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昭和初期の看板建築が残る石岡市へ [歩く]

そこは、まるで昭和初期の映画撮影セットの様な商店が建ち並んでいます。
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(茨城県石岡市国府・府中の旧水戸街道の町並み)
茨城県石岡市、私の住む栃木市からも東の方向に望む事の出来る、加波山から筑波山に連なる筑波山地の東麓に広がる街です。その石岡市の東側に位置する常陸府中は、奈良時代に栃木市と同じように常陸国の国府が置かれました。府中の街の北側には常陸国分寺や常陸国分尼寺も建てられました。
江戸時代に入って元禄13年(1700)には水戸徳川家の分家と成る松平頼隆が、常陸府中藩主として入封、その城下町として栄えました。
この街の中央をほぼ縦貫する形に成る街道は、かっての水戸街道でここ府中宿は千住宿から14番目の宿場町でも有りました。
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(店頭の街灯が趣の有る蕎麦店「東京庵」)
現在、町の中央部に多く残る昭和5年から7年頃に建てられた看板建築と言うスタイルの店舗兼住宅は、昭和4年(1929)3月14日に発生した「石岡大火」により、石岡町の中心市街地の4分の1を焼失した為、その後の復興において、その当時流行していた「看板建築」が多く建てられ、まさに映画のオープンセットの様な町並みが出来上がりました。
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(最上部に屋号を掲げた「玉川屋」の味の有る看板建築)
現在では既にシャッターを下ろした店舗も見られますが、多くが今も商売を続けておられます。
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(十七屋履物店:昭和5年建築、木造2階建て看板建築) 
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(久松商店:昭和5年建築、木造2階建て看板建築)
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(福島屋砂糖店:昭和6年建築、木造2階建て商家建築)
そんな建物のいくつかは「登録有形文化財」に指定されています。
私が車を駐車したのはその町の中心地に建つ「丁子屋」脇の駐車場でした。
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(丁子屋店舗:江戸時代末期、木造2階建ての商家建築)
この建物も江戸時代末期に建築された建物で、元は染物屋だったと有りますが、現在は観光施設の「まち蔵藍」と成っています。先の「石岡大火」の難からも逃れて残った貴重な建物で、中は駄菓子屋風で、お土産なども販売していました。
この「丁子屋」から直ぐ南の道路際に大きな石の鳥居が建って、その参道の奥に立派な社殿が見えます。「金刀比羅神社」で、祭神は大物主神です。≪文政10年(1827)讃岐国象頭山(香川県琴平山)の金毘羅大権現の御分霊を勧進して、「こんぴら信仰」のよりどころとして多くの人々の参詣を集めている。≫と参道脇の案内板に記されていました。
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(国府平の森 金刀比羅神社の社殿)   (神社参道右手に建つ、正岡子規の句碑)
又、境内には正岡子規が第一高等中学校在学中の明治22年(1889)春、水戸の学友を訪ねて徒歩で旅行し、その時著した「水戸紀行」の中に、≪二日目は、小雨の中土浦「總宜園」(跡地に句碑有)で霞ヶ浦を眺め、「醤油の名所、石岡まで辿りつき萬屋に宿を定め」る。≫と石岡に1泊している事を記した案内板と、「二日路は筑波にそふて日ぞ長き」の句碑が建てられていました。

現在は市街地に入る南側にて国道6号線が分岐して、東側をバイパスする様に北東方向に伸びています。多くの車がこの分岐で右に進み、左の旧道に入ってくるのは少なくなっています。

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