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門司港駅見てあるき [建物]

1年ぶりに北九州市小倉駅に着いた。大きな荷物をコインロッカーに入れ、門司港行き電車に乗り換えました。電車で門司港駅に向かうのは初めて、在来線の改札を入ったものの、目的のホームが分からず、通りかかりの青年に尋ねた。
彼も分からなかったのか、直ぐ携帯を操作をして、今度の発車が8番線ホームであると教えてくれた。
私は反対方向に来ていたのでした。8番線ホームに降りると丁度「門司港行」の電車がホームに入ってきた。とりあえず門司港行の電車に乗ることが出来、一安心。
小倉駅8番ホーム.jpg

門司港駅は、小倉駅から3駅目、約15分程度で終点の門司港駅の2番ホームに到着しました。
門司港駅到着.jpg

鉄道レールはここで切れています。突き当りに白と黒の風車の様な図柄の「車止め標識」が設置されています。
ホーム反対側、1番線の付け根部分に「0哩(マイル)ポスト」が立てられています。
0哩ポスト.jpg0哩記念碑.jpg
2番線ホームと4番線ホームとの間に、昭和47年10月14日、鉄道開業100周年を記念して新たに「0哩」標が建立されました。揮毫した人物は、当時北九州市長を務めていた「谷 伍平」氏。この人、谷伍平氏は東京帝国大学卒業後鉄道省に入省。ご当地日本国有鉄道門司鉄道管理局長も務められた、門司港駅にとてもゆかりの有る人物です。

門司港駅は、鹿児島本線の起点駅です。関門トンネルが出来るまでは、本州と結ぶ九州の玄関口で、対岸の下関駅との間に就航した「関門連絡船」との連絡中継駅として賑わっていました。
最初の駅舎は、明治24年(1891)に開設されましたが、現在の場所より東南東200メートル程の場所で、現在は九州鉄道記念館ミニ鉄道公園辺りに成ります。
現在の駅舎は、大正2年3月16日に起工し、大正3年(1914)1月15日に竣工しています。
平成24年(2012)より、駅舎保存修理工事を開始、平成31年(2019)3月10日、駅正面玄関口に昭和4年(1929)設置した上屋(ひさし)を撤去して、開業当初の姿に復元されました。
門司港駅舎正面.jpg

よく観光パンフレットなどで目にする、ホームの写真をカメラに収め、改札を出ました。
門司港駅ホーム.jpg

門司港駅の駅舎は、国の重要文化財に指定されていて、見どころ満載です。もっと駅舎内を見て回りたいと思います。改札を出た東口方向に向かうと、現在はタクシーやバスの乗り場のロータリーに出ますが、その途中に昔ながらの洗面所やトイレが有ります。

帰り水の蛇口.jpg
最近、テレビのクイズ番組を見ていたら、上の水道蛇口の写真を見て、どこの駅かあてる問題が出ていました。鉄道ファンには有名らしく、すぐに正解が出されていました。
この水道蛇口は、門司港駅の洗面所前に有る水道の物でした。
洗面所前の水道設備.jpg
近くに掲示された説明文によると、<この水道(水呑處)は、駅が開設(大正3=1914年)された頃に設置されたもので、以来、旅行者に門司の「おいしい水」を供給し続けています。
とくに、戦前の海外旅行帰国者をはじめ終戦後の復員や引揚の人達が、門司に上陸して安堵の思いで喉を潤したところから、(誰言うとなく)「帰り水」と呼ばれる様になりました。>と、しるされています。
蛇口本体は緑青色に錆びつき、ノブの部分は絶えず人の手に触れている為か、真鍮色に光っています。
下の一枚目の写真は、旧洗面所の流しの部分です。昭和4年(1929)に洗面専用に新設されたものを老朽化に伴い一部だけ残させたと解説が出ていました。
又、二枚目の写真はトイレ内に設置された手水鉢を写したものです。
洗面所.jpg手水鉢.jpg
「手水鉢」の上に掲示された解説文を読むと、<幸運の手水鉢 大正3年の建設当時からあり、戦時中の貴金属供出からもまぬがれ現在も鋳造時の形のまま、長寿を誇っております。>と、記されています。どのように使われていた物か、水鉢には脇から一ヶ所1本の細い銅パイプが、先端を水中内に突っ込んでいます。想像するに、そのパイプを通して水鉢には絶えず水が供給されていて、オーバーフローした水が、水鉢の周囲の縁の低くなっている部分から流れ出ていて、その流れ出た水で手を洗っていたと思われます。(現在は流れ出ていませんが)

今度は反対方向、改札口を出て左方向(西口)に行ってみます。突き当りに階段が有り下に少し下がっています。その先は塞がれていて、どん詰まりになっていて、その壁面に船の写真が貼られています。
その入口の上部に「関門連絡船通路跡」の表示が掛かっています。
関門連絡船通路跡.jpg

かつて、ここに有った通路は、駅から桟橋までの約100メートルを結ぶ連絡路で、明治34年(1901)5月27日に発足した関門連絡船の為に設置された。その通路の入口横のコンクリートの壁に小さな長方形の穴が、奥が小さくなる形で空いています。脇の解説文によると、<旧監視孔 詳細は不明ですが、ここは戦争末期、軍の命令で設置された渡航者の監視所跡です。門司港は、外国航路寄港地n為、関門連絡船の通路は、戦時下の不審者を監視する絶好の場所でした。(後略)>と、説明されています。
関門連絡船通路跡の監視窓.jpg

外にも、「誇りの鏡」とか「旧正面上家」など見所がまだありますが、ここは一度駅舎の外に出て行きたいと思います。
丁度駅前の噴水広場の噴水が、水を拭き出していたので、止まる前に急いで写真に収めました。
門司港駅前噴水.jpg
この噴水は1時間おきに15分程度出るそうで、タイミング良く撮影できました。
この噴水広場の東側塀際に1本の石柱が建っています。「バナナの叩き売り発祥の地」の文字が刻まれています。「バナナの叩き売り」なつかしいです。私が子供の頃栃木の街中で、大勢の人だかりの中にその小気味よいバナナを売る男の口上を、夢中で聞いていた記憶がよみがえります。ここ門司港が発祥なのか。
バナナの叩き売り発祥の地碑.jpg

門司港駅舎はルネッサンス様式で、左右が対称になっていて、照明が付いた日没後も魅力的です。
夜の門司港駅舎.jpg

ここ門司港地区は、この駅舎だけではなく、「旧門司税関」や「旧大阪商船」「大連友好記念館」等、レトロな建物も多く、いくら時間が有ってもとても全て見て回ることが出来ません。
又、機会が有ったら是非訪れたいと思います。
夜の門司港駅ホーム.jpg





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