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平岩幸吉氏善行旌表碑 [石碑]

太平山には先日(8月4日)の記事の中で紹介をした、山本有三文学碑や前田雀郎句碑の他にも、沢山の句碑や記念碑が建てられています。
太平山の表参道、あじさい坂の登り口左手に、虚空蔵菩薩を御本尊とする「太平山連祥院」通称六角堂が建っています。その六角堂の丁度裏手の高台に、大きな石碑が建てられています。あじさい坂から少し入り碑の前に立ちます。
石碑の正面中央に「平岩幸吉氏善行旌表碑」と大書され、その左横に「渋澤栄一書」と有ります。
石碑の背面に回り込むと、石碑の背面一杯に「平岩幸吉」の善行が記されています。
平岩幸吉1.jpg平岩幸吉2.jpg
碑文の左端に「明治四十四年七月十日」その下に「栃木婦人協会々員及有志建之」と刻されています。
平岩幸吉は前年同日に行年55歳で亡くなりましたので、丁度1周忌の日付となります。又「栃木婦人協会」は、組織的な社会事業の必要性を唱える平岩幸吉の趣旨に賛同し、慈悲の心を一つにして結集した栃木町在住の婦人篤志家八十六人、小山町在住の婦人篤志家二人が発起人となって明治三十四年四月十五日に設立された慈善団体(現在の社会福祉法人、栃木老人ホームの前身)です。
碑文を読み写しましたが、旧仮名遣いや馴染みの無い漢字が多く、又判読が困難な箇所も有り、一部類推をしました。尚この碑文を作った人は、当時の栃木県下都賀郡長の吉屋雄一(女人平家等の作家として有名な吉屋信子の父親)です。
平岩幸吉4.jpg
「平岩幸吉」は安政三年に、東京日本橋の裕福な米問屋の長男として生まれました。栃木の町に移り住んだのは明治二十五年です。栃木町は結婚をした田畑シカさんの故郷でした。そして上記の様に明治三十四年に「栃木婦人協会」を創設し常務幹事となって、自ら率先して、「喜捨函」と書いた車を引いて歩き、戸毎に紙屑や襤褸(ぼろ)を請うて、集めて回りました。
この姿は、「目で見る栃木市史」387頁に載っています。撮影をしたのは、片岡武です。
この写真の他に「平岩幸吉」氏に関係する写真は、「写真集・片岡寫眞館」(2012年12月17日発行・片岡惟光編)に見る事が出来ます。
平岩幸吉3.jpg
そこには、「栃木婦人協会の発会式の記念写真」(片岡如松撮影)や、現在の入舟町の大日堂の前で撮影された「栃木幼稚園の園児と平岩幸吉」(片岡武撮影)、そしてもう1枚は「旅館かな半前を行く、平岩幸吉の葬列」(片岡武撮影)の写真です。
「平岩幸吉」は常に、世の中の弱者に寄り添い、手を差し伸べ続けた、心の温かな人で有った事が、この碑文を読んで知る事が出来ました。
 
※「平岩幸吉」に関しては、「社会福祉法人 栃木老人ホーム 百年史」を参考にさせて頂きました。
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