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広島県呉市の市街地で、戦艦大和のデザインマンホール蓋を巡りました [歩く]

広島県呉市と言えば、明治の初めに鎮守府が置かれ、先端技術を集積した軍港都市。戦艦大和が建造された地としても有名です。
今回、その呉市を訪れ市街地を歩いて、戦艦大和をデザインしたマンホール蓋を探して、撮影して来ました。
市街地を歩くと、街中に川が流れ、そこに幾つもの橋が架けられています。私の好きな街の風景です。おのずと川沿いを歩く事に。
呉市の街並みは明治初期に海軍が、鎮守府と工廠を併設させ、水道や鉄道と言った社会基盤の整備を進めた為、三方を山に囲まれ、瀬戸内海に続く入江に注ぎ込む、「堺川」と「二河川」のふたつの川の河口近に出来た平坦地に、道路が碁盤の目の様に直交する、街並みが広がっています。

JR呉駅前から北東に一直線に伸びた「今西通り」を中心線として、左右対称に二つの川が並行して流れています。駅前を横断する国道31号を左に320メートル程行くと、「二河川」に架かる「二河大橋」。右に315メートル程行くと、「堺川」に架かる「昭和橋」へ。その先、呉郵便局前交差点を左に320メートル程行くと、「二河橋」へ。右に316メートル程行くと「堺橋」。といった具合に成っています。
呉市街地の道路と橋 概略図.jpg
(広島県呉市、JR呉駅周辺道路と河川概略図)

栃木市に住む私は、街中を縦断して流れる「巴波川」とそこに架かる多くの橋、そしてその橋の名前に興味を持ちました。
巴波川はその源流の一つ、川原田町の白地沼から藤岡町の渡良瀬遊水地内で、渡良瀬川に合流するまでの間に、現在、人道橋を含め49橋架けられています、その間の距離はおよそ24.5キロメートルとすると、平均の橋間距離は約491メートル。栃木の市街地(栃木外環道の「蟹田橋」から栃木小山線に架かる「平成橋」までの間)だけを考えると、その流域距離は約3キロメートル、そこに19橋架かっていますから、平均橋間距離は約167メートルということに成ります。
呉市の「堺川」を見ると、市街地(河口から相生橋まで)だけですが、流域距離は約1878メートル、その間の橋の数は17ヵ所ですから、平均橋間距離はおよそ110メートルですから、歩いていると次々と橋が現れるので、つい夢中になってしまいます。

今回歩いたのは「堺川」に沿って、「亀山橋」から「花見橋」までです。その480メートルの間で6つの橋を鑑賞出来ました。一番気に入った橋は「堺橋」、昭和7年(1932)の架橋と言う。昭和42年(1967)まで路面電車の「呉市でん」が上を走っていたそうです。
堺橋1.jpg堺橋2.jpg
(堺川に架かる「堺橋」、下流側左岸より)     (堺橋の欄干と親柱)

「五月橋」の親柱の上にはガス燈が有ります、とても洒落た形状をしていて、現在も夜になるとオレンジ色の暖かい光を放っているそうで、点灯した様子を見て見たかったです。
五月橋1.jpg五月橋2.jpg
(堺川に架かる「五月橋」の欄干と親柱)  (親柱の上にはモダンなデザインのガス灯)

その五月橋の右岸橋詰に、戦艦「大和」の主錨の複製が展示されていました。
寸法は、全高5.472メートル、全幅2.834メートル、重量15トンと説明が有りました。
戦艦大和の主錨.jpg戦艦大和主錨寸法.jpg
(重量感あふれる戦艦大和の主錨)

それでは、その戦艦大和をデザインしたマンホール蓋が設置されていると言う、美術館通りに向かいます。
堺川を渡り南東方向へ進むと、アケードの有る商店街、そこも通りすぎると広い道路に出ます。国道185号です。右折して国道を南西方向に進むと、JR呉線のガードが見えてきます。そのガード下を抜けると、道路左手にワインレッドの3階建てのビルの前へ。旧呉海軍下士官兵集会場(青山クラブ)の建物で、現在は「海上自衛隊呉集会所」です。建物の外壁には、アニメ映画「この世界の片隅に」の風景や人物などが描かれています。
旧青山クラブビル.jpgアニメの風景画.jpg
(旧呉海軍下士官兵集会場の建物)   (アニメ映画「この世界の片隅に」のワンカット)

そのビルの前を過ぎ、左に折れると目的の「美術館通り」。赤レンガ敷きの広い歩道に街路樹が並び、多くの彫像作品が展示されています。
案内表示.jpg美術館通り.jpg
(呉市立美術館への案内表示)       (「美術館通り」 日本の道100選の一つ)

「美術館通り」入口に早速、戦艦大和を描いた二枚のマンホール蓋が設置さえていました。
呉市01.jpg呉市02.jpg

そのまま歩道を歩いていくと次々と違うデザインのマンホール蓋が見つかりました。
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呉美術館前に「日本の道100選」を示す碑が建てられています。
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美術館通りの端に、「入船山」「旧呉鎮守府長官官舎」の表示を付けた趣のある門扉が有ります。「入船山記念館」です。
入船山記念館.jpg時計塔.jpg
(「入船山記念館」の門扉)                 (旧呉海軍工廠塔時計)
長官官舎.jpg
(旧呉鎮守府司令長官官舎)

「入船山記念館」入口付近の歩道にも、戦艦大和のマンホール蓋は設置されていました。
呉市07.jpg呉市08.jpg

「美術館通り」の端まで来ましたが、ここまで見つけたマンホール蓋は8枚です。10枚有るというので、記念館の人に尋ねると、残りの2枚は少し離れた「呉海軍墓地」近くに有ると言われたので、思い切ってそちらも尋ねる事にしました。
呉海軍墓地標柱.jpg多くの慰霊碑が建つ墓地.jpg
(呉海軍墓地標柱)(墓地内には多くの艦艇と共にした戦没者の為の慰霊碑が建っている)
戦艦大和慰霊碑.jpg呉海軍墓地の沿革碑.jpg
(戦艦大和戦死者之碑)             (「呉海軍墓地の沿革」碑) 

近くの道路上に目指した最後の2枚のマンホール蓋を発見しました。
このデザインは、戦艦大和の最後の姿を描いたものだと言います。
呉市09.jpg呉市10.jpg

戦艦大和のデザインマンホール蓋を探しながら、かつての軍港として発展した呉市の街を僅かながら垣間見た感じです。

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