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市内寺院堂々巡り(第五回)ふたつの大中寺 [堂々巡り]

今回の寺院堂々巡りは大平町の大中寺です。
伝承によれば久寿元年(1154)真言宗寺院として創建されたという。
延徳元年(1489)在地豪族の小山成長が快庵妙慶禅師を開山に招いて曹洞宗の寺として再興。
6世住職の快叟(かいそう)は上杉謙信の叔父であった関係で、謙信が関東管領職を譲り受け北関東に進出すると、この寺を厚く保護した。
江戸時代には徳川家康の信任厚く曹洞宗寺院の管理にあたる三つの寺院(関三刹)となり、大正の始めまで曹洞宗の修行道場として栄えていました。
上田秋成の小説「雨月物語」にある「青頭巾」はこの寺を舞台として書かれたもの。
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境内にある「油坂」「不断のかまど」など「七不思議」の伝説も広く知られています。
私も子供のころ聞かされましたが、特に「開かずの雪隠」は夜一人でトイレに行くのが怖くなったものです。
この寺の所在は大平町西山田、太平山(345m)の南麓、山懐にあり、参道にそびえる杉の木や境内の竹林が静かなたたずまいを見せています。
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この西山田の大中寺は正式には「太平山天暁院大中禅寺」と言います。
ところで、大平町にはもう一つの大中寺が有ります。所在は大平町榎本の町の西方、永野川の左岸です。
こちらは正式名は「鑫華林妙吉祥院太平山大中禅寺」
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これは天文から弘治のころ(16世紀の半ば)5世海庵尖智の時に後継を巡って無学宗棼と快叟良慶の間に争いが起こり寺は二つに分裂をしてしまった為です。
結果、無学尖智は榎本に移り、西山田の大中寺6世は快叟良慶が継ぐことになった。
大平町榎本とその北隣りの真弓にかけては元、榎本城が有った為か、寺院の数が多いように感じます。
榎本には大中寺の他「聖天院」(真言宗豊山派)、総徳寺(曹洞宗)、妙性院(曹洞宗)。
真弓には法王寺(時宗)、法宣寺(日蓮宗)
これらの寺院も後で巡ってみたい。
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