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日光北街道、大渡宿 [建物]

先日、鬼怒川の北側に位置する塩谷町をドライブして、道の駅「湧水の郷しおや」にて休憩を取った後、県道461号を走り、今市から鹿沼回りで帰宅をしました。
県道461号は以前にも1・2度は走った事は有ると思いますが、あまり記憶は有りません。今回たまたま通る事になりましたが、道路が狭い割に交通量が結構有りました。又、道路脇にお堂を沢山目にしました。
鬼怒川に架かる「大渡橋」を渡って塩谷町を離れ、日光市に入って最初の集落の中ほどで、道路脇に建つ火の見櫓が目に留まりました。
大渡橋1.jpg
(鬼怒川に架かる「大渡橋」を渡り、塩谷町から日光市大渡に入る)
道路脇の空き地に車を停めて、火の見櫓の所に行くと、火の見櫓の前に多くの石仏や石塔そして小さな祠などが祀られています。
大渡宿1.jpg大渡宿2.jpg
(道路脇に建つ火の見櫓と、その前に並ぶ石塔や石仏)
そしてその脇に大谷石で建てられた消防小屋が有ります。その風景を写真に収めました。道路は頻繁に車が通過するので、のんびりと撮影出来ませんが、大谷石造りの消防小屋が気に入りました。
大渡宿3.jpg大渡宿4.jpg
(入口上部の大谷石には「豊岡消防組 第六部 機具置場」と彫られています)

県道461号は江戸時代に奥州街道大田原宿と日光街道今市宿とを結ぶ脇街道で、日光北街道と呼ばれています。「奥の細道」で芭蕉と曾良が、日光参拝の後黒羽に向かう為に、大渡宿を通過しています。
私の手元に丹羽佳岐著「おくのほそ道 奥州古道 日光から今市への直道をゆく」(随想舎)が有ります。以前、東武日光駅から東武日光線沿線を歩いて東京浅草駅まで歩いた時に、参考にした本です。
この本の中に「大渡宿と東光寺跡」と言う記事が掲載されています。
≪宿の中央の火の見櫓付近には、日光山妙道院門徒東光寺があった。慶長の頃大貫茂植右衛門屋敷裏にあった庵を、倉ヶ崎村の法蔵寺を介して、日光山妙道院配下の寺にしたという。そこには一本の百日紅があり、男体山、湯殿山の塔や常夜燈、僧の墓石が建っている。≫
今回、なにげに撮影した風景でしたが、そこにも昔を語り継ぐ物が散りばめられていた事を、あらためて知る事になりました。
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