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栃木市藤岡町大前の星宮神社に有る「横綱栃木山守也」の碑 [栃木市の神社]

今朝の読売新聞の栃木版に「栃木山の化粧まわし寄贈 大正期の横綱 子孫から栃木市へ」という記事が載っていました。
私は先日、この「栃木山守也」の石碑を見て来ていました。石碑は藤岡町大前、県道11号線(栃木藤岡線)を南進して藤岡方面に向かい、東武日光線の跨線橋を渡って、650m程行った道路の右手に木々が茂る神社が有ります。「星宮神社」です。
横綱栃木山の碑1.jpg
道路から見ると石の鳥居を潜った参道の奥に社殿が見えます。
横綱栃木山の碑2.jpg
この鳥居の所で右手方向に立派な石碑が建っています。
石碑の右上に少し小さく「横綱」そして石碑中央に「栃木山守也」と力強くしっかりとした字で大書されています。そして左横に「時津風定次書」と有ります。
横綱栃木山の碑3.jpg
「栃木山守也」は明治25年2月5日に下都賀郡(現栃木市)藤岡町赤麻に生まれました。十九歳の時に常盤山(出羽海)の弟子となって、大正七年二月に第27代の横綱に昇進しています。横綱在位八年十五場所、大正十四年一月優勝した土俵を最後に引退。春日野部屋を興し、横綱「栃錦」「栃ノ海」などを送り出しています。昭和三十四年十月三日、67歳の生涯を閉じています。
この碑は、七回忌にあたる昭和四十年十月に春日野一門によって建立されました。石碑入口に有る二つの石燈籠は当時の横綱「栃ノ海晃嘉」と大関「栃光正之」が寄贈したものです。
碑の題字を書いた、時津風定次は前人未踏の69連勝の偉業を達成した、第35代横綱「双葉山定次」で第3代日本相撲協会理事長です。
石碑の裏手に回って、碑の背面に刻された碑文に目を通します。
横綱栃木山の碑4.jpg横綱栃木山碑文.jpg
(石碑の背面、碑文の内容を読み移しました。栃木山守也に付いて詳しく書いています。)
碑文は非常に清楚で読みやすい文字で刻まれています。撰文は、酒井忠正(横綱審議委員会初代委員長)です。酒井忠正は備後福山藩の最後の藩主だった、阿部正桓の次男に生まれ、旧姫路藩主酒井家の酒井忠興の娘・秋子を娶り、婿養子となります。貴族院議員、農林大臣。スポーツに造詣深く、「日本中央競馬会第三代理事長」や「日本プロレス協会初代会長」なども務めています。昭和29年「相撲博物館初代館長」にも就任しています。
文字は、日本書道美術院審査員の阿部海秋の書丹と有ります。「阿部海秋」は宮城県仙台市生まれの書家で、戦後の石巻地方に書道の文化を弘めた人です。

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