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御野立記念の碑 栃木市岩舟町鷲巣 [石碑]

この場所は、眼下にJR両毛線の線路、西南西の方向に三毳山、そして前方少し左(南南東)方向に地元で富士山(ふじやま、標高93.7メートル)と呼ばれる小丘を望む所。正に目の前近くに岩舟の街を一望出来ます。
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(兜山公園から南の方角を望む。奥に見える小丘が富士山)
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(兜山公園に設置されている「栃木市岩舟町パノラマ」図)
北側は日本三大地蔵の一つとも称され、死者の魂が集まる所とされる岩船山(標高172.7メートル)に成ります。
この岩船山の南東に位置する所は「兜山公園」として整備されています、通称坊主山と呼ばれています。標高は50メートル程で、比高を見ると約20メートル程の高さとなります。
この高台に現在2基の石碑を見る事が出来ます。
御野立記念の碑3.jpg
(兜山公園に建つ2基の石碑。手前「明治天皇鷲巣御野立所」と読める)
その一つは碑文に大正元年八月と刻されていますが、正面に大きく「御野立記念之碑」その左側に「陸軍大将正三位勲一等功二級男爵鮫嶋重雄謹書」と有ります。
碑陰の文は「栃木中學校長劉須謹撰」と刻されています。尚碑陰左下隅に「岩舟村建之」と有りました。
御野立記念の碑1.jpg御野立記念の碑2.jpg
(後方に建つ石碑「御野立記念之碑」) (碑陰には大正元年 劉須謹撰の碑文を刻す)
碑文全体を読み写してみました。
御野立記念の碑文写し.jpg
(御野立記念之碑の碑文を写し書きしました)

栃木市史の資料編近現代Ⅰを開くと、第三章第四節に「天皇の行幸」と有り、初めに「一、近衛師団演習(明治三十二年) 栃木町に行在所」の記事が記されています。
其の中に、「演習天覧」 (十六日 岩船山東南部中腹の坊主山で観戦された。)としてその時のエピソードが紹介されています。

手前に建てられている石碑によると、此の地は「明治天皇鷲巣御野立所」として、史蹟名勝天然紀念物保存法に依り史蹟として昭和11年11月 文部大臣指定された事が刻されています。ただ、その後同法に依り史蹟指定された明治天皇の行在所等の「聖蹟」は、昭和23年6月29日一斉に史蹟解除されています。

ただ史実として明治32年11月16日にこの地で明治天皇が、南軍北軍に分かれた近衛師団の激戦を交わす戦況を観戦した事、その後ここ御野立所に於いて御昼食を食した事などを、碑文として刻したこれらの石碑が、今日の私達に静かにその事実を伝えてくれているのでした。
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