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1979年6月3日鍋山石灰工場を歩く [石碑]

栃木市の市街地から北西の方向を望むと、鍋を伏せたような形を見せる山が有ります。標高605メートルの「三峰山」です。この山はその形から通称「鍋山」と呼ばれています。この山を境にして北側は鹿沼市(旧上都賀郡粟野町)になっています。
この三峰山を含む周辺の山は、古くから石灰の産出が盛んな地域でした。
現在も、栃木の市街地からコミュニティーバスを利用して、出流山の満願寺(坂東三十三観音霊場第十七番札所)参拝や、その門前町へ名物の出流蕎麦を食べに行くときは、この鍋山の石灰工場群の中を通過しなければなりません。その道はまるで石灰工場の中に迷い込んでしまったかのような錯覚に襲われます。
私は今から37年前、昭和54年(1979)6月3日、この鍋山の石灰工場が並ぶ風景を、カメラに収めようと石灰の白い粉にまみれた道を、歩いてまわりました。私の生まれた家は鍋山街道に面していました。昔は鍋山人車鉄道が通っていましたが、私が生まれた頃には撤去されて、何の名残りも有りませんでした。そんな事も有り鍋山には何か関心が有りました。

鍋山には、栃木の市街地から県道32号(栃木粕尾線)で寺尾地区を北上し、鍋山町にて左折して県道292号(仙波鍋山線)に入り、出流川に沿った道を西に走ります。間もなく前方に山肌に岩盤が露出した風景が飛び込んできます。そして道路の両側に石灰粉にまみれ白くなった石灰会社の建物がせまります。
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「田政石灰」や「田源石灰」の会社の名前が見えます。
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道路は砕石を積んだダンプカーでしょうか、粉塵をまき上げて何台も通過して行きます。
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私が子供の頃、何処とも判らぬ、山鳴りと言うか地響きと言うか、「どどど・・・」「どずず・・・」そんな音を聞いた。鍋山で山を崩す為発破をかけた音が、空気を揺るがし栃木の街まで届きました。
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実際に石灰工場の中を歩くと、特殊な空間が広がっています。山の中腹に張り付く様に建てられた工場建屋、多くのベルトコンベアーが砕いた石を運んでいるのか。見た事も無い機械が、大型のショベルカーが動き回っていました。
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この写真を撮ってから後も、幾度となくこの道を通っています。その度に車窓から見えるこの石灰工場の風景は、昔も今も同じように感じます。山は以前より大きくえぐり取られているのでしょうが、その全容を見る事は出来ません。
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栃木市の産業に大きな位置を占めて来た、鍋山の石灰ですが、規模が大きくなっていった過程で、粉塵公害と言う問題も発生しました。この産業の特殊性から生じる白い粉の公害から労働者を守る為、地元門沢地区の全戸が昭和43年に、粉塵の無い梅沢地区に新しく住宅団地を建設して移転をしたのでした。
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現在も梅沢住宅団地入口に、「鍋山粉塵公害集団移転」の記念碑が建っています。
碑文は、「三つ峰の 白い粉より 逃れいで 朝あけ匂う 今日のこの地に」 の短歌がきざまれています。
碑陰には「梅沢住宅団地」の建設に協力をした人達の名前が連なっています。(昭和43年8月25日建之)

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