SSブログ

箱森町一丁目というところ [地図]

私が所属している自治会は、「箱一自治会」と言う、戸数百軒に満たない小さな自治会です。
現在の地図を見ても「箱森町」と言う町名は出ていますが「箱森町一丁目」と言う町名は見当たりません。従って箱一自治会は現在どの地域に当たるのか、知られていません。実は「箱一自治会」に所属している私自身も、正直良く判っていません。
箱森町一丁目と言う町名はどこから出て来たのか、国土地理院発行の「栃木」の地形図を遡って確認をすると、昭和40年3月発行地図に「箱森町」の区域に、「東部」「西部」そして「一丁目」の記載が確認できます。丁度私が子供の頃ですが、確かにあの頃は、「東箱森」「西箱森」それから「箱森一丁目」と言っていました。現在は東箱森自治会が二つに分かれて、「東箱森」「箱森中央」となって、4つの自治会に分かれています。
しかし、昭和49年11月に発行された地形図にはそれらの記載は消え、「箱森町」だけが表示されるようになりました。
私が子供の頃の箱森町一丁目の町内の様子を思い起こして、地図に表わしてみました。
箱一6.jpg
(昭和30年代の箱森町一丁目の様子)
町内の中心となっていたのは、現在信号機の設置されている「錦町五差路」と呼ばれるところです。地図の中央を縦に貫通している道路は、旧鍋山街道で明治33年から昭和8年まで、鍋山人車鉄道が通っていた所です。(当然、私は見た事ありません)
この道路は、南側で入舟町に入り、栃木高校の西側に至ります。北側は箱森町の十二社神社前に至ります。
箱一3.jpg箱一4.jpg
(地元を撮影した写真は意外と有りませんでした。1968年雪の日の鍋山街道)
この間、道路は一直線に出来ています。明治の19年7月発行の地図には描かれていませんから、この道路は明治の中期に鍋山人車鉄道を敷設する目的で通した、計画道路だったのでしょう。
十二社神社の前で方向を少し西に変え、野中町の増山ストアーに一直線に向かっています。
興味深い事は、栃高から十二社の間の道路上から道路前方奥に男体山を臨む事が出来て、十二社前で曲った後は道路前方奥に三峰山(鍋山)を望む様に成るのです。偶然なのか、計画的だったのか。
箱一7.jpg箱一8.jpg
(旧鍋山街道から望む男体山)           (旧鍋山街道から望む三峰山)
箱森町一丁目は、そんな鍋山街道を中心に商店が集まって出来た町で、良く言われる瓦屋さんや農家が多い西箱森や東箱森とは趣が異なります。
場所的にも栃高の直ぐ北西部に有り、入舟町や錦町に隣接する所です。
箱一1.jpg箱一5.jpg
(町内南の端、入舟町との境から栃高が見えました)(柳橋町との境辺りから錦着山を望む)
街の中には日常的に必要な商品を扱うお店が軒を連ねていました。「酒屋」「文房具店」「洋服店」「魚屋」「八百屋」「駄菓子屋」「自転車屋」「理髪店」「材木店」「石材店」「食糧品店」「御産婆さん」「加治屋」「薪屋」「大工さん」「農機具店」そして、あの時代ならではの、「懐炉灰工場」「鼻緒屋」などなど。
箱一2.jpg
(旧鍋山街道を走っていた関東バス)
今、これらの商店の殆んどが姿を消しています。昼間は通りから人影が無くなりました。ただ、自動車が通過していくだけの街に変わりました。
又、新住居表示に伴ってか、町内の境が道路境界となった事で。従来の「向こう三軒両隣り」の付き合いが分断をされ、箱一自治会は、箱森町区域、錦町区域、小平町区域へと町名が変わり、以前は学区も全員第二小から西中だったところが、錦町区域は中央小から東中へ、小平町は第三小から東中へと変わってしまいました。
元々鍋山街道沿いに出来た町の為、新たに住宅を建てる土地が町内には殆んど有りません、戸数が増加する事は今後もなさそうです。これからどのように変わって行くのか、見て行きたいと思っています。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0