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永野川に架かる「諏訪橋」のこと [栃木市の河川と橋]

先日、東日本の多くの河川で、大きな爪跡を残した台風19号。栃木市内では大平町蔵井を流れる永野川に架かる「諏訪橋」が、増水した水の勢いで橋脚1カ所が流出、そこに架かっていた橋桁2本が水中に落ちてしまいました。
諏訪橋(2019年10月).jpg諏訪橋(2019年10月)流出.jpg
(橋桁2径間が流失した「諏訪橋」。橋長51.5m、幅員3.5m、複合橋)

この「諏訪橋」は昭和9年(1934)に架設されたもので、現在栃木市内の巴波川・永野川に架かる橋の中で3番目に古い橋と成っています。ちなみに1番古い橋は、巴波川に架かる「嘉右衛門橋」で昭和2(1927)の架設です。
嘉右衛門橋.jpg
(昭和2年架設の嘉右衛門橋。橋長13.1m、幅員5.4m、鋼橋)

2番目は同じく巴波川に架かる「倭橋」で昭和5年(1930)架設です。
倭橋.jpg
(昭和5年架設の倭橋。橋長13.6m、幅員5.2m、鉄筋コンクリート橋)

3番目の昭和9年(1934)に架設された橋は、5ヶ所に成ります。その内巴波川には「巴波川橋」とその下流の「相生橋」の2橋が残っています。
巴波川橋.jpg相生橋.jpg
(昭和9年架設の巴波川橋。橋長14m、幅員5m)(同じく相生橋。橋長14.1m、幅員5.5m)

一方永野川には、今回被害を受けた「諏訪橋」の外に「両明橋」そして「千部橋」の3橋が有りますが、3橋共大平町に成ります。
このうち「千部橋」は、前回2015年の豪雨の際に一部が流出しましたが、復旧されています。
又、「両明橋」は幸いにも2015年8月、豪雨被害が発生する前月に修繕を終えた為、被災を免れています。
千部橋.jpg両明橋.jpg
(昭和9年架設千部橋、前回流出部は補修された。)(同じく両明橋。2015年8月修繕が行われた)

巴波川の「嘉右衛門橋」など4橋が架かる場所の川幅は14メートル程度なのに対して、永野川に架かる3橋は橋長が50メートルから60メートルと長い橋でした。
したがって、今回流出した「諏訪橋」は悪条件の中一番寿命を保った橋と言うことに成ります。この古い橋が今まで残っていた要因としては、橋の幅員が3.5メートルと狭く、橋を通る市道21118号線は永野川左岸蔵井の県道蛭沼川連線を起点とし、橋を渡った右岸の橋詰までの道路で、自動車は殆ど通行せず、近くの大平中学校の生徒さん達が自転車通学するのに、現在主に利用されている橋だからでしょう。
「諏訪橋」が利用できなくなってしまった為、生徒さん達は下流の県道が通る「山下橋」を回りこむ必要が有ります。そちらは交通量が多い為、注意して通学して貰いたいです。

この「諏訪橋」は橋の中央部から左岸側は鋼橋(1径間)、右岸側は鉄筋コンクリート橋(4径間)と言う、複合橋でしたが、昭和9年架橋当初からこの様な変わった形式だったとは思われませんので、初めは両明橋などと同様の鉄筋コンクリート製の橋であったものと思われます。
諏訪橋(2015年4月).jpg
(被災前の「諏訪橋」、下流側右岸より撮影)

それが、後に今回と同様の原因で、橋の左岸側の部分が流出して、現在の様な鋼橋部分に改修されたものと思われます。それがいつごろの事か分かりませんが、私が初めて諏訪橋の写真を写した昭和57年(1982)1月には、現在の姿に成っていました。
諏訪橋57年1月.jpg
(昭和57年1月に上流から撮影した「諏訪橋」、左奥の森は蔵井の元村社諏訪神社)

今回の台風で栃木市内は甚大な被害を蒙りました。4年前の豪雨で被災した時、50年に1度と言われました。ですから今回の台風接近でも、どこか前回の様には成らないと思い込んでいました。しかし、今回の災害は100年に1度の規模だったと言う。もし来年も同様の災害が発生したら、今度は200年に1度、いや千年に1度となるのか。
このような被害を二度と起こさないために、どんな対策が必要なのか、今回の被害実態を詳しく分析して、対策を進めて頂きたいと願うばかりです。
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