地図記号で、その横の数値「341」が写真測量による標高341メートルとなります。即ち最新の地形図では太平山山頂の高さは341メートルと記されている事に成ります。
私が子供の頃に記憶していた高さより2メートル低くなったという事に成ります。そこで私が所持している過去の栃木市の地形図上で、太平山の高さどのように記されていたか、調査をしてみました。結果は下記の様になりました。
①明治前期測量の2万分1フランス式彩色地図:三角点343.49メートル
(この地形図では、太平山神社は「三光社」と記されています。)
②大正6年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点343.4メートル
(この地形図が制作された頃は、まだ遊覧道路は造られておりません。
太平山遊覧道路の開通は昭和9年を待つ事になります。)
③昭和40年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点346メートル
(この地形図では、遊覧道路が描かれ、見晴台への道、大山寺脇から長谷川平への道、
ツツジ園から六角堂下側への道が見えます。この地形図にはまだ記載が有りませんが、
太山寺の南側には國学院大学栃木高等学校が昭和34年9月に、又、昭和40年11月
遊覧道路登り口永野川河川敷脇に栃木県立栃木工業高等学校の校舎が竣工しています。)
④昭和49年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点346メートル
(新たに太平山神社南方に三角点が追加され278.0メートルと記載されています。
太平山と晃石山との鞍部に電波塔が建設され、謙信平から電波塔への工事車両用の
道路が地形図上に現れています。)
⑤平成元年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点記載なし。
(太平少年自然の家が地形図に記されます。)
⑥平成9年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点341メートル
(前回消えた太平山の標高341mが再び記されました。)
⑦平成25年国土地理院発行2万5千分1「栃木」地形図:標高点341メートル
(太平山山頂から太平山神社裏手に引かれていた「大平町」との境界線が、
合併により削除されています)
このように地形図の制作年によって表現も数値も変わって来ています。
それでは実際太平山山頂と東京タワーとではどちらが高いか、改めて比較しますと、東京タワーは良く地上333メートルと云われてます。タワーそのものの高さが333メートルですから、太平山の標高341メートルと基準点が違っていますので、このままでは比較になりません。そこで太平山も栃木市と言う場所に、土盛りされた土の高さと考えると、栃木市の旧市街地の高さ「約40メートル」を太平山の標高341メートルから、差し引くと、≪341-40=301≫から、太平山の比高は301メートルという事に成りますから、東京タワーの方がだいぶ高いという事に成ります。
でも、東京タワーのてっぺんに立つことは実際不可能ですからね、太平山山頂からの展望が勝ります。実際太平山の見晴台からの展望は素晴らしいです。
(太平山見晴台より栃木市街地を望む)
2015-08-06 20:53
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0