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吉屋信子の文学碑 [石碑]

私のウォーキングコース、栃木市湊町巴波川右岸の川沿いの道、そこに小さなポケットパークが有ります。何時もは素通りする所ですが、先日ふと立ち寄ってみました。
入口付近に「吉屋信子、生誕110年記念碑」と記した案内板が目に留まります。誘われて奥に進みます。奥に向かって左側の塀際に石碑が建てられています。
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「秋灯 机の上の 幾山河」と言う吉屋信子が詠んだ句が彫られています。左下に「吉屋信子生誕百十年記念」と題して吉屋信子の略歴が記されています。この碑は「栃木県立栃木女子高等学校同窓会」によって「平成十八年十一月二十四日」に建立されたものです。
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略歴には、1896年(明治二十九年)新潟市に誕生。1902年(明治三十五年)栃木市に転入。1908年(明治四十一年)栃木高等女学校(現栃木女子高等学校)入学。1915年(大正四年)上京、作家への道を歩み始める。1973年(昭和四十八年)逝去 七十七歳。
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吉屋信子は少女時代、ここ栃木の町で暮らしていたのでした。読売新聞社宇都宮支局編の本「野州百話」の序文に吉屋信子が「ふるさとを思う心は」と題して一文を寄せています。
その中で吉屋信子は栃木町の思い出を書いています。≪栃木というと、レンゲの花のじゅうたん、巴波川に浮かぶカワフネの黄色いかわいらしい花。野州の春はすばらしかった。父が下都賀の郡長でしてね。住んだのは栃木町は入舟町のカラタチの垣根の郡長舎。錦着山にはよく遊びにいきました。サクラがすばらしくてね。レンガづくりの日清・日露の慰霊塔によじのぼったりして・・・・・・・・。≫(昭和41年5月13日、鎌倉市長谷東町の自宅で)
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(以前下都賀郡役所の有った付近の巴波川)(錦着山山頂の護国神社と慰霊塔)
この文の中で「巴波川に浮かぶカワフネの黄色いかわいらしい花」は河骨の花の事と思います。今丁度元県庁堀の中に、黄色い小さな河骨の花を見る事が出来ます。
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(旧栃木市役所別館付近の旧県庁堀)(堀の中に咲く黄色の河骨の花)
又、吉屋信子が学んだと言う栃木高等女学校(現栃木女子高等学校)の校庭にも、文学碑が建てられています。
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(栃木県立栃木女子高等学校正門を入った左手に残る、旧正門)
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(現在の校舎の前に建っている吉屋信子の文学碑)

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