SSブログ

赤津川分水路に架かる「中ノ町橋」が復旧していました [栃木市の河川と橋]

先日、暖かな陽気に誘われて、栃木市新井町方面に出かけました。
その際、前々から気になっていた赤津川分水路の「中ノ町橋」の様子を確認すると、2019年10月12日の台風による増水で被災した後、復旧工事が進められていましたが、三径間の内無事だった右岸側の一径間の橋桁は残して鋼桁が被災部分に架けられていました。
2021年12月5日復旧した中ノ町橋.jpg
(復旧した「中ノ町橋」 2021年12月5日撮影)
橋手前右岸側は従来からのコンクリート桁、一方崩れた橋脚部に架かっていた橋桁は撤去され鋼製の橋桁に、高欄も色気も愛想も無い白色のガードレールタイプに。
2021年5月22日復旧工事中の中ノ町橋.jpg
(復旧工事中の様子 2021年5月22日撮影)
今年5月に確認した時には、橋はまだ被災した当時のままで、復旧工事は左岸の土手部分が先行して進められていました。橋の周辺左岸上下流部分とも土手の決壊は免れましたが、堤内側法面がかなりえぐられていました。
左岸上流側.jpg左岸下流側.jpg
(堤内法面は越流した水の勢いで削られている。)

2019年11月21日被災した中ノ町橋.jpg
(2019年11月21日撮影、被災直後の「中ノ町橋」)
橋の高欄部にも多くの藁くずが引っかかっていて、増水時には橋の上まで川の水が洗っていた様子が覗えます。
2019年3月2日撮影中ノ町橋.jpg
(被災前の「中ノ町橋」 2019年3月2日撮影)

赤津川分水路については、ここで何度か取り上げて紹介をしてきました。
かつて毎年のように栃木の街中を床上まで水浸しにした巴波川。だが実際はこの赤津川が洪水の元凶で、今も箱森町中央部を蛇行をくりかえしたその旧赤津川の河道が、今もその姿を留めています。
そんな赤津川を1951年竣工したこの分水路により、それまで栃木の街方向に流れていた水を、吹上町の新田橋の下流部(今東北自動車道が交差する辺り)から真っ直ぐ南方向へ田畑を開鑿して、錦着山の北西部にて西から流れて来ている永野川に落とすように流れを変えました。
2012年11月25日撮影赤津川分水路.jpg
(2012年11月25日 栃木インターチェンジ付近、県道栃木粕尾線の平和橋下流部より赤津川分水路を南方向に向かって撮影した写真。)
写真手前に架かる橋は「鹿島森橋」その下流に「中ノ町橋」更にその奥に「新井橋」も望む。写真左奥に写る山は錦着山に成ります。
赤津川分水路には地元の要望を受けて、かつての農道に合わせて多くのコンクリート橋が架けられていました。

それ以来、栃木の街は平穏な年を重ねて来て、「映画館もショッピングモールも無い町だけれど、災害も無い安心して住める町」でしたが、2015年9月9日の50年に一度と言われる豪雨災害により、この赤津川分水路も濁流が流れ、老朽化していた多くのこれらの橋が被災しました。
落橋した鹿島森橋.jpg
(2015年9月27日撮影、落橋した「鹿島森橋」)

この「鹿島森橋」は被災後架け替えは無く撤去に成りました。この時は赤津川分水路の多くの橋が被災して一時通行が出来なく成りました。上流側に架かっていた「田原橋」も被災、撤去に成りました。更にその上流の「永宮橋」も老朽化も重なり、新しい橋へと架け替えられています。
此の時は、この「中ノ町橋」は被災を免れました。
2015年9月27日中ノ町橋.jpg
(橋脚部に多くの藁くずとうの瓦礫が引っかかった「中ノ町橋」 2015年9月27日撮影)
ところが、それからたった4年後の2019年10月、今度は持ちませんでした。

現在、栃木市内を流れる多くの河川では大規模な河川改修工事が進められてます。二度と悲惨な水害に遭わないために。
以下の写真は永野川で進められている河川改修工事の様子。(2021年11月3日撮影)
P1130868.jpg
P1130895.jpg
P1130906.jpg
nice!(0)  コメント(0)