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伝説が造らせた橋物語、結城「みかつきはし」 [橋梁]

今日、栃木のお隣の県茨城県の結城市に「歴史探索ウォーク」に参加して来ました。
栃木市からは、JR両毛線にて小山へ、更に小山からはJR水戸線に乗り換えて、二駅目が結城駅です。
栃木駅発9時6分発の電車に乗り込むと、小山駅にて14分間の乗り換え待ち合わせ時間が有るものの、9時40分には目的の結城駅に到着しました。
結城の駅前で、今日一日結城の街を案内して下さる観光ボランティアガイドの方が出迎えて下さいました。私は結城の街を訪れるのは初めてです。
栃木市と結城市は、室町時代に遡ると、栃木の街をつくった皆川氏の先祖と、結城氏は小山氏と共に兄弟関係に有りました。武蔵国太田氏の出で、下野国小山に移住し小山氏を名乗った小山政光を父親として、小山氏を継いだ長男「朝政」、下野国芳賀郡長沼に住み、長沼氏を称した次男「宗政」、そして下総国結城に住み結城氏の祖となった三男「朝光」です。ここで長沼氏の子孫が長沼荘から、下野国皆川荘(現栃木市)に移住し、皆川氏を称したのでした。

ガイドをして下さったボランティアの男性は、案内のベテランで、前もって予定されたコースを計画通りの時間で進行され、説明の内容も非常に広く深くて、関心をする事ばかりでした。
弘経寺1.jpg弘経寺2.jpg
(ガイドさん一押しの寺院、七堂伽藍が残る弘経寺「ぐぎょうじ」の表門)
結城の街は、城下町の顔を持ち、街中には多くの寺院が有り、見世蔵や造り酒屋など、時代を感じさせる建物が、街のいたる所で出合う事が出来ます。
結城街1.jpg結城街2.jpg
(見世蔵の並ぶ結城の街並)             (造り酒屋の土蔵)
あちらこちら案内を受けましたが、「橋好き」の私が食いついた話は結城の街の北東部に有る、「城跡歴史公園」の南に下がる道の途中に架る、親柱に「みかつきはし」の橋名を付けた石造りの橋に関した説明でした。
三日月橋1.jpg三日月橋2.jpg
(城跡歴史公園の南側に見える石造りの橋)    (橋の親柱に「みかつきはし」の橋名板)
ガイドさんの説明に依ると、この石橋には「結城埋蔵金伝説」に関係する話が存在します。まずその埋蔵金伝説から話が始まりました。「結城埋蔵金伝説」は日本三大埋蔵金の一つとして知られています。豊臣秀吉の埋蔵金・徳川幕府の埋蔵金そして、ここ結城の埋蔵金の伝説に成るそうです。結城の埋蔵金は、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした時、平泉の黄金財宝を持ち帰って、鎌倉への帰国の途中、頼朝に従い手柄を立てた結城家初代の朝光の館に立ち寄った。その際持ち帰った黄金財宝を朝光に預けたのか、与えたのか。その辺の説明はハッキリ覚えていません。そんな埋蔵金伝説に対してそれから多くの人が、その埋蔵金を求めて発掘を行っていると言います。そして大正時代の事、大掛かりな発掘が行われ、この辺り一帯を掘り起こしたと言います。しかし結果、埋蔵金を発見する事が出来なかったそうですが、その発掘の痕がこのような堀の様になってしまった為、ここに橋を架けたものだそうです。反対側の親柱には「大正六年十二月吉日竣工」とこの橋が完成した日付が付いています。

埋蔵金を発見できなかったにもかかわらず、後始末に立派な石橋を架けていった、夢追う発掘人の、太っ腹な行動に関心する石橋でした。
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