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太平山六角堂正面参道石段の右手に建つ「櫻井源四郎翁之碑」 [石碑]

太平山神社表参道、通称あじさい坂の登り口、六角堂正面石段に向かって右手、以前紹介した「故田村代議士記念碑」の丁度後ろ側に建てられた石碑、その碑面上部に刻された篆額には「櫻井源四郎翁之碑」と有ります。
石碑正面全体.jpg篆額部分.jpg
(「櫻井源四郎翁之碑」の石碑正面、後方の赤い幟旗は六角堂境内に建つ)(篆額部分)

櫻井源四郎翁と言えば、第三代栃木町長として、良く知られています。
現在も万町交番の道路向かいに「櫻井肥料店」の店舗が有ります。
櫻井肥料店店舗.jpg
(万町交番の道路向かいに建つ櫻井肥料店店舗)

石碑正面上部の篆額の文字は、碑文冒頭に有る通り、石碑が建立された大正14年当初農商務大臣であった高橋是清が揮毫しています。
碑文を撰した人物は、初代栃木市長となった榊原經武、建碑当時は衆議院議員でした。又、碑文をしたためた石塚新吾と云う人物は、碑陰の寄附者芳名、個人名の一番最初に記されている。栃木町有数の実力者でした。
碑陰寄付者芳名上.jpg碑陰寄付者芳名下.jpg
(碑陰の寄附者芳名の上半分)         (碑陰の寄附者芳名の下半分)

碑文と碑陰の寄附者芳名を書き写しました。
櫻井源四郎翁之碑(碑文).jpg寄附者芳名(碑陰).jpg
(碑文を書き写しました)               (碑陰の寄附者芳名を書き写しました)       

碑文を見てみましょう。私の苦手な漢文体で、漢字が切れ目無く並んでいて、どう読んで行くのか全く分かりません。ただただ文中の漢字の単語で、書いて有る内容を推測して行くのがやっとこです。
「太平公園第二公園之設置」「小学校舎之新築」「太平山虚空蔵祠堂之再建」「明治三十三年選為栃木町長」「栃木銀行取締役」「栃木商業会議所会頭」など、これだけで翁の業績や政財界の活躍などを知る事が出来ます。
ここに有る「太平山虚空蔵祠堂之再建」は明治35年(1902)の台風で倒壊した「虚空蔵祠堂(六角堂)」を、同38年、鈴木宗四郎や片山久平らと再建したもので、そのような縁も有り、この六角堂の境内前に石碑建立となったものです。  

尚、碑文後半に認められる単語、「風雅」「俳諧」「謡曲」「茶道」より、翁が風流の道にも堪能で有ったことが窺い知れます。
この碑の外にも、六角堂境内には翁の歌碑も建てられています。
櫻井源四郎翁歌碑.jpg
(「太平の嶺の神垣清ければ末も濁らぬ宝生乃瀑」櫻井源四郎義正詠)

※参考文献: 「栃木人 明治・大正・昭和に活躍した人びとたち」 石崎常蔵著            
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