SSブログ

満開の桜の下で珈琲を。第2回栃木コーヒーフェスティバル [祭]

今日、旭町の神明宮と第二公園を会場に、第二回栃木コーヒーフェスティバルが開催されました。
私は何故か勘違いをしていて、先週既に終わっているものと思っていました。が、昨夜娘から今日が開催日で有る事を聞かされました。
栃木珈琲フェスティバル6.jpg栃木珈琲フェスティバル8.jpg
(会場となった「第二公園」とその北隣りの「神明宮」)
野外で開催されるイベントは、天候に恵まれれば80パーセント以上成功間違いなし。その点今回のイベントは、青空が広がりその上満開の桜。会場を第二公園にした事で最高の環境が整ったと行っても、過言ではないと感じました。それもこれも神明宮の御利益なのかも。
栃木珈琲フェスティバル4.jpg
(満開の桜の下、テント仕立てのお店が並んでいます)
会場に入ると既に沢山の人が、思い思いにお気に入りのお店で好みの珈琲を飲もうと行列しています。
栃木珈琲フェスティバル9.jpg
(人気のお店なのでしょうか、長い行列が出来ています)
栃木珈琲フェスティバル1.jpg
(コーヒー店以外の、ハンバーガーや唐揚げ・餃子などのお店も行列が)

私も珈琲は大好きですが、特に原料や製法等にこだわっていません。家では普通にインスタントコーヒーで、満足して飲んでいます。ですから今日はどのお店の珈琲を飲んだら良いか全く分かりません。
そこで最初に選んだお店は「悟理道珈琲工房」さん。選んだ理由は、何時もウォーキングで市内を回っていて、最近昔の阿部清商店さん(最近までトリウミ味噌さん)のお店の後にオープンしたのを、何時も店の前を通る時に気に成っていたからです。
栃木珈琲フェスティバル10.jpg栃木珈琲フェスティバル7.jpg栃木珈琲フェスティバル5.jpg
(太陽の光を浴びながら飲むコーヒー、やはりいつも飲むインスタントとは)

会場では、珈琲店だけで無くクレープやハンバーグなどのお店も出店していました。娘から仕事で行けないから、「ハウディーズカフェ」さんのハンバーグを買ってきてとリクエストされていたので、お土産に買ってきました。出来るまで30分から40分という事で、その間他のお店の珈琲を飲んだり、第二公園の噴水池の周りを散策したりして、春の一日を満喫して来ました。
栃木珈琲フェスティバル2.jpg
(第二公園噴水池、桜の花で一段と艶やかに感じます)
栃木珈琲フェスティバル3.jpg
(柳の木も新芽が出て黄緑色の爽やかに輝いています)

帰り道、巴波川の幸来橋から川沿いを歩いて来ました。ここも多くの観光客で賑わっていました。
数日前の夏の様な暑さから少し平年並みの陽気に戻った様で、少し冷たく感じる春風に桜の花びらが舞っていました。

巴波川の鯉幟.jpg
(幸来橋の上から、巴波川の上を泳ぐ鯉幟、船行を楽しむ観光客も)
瀬戸ヶ原公園の桜.jpg
(瀬戸河原公園脇、九十九曲り用水に桜の花びらが舞う)
nice!(0)  コメント(0) 

今日の一枚「下野市 姿川桜堤の落日」 [自然の恵み]

下野市、石橋中学校の西側を流れる姿川、その左岸堤防沿いに桜の並木が作られています。
私は今回初めてこの桜堤を訪れました。
この桜堤については、以前から壬生から石橋方面に車を走らせている時、姿川に架かる「細谷橋」周辺で川の上流方向に見えていました。桜が咲いている時一度訪れたいと思っていた所でした。
今日は買い物帰りの途中だった為、現地に着いたのは夕方の5時30分を過ぎていました。
姿川の左岸、アメニティーパークの南端から細谷橋の近くまで約600メートル程の桜並木が、僅かに右カーブを描く様に流れる川に沿って曲線を描いて、その桜並木が夕陽を受けて、一段とピンク色の度合いを増している様です。
そして午後6時丁度、黒く光を失った大地に、辺りをオレンジ色に染めた太陽が沈んで行きます。その最後の光りが手前の桜の花を照らしていました。その瞬間をカメラに収めました。

姿川堤の桜と夕陽.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

栃木 錦着山の桜が満開に成りました [草花]

今朝、近くの錦着山にお花見に行ってきました。
初夏を思わせる陽気に一枚上着を抜いて出かけました。
まず、以前の錦着山護国神社参道を横切る様に抜けた栃木環状道路との交差点に架かる歩道橋の上から錦着山の桜の開花状態を写真に収めました。
錦着山の桜1.jpg
(栃木環状線薗部町歩道橋の上から、錦着山を撮影)
錦着山の登り口は東西南に5カ所有ります。自動車で来た時は自ずと駐車場の有る南側から登っていますが、今回は自転車だったので鳥居の有る東側中央部からの参道を登る事にしました。登り口近くに自転車を停めて登ります。
錦着山の桜3.jpg錦着山の桜2.jpg
(錦着山南麓の駐車場、ここも満開でした)      (錦