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栃木市薗部町に有る六道の辻 [堂々巡り]

今日は、一日穏やかな天候に恵まれたので、午後の散歩に出かけました。
途中薗部町に有る、「六道の辻」の前を通りました。ここは私が栃木工業高校に通学していた時に毎日通っていた場所です。もう半世紀も昔の事です。
共同墓地の中に、南向きで二間四面瓦葺き屋根の御堂が建っています。
六道の辻0.jpg
入口の御堂に向かって右手方向、ブロック塀の外側に「庚申」と石碑正面一杯に大書した物や、「二十六夜寶塔」と刻んだ石碑、一面四臂の青面金剛像を陽刻した碑など5基が並んで建てられている。
六道の辻1.jpg
左手側にはトタン屋根で覆った「十九夜」の文字塔や如意輪観音を陽刻した石碑が6基が並んでいます。
六道の辻2.jpg
「六道」とは仏教でいう「六道輪廻」という教えの中に有る世界で、「六道輪廻界」には「天道」・「人道」・「修羅道」と言う三善諏から、「畜生道」・「餓鬼道」・「地獄道」と言う三悪諏、の六つの道が有り、命が尽きた時にそれ前の生き方を閻魔大王に裁かれて、いずれかの世界へ送られると言う。悪い事をしていたなら地獄に落ち、良い事を積めば天国に登れると。
そして「六道の辻」とは、古来より「あの世の入口」と言われています。
それではどうしてこの場所がそのような所と言われるようになったのでしょうか。
先ほど見た石碑の一つに「青面金剛像」の碑が有りましたがその碑の右上辺りに「六辻寺中興 ■月」と陰刻された文字が見えました。(■を施した個所は文字が確定できませんでした)
青面金剛像0.jpg
栃木市史に、薗部町籔合(くねあい)の庚申講に関する記事が有ります。その文中に「通称六道のもと六辻寺の有った籔合の共同墓地には・・・・・」と有ります。
私の手元に「村誌 下都賀郡薗部村」と題するB5版サイズ、21頁に綴じた資料が有ります。昔、ミツワ通りに有った「吉本書店」の店頭で見つけ購入した物です。
最後の頁に明治14年12月17日の日付、戸長篠木惣吉、そして栃木県令「藤川為親 殿」と記されています。そして巻末に折り込まれた「村図」が付いています。その図にはその当時の道路の様子や字名が見えます。そしてそこに「六道」と言う場所が有り、そこから6本の道が放射状に伸びています。この当時まだ「東郷堀」は遠く東の方向を流れています。
村史、下都賀郡薗部村(表紙).jpg薗部村村史、六道付近の図.jpg
こうした地形的条件より、この場所を「六道の辻」と見立て、堂宇を建てて「六辻寺」と号したものと考えます。御堂にはどのような仏様がお祀りされているのか分かりません。
先の「村誌」には「社」と記した項目は有りましたが、「寺院」の項目は認められません。この時期にはすでに「六辻寺」は廃仏稀釈に因るか、それ以前にすでに廃寺になっていたのかも知れません。
今、夕日を受けて堂宇が静かに建っています。質素な中にも何か神々しい物を感じました。
六道の辻3.jpg
そんな思いを巡らしながら、今日の散歩を終えました。今日の総歩数13,888歩(約9.3km)でした。
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