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館林市 歴史の小径を歩く [歩く]

先日、群馬県館林市を訪れました。これまでも館林は何度も訪れています。城沼一周ウォーキングや多々良沼一周ウォーキングもしました。そして子供が小さかった頃は、栃木から渡良瀬サイクリングロードを、自転車を走らせて訪れた事も有ります。
館林と言えば「ツツジの花」そして「分福茶釜の狸」で有名な茂林寺が思い浮かびますが、最近は日本で一番暑い気温を記録した」として最高気温が「熊谷」を抜く事でも、知られるようになりました。
私がウォーキングする時は、比較的涼しい日を選んでいますので、その日も館林市役所前の、特大の寒暖計型表示板も動いていませんでした。
館林市寒暖計1.jpg
そんな館林市、今回は街の中を散策する事にしました。出発は館林駅前からです。
館林駅1.jpg館林駅前2.jpg
(旧館林駅舎、この右隣りに新駅舎が有ります) (駅前広場に縁起物のタヌキの置物が並ぶ)
東武伊勢崎線の館林駅は、現在新旧二つの駅舎が利用されています。旧駅舎は昭和12年(1937)に改築されたもので、平成10年(1998)に「関東の駅百選」に選定されました。新しい駅舎は橋上駅舎で、東西自由通路と共に、平成21年(2009)12月竣工しました。駅前ロータリーには「分福茶釜」の街をアピールするように、ユーモラスなタヌキの置物が出迎えています。
別のタヌキの置物の隣りに、≪巨人軍栄光の初V 不屈の魂誕生の地 分福球場≫と大きく刻された石碑が建てられています。
館林駅前1.jpg館林駅前3.jpg
碑陰に、≪巨人軍初Vの原点「分福球場」≫と題した碑文が記されていました。

