SSブログ

延長堀を探る [栃木市の河川と橋]

今日は、暑くなる前に都賀町平川から大宮町に灌漑用水を送っていた「延長堀」を自転車に乗って探って来ました。朝日はまだ厚い雲に遮られ、自転車を走らせると爽やかな空気が肌を撫でて行きます。
平柳郵便局の角で宇都宮街道から分かれて北方向へ。東武宇都宮線野州平川駅の東側で踏切を渡ります。
野州平川駅1.jpg野州平川駅2.jpg
(東武宇都宮線野州平川駅)
前から栃木市街地を流れる川に架けられた橋の名前に興味を持って、休日を利用しては市内の橋を探し求めていました。その手助けと成ったものは「ゼンリン住宅地図」。そこで県道2号線(宇都宮街道)の「印役」付近に三ヶ所、橋の名前を見付けました。「国宮橋」と「羽黒橋」そして旧道筋に「二ツ木橋」です。
国宮橋.jpg羽黒橋.jpg
(県道2号線に架かる橋、「国宮橋」と「羽黒橋」。ゼンリン住宅地図抜粋、個人情報は削除)
県道2号線は道路拡張工事の為、昔の場所に現在橋の名残りは有りません。確かに良く見ると道路の左右に水路らしきものを見つける事が出来ますが、普通に道路を走っていると全く気付きません。
私が1980年に撮影した時には「国宮橋」の以前の親柱が残っていましたが、「羽黒橋」「二ツ木橋」は橋の名前を確認するものは有りませんでした。
国宮橋1.jpg国宮橋2.jpg
(旧「国宮橋」の親柱。1980年撮影)   (国宮橋が架かっていた辺りの最近の様子)
二ッ木橋1.jpg二ッ木橋2.jpg
(最近の「二ツ木橋」付近、建物は「印役公民館」)(1980年当時の「二ツ木橋」付近)
もう1ヶ所の「羽黒橋」の場所は、「萱場地蔵尊」近くに有りましたが、以前の様子も写真に残っていません。「延長堀」の文字はその「羽黒橋」の下流部分に記されていました。
「延長堀」に関する資料はこれまで見つける事が出来ていません。ですからこの「延長堀」の文字をどのように呼ぶのかも自信が有りません。「のぶながぼり」と言うのか、「えんちょうぼり」と言うのか。
「栃木市史」史料編・近現代Ⅱの中に旧国府村の江戸時代の開田の記事が掲載されている中に、≪円長沼:大塚地内にあり、開田1町余歩≫n文字を確認しました。「円長沼」と「延長堀」違うものかもしれませんが何か関係が有る様な。
その様な疑問だらけの「延長堀」。それらしき所をグーグル地図で確認して、いざ現地確認に出掛けました。
今回巡った場所を国土地理院の地形図を基に概略図を作成しました。
延長堀の流れ.jpg
(栃木市大宮町、野州平川駅周辺の概略図)
都賀町平川公民館付近1.jpg
(大宮町北隣り、都賀町平川の公民館付近に有る池)
最初に確認した所は、都賀町平川公民館付近、近くに火の見櫓と消防小屋、そして薬師堂に厳島神社が周囲を道路に囲まれた一角にあり、その横に弁天池と思われる小さな池、中之島の木々が水面に移り、チョッとした趣を醸し出しています。現在の池とは違う「弁天沼」が実際に有ったそうです、≪池には清水が湧出していて魚も沢山いて、岸には桜の大樹が三本あり春は見事な花で村人の憩いの場所だった≫と、厳島神社の説明板に記されています。昭和35年(1960)頃道路拡幅によって埋められたと有りました。
都賀町平川公民館付近2.jpg
(平川公民館の西側を北西方向から流れてくる水路。左奥の森が羽黒神社)
公民館の南側から北西方向に、幅2~3メートル程の水路が伸びています。水路の両岸には水田が広がりその向こうに大きな森が有ります。旧平川村の村社「羽黒神社」が祀られています。
羽黒神社1.jpg羽黒神社2.jpg
(羽黒神社正面鳥居と社殿)    (神社境内の東脇を流れる水路に御手洗場か?)
この羽黒神社の東を流れる水路の下流、県道2号線(宇都宮街道)に架かっていた「羽黒橋」の橋名はこの神社の名前を採ったものでは無いかと、私が勝手に考えています。
この水路の上流を辿って行くと、栃木ミツカンの工場西側から更に北に遡ります。その先は都賀町東部を潤した「桑原用水」に繋がっており、最終的には思川の取水点にたどり着く様です。
今回は上流の探索はここまでとして、ここから下流に向かいます。
分岐に建つ石碑1.jpg分岐の道標.jpg
(野州平川駅から北上して来た道の分岐点に建つ石碑)(石碑の脇に立てられている道標)
水路に沿って道を戻り、野州平川駅から北上して所に有った分岐点へ。分岐に古い石塔が建てられています。石の表面に刻された文字は風化が激しくハッキリ確認出来ません。台座部分には「大字平川」と刻されています。その脇に建つ案内板にはY字路の右方向は「栃木市大塚町」、左方向「都賀町合戦場・鹿沼街道」、Y字の上に「平川」と記されています。この分岐から少し南側に羽黒神社脇を流れて来た水路が北西から南東に流れ、この水路を境に左岸(北側)が「都賀町平川」、右岸(南側)は「大宮町」と成ります。
そしてこの場所に架かる橋の下流側で水路は分岐して真直ぐ南東方向に向かう主流は「古河産機システムズ(株)栃木工場」の北側から東側へ回り込む様に流れて、東武宇都宮線の下を抜け「萱場地蔵尊」の元に向かっています。
一方分岐を南方向に流れる水路は東武宇都宮線の下を抜け、「日本コークス工業」の西側を南流、国宮橋の元に向かっています。
涸沼1.jpg
(古河産機システムズの工場北側、グーグルマップに小さな池が描かれた場所)
次に訪れた所は、グーグルマップに池らしく見えた場所です。その場所は住宅地の奥に有りましたが、そこは柵で囲われていて、窪地と成っていますが水は無く、夏草が生い茂って鬱蒼としていました。私の予想としてはこの場所が「延長堀」の源流となる湧水地ではないかと予想していた所ですが?枯れていました。
萱場地蔵尊1.jpg
(県道2号線の北脇に祀られている、萱場地蔵尊)
萱場地蔵尊2.jpg
(萱場地蔵尊の北側で確認した水路には、水が音を発てて流れています)
萱場地蔵尊の場所には水路は有りません。その裏手(北側)で水路の水は暗渠と成って地蔵尊の下を流れている様で、その先は県道を越えた南側、大山整形外科の脇で水路と成って姿を現し、その先の住宅街の中へ消えています。
四季の森へ.jpg
(大山整形外科の南側で水路はほぼ直角に曲がって、東方向「四季の森」の住宅地へ)
四季の森西側.jpg
(四季の森住宅地の西側で再び方向を直角に変え、南へ真直ぐと流れる水路)
大山整形外科さんの南側に広がる水田地帯は平成十六年以降すすめられた土地改良事業の竣工によって、その地を流れる水路も大きく姿を変えました。田圃の中を一直線に走る水路に昔の水路の面影を探すことは不可能な様です。
昔有った「羽黒橋」の下を流れた「延長堀」の水はそのルートを変えはしましたが、国府地区と大宮北地区の田んぼの中を今も流れています。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。