駅前を散策していると歩道脇に≪歴史の小径 竜の井≫と刻された、小さな石碑が目に留まりました。駅前ロータリーの北東部から東に伸びる通路の入口です。通路の北側に「歴史の小径」のルートと、その途中の「歴史的建造物」の写真と説明が記された案内板が立てられています。そこで、この案内板に従って歩く事にしました。
歴史の小径1.jpg歴史の小径2.jpg
まず、東方向に伸びる通路を進みます。早速前方の大きな2本のイチョウの木の間に、手水舎の様な建物を発見。近づいて見ると先ほど案内に有った「竜の井」です。横に説明板が有ります。
竜の井1.jpg竜の井2.jpg
≪この井戸は、「竜の井」と呼ばれ、かつてここに有った善導寺の本堂前に所在した井戸です。善導寺は、元は土橋村と加法師村の間にありましたが、榊原康政が館林城主として入城した際の城下町の整備にともなって、この地に移転しました。移転に際して寺で説教が行われた時、城沼に棲む竜神の妻が美しい女性に姿を変え真剣に聞いていたといわれ、その後、この女性は迷いから救われたお礼として、この井戸に入ってお寺をお守りしたいと井戸の中に姿を消したと言います。・・・・・(後略)≫説明板より。
井戸の脇を抜けて東へ、そして突き当りを左に折れ、約150メートル程行くと十文字交差点に出るのでここを右折して、又東の方向に進みます。交差点の南東側に、国登録有形文化財の毛塚記念館が建っています。
毛塚記念館1.jpg城下町町名表示板(本紺屋町).jpg
(毛塚記念館)                             (城下町町名表示板)
ここは「分福酒造」の店舗になります。建築されたのは、江戸時代末期と云われています。この建物が有る一帯は江戸時代は「本紺屋町」と呼ばれた町人町です。道路を更に100メートル程東に行った右側に、「紺屋町公園」が有り、公園入口に≪「本紺屋町」紺屋とは、藍染めを行う染物屋のことで、この通りに面して紺屋があったことから紺屋町と呼ばれた。≫と記された標識が建っています。館林の街中にはこのような、「城下町町名表示板」がいくつも建てられています。「歴史の小径」の周辺では他に、「谷越町」「肴町」「大工町」「鷹匠町」が、有る様です。
更に200メートル行くと、今度は左手に「外池(とのいけ)商店の前に来ます。こちらの店舗は、江戸時代中期に近江出身の商人が「和泉屋」の屋号で造り酒屋を創業したと云います。現在の店舗は昭和4年(1929)に建てられたもので、格子戸や太い梁が特徴になっています。
その場所から、南に行く細い道を70メートル程入ると、左手に今年(2016年)国登録有形文化財となった、「旧館林二業見番組合事務所」の建物が有ります。
外池商店1.jpg旧館林二業見番組合事務所.jpg
(外池商店正面より)                         (旧館林二業見番組合事務所)
この建物を資料で確認すると、≪昭和13年建築。料亭と芸妓置屋の二業の旧組合事務所。1階正面に唐破風造りの玄関、2階左右にシンメトリーに切妻造りの張り出し。風情が有り、又華やかな外観となっている。≫現在は「本町二丁目東区民会館」となっている様です。玄関脇に置かれたリヤカーが懐かしいです。
この細い道を更に南進すると、館林駅前通り(県道57号)に出ます。丁度その右手角にこじんまりした神社が有ります。境内に「青龍(青竜)の井戸」(青龍神社)の説明板が建てられていました。最初の地点にあった「竜の井」と、この「青龍の井戸」と「城沼」とが一つにつながっていたという伝説が有るそうです。
≪この井戸は、江戸時代に福寿院(現在は廃寺)の境内に有り、伝説によると、延宝年間(1673~1681)に突然清水が噴き上がり、中から女官姿の「青龍権現」が姿を現したことから「青龍の井戸」と呼ばれるようになったといわれています。・・・・(後略)≫説明板より
青龍神社1.jpg青龍神社2.jpg
少し寄り道をしました。元の「歴史の小径」に戻ります。因みのこの細い道は一方通行で、駅前通りから進入する事が出来ます。
「外池商店」前から再び東へ歩いて行くと、道が左斜めに曲っています。
城下町の堀跡1.jpg城下町の堀跡2.jpg
この道が斜めに曲った所辺りが、「城下町の堀跡」に当たり、ここまでが町人が住む町人町で、ここから東が武家屋敷の有る武家地となるのだそうです。
道はその先で突き当り、左にほぼ直角に折れています。道の左手に大きな長屋門が有ります。「鷹匠町長屋門」と書かれた表示板が付いています。この建物自体は、平成21年(2009)に豪農松澤家の門を、移築・復元したものです。
鷹匠町長屋門1.jpg城下町町名表示板(鷹匠町).jpg
(鷹匠町長屋門)                          (城下町町名表示板)
門の前を右に折れると又、東に真直ぐに伸びる石畳の綺麗な小道になります。そこを100メートルも歩くと右の角に、黒塀を備えた建物が現れます。角に案内板が建てられています。≪鷹匠町武家屋敷「武鷹館」≫の説明が記されています。公開日は、土・日・祝祭日という事で残念ながら中には入れません。外から見学して先へ進みます。
旧館林藩士住宅1.jpg
(鷹匠町武家屋敷「武鷹館」)
直ぐ先の左手に「田中正造記念館」が有りましたが、こちらも閉館中となっていました。
田中正造記念館1.jpg田中正造記念館2.jpg
(田中正造記念館)      (歴史の小径を東から西方向望む、正面奥突き当りが長屋門)
道はその先で広い道に突き当たりました。県道7号(佐野・行田線)です。今歩いて来た細い道も、一方通行と成っていて、車の場合は、こちらの県道から進入する事になります。
横断歩道を渡って、この広い道を10メートル北に行き、直ぐ右の細い道に入ります。そして最初の小さな交差点を右に折れると、道の突き当りに現れるのが、「館林城土橋門」でこの「歴史の小径」の終点となります。
館林城土橋門1.jpg
(館林城土橋門)
館林城土橋門2.jpg
(館林城跡   土橋門の中に入った所)
木立の緑の間から漏れる光の中で、静かに江戸の昔に戻されるような空気が流れています。

今回参考にさせて頂いた資料は、この「歴史の小径」を歩いていて、「外池商店」を見ていた時に、お店の方が出来たばかりだと言う「パンフレット」を手渡して下さったものです。
歴史の小径を歩く(館林)パンフ.jpg館林城下町(江戸後期)1.jpg
古地図好きの私にはとても嬉しいプレゼントになりました。又、このパンフレットを携えて歩いて見たい館林の街でした。
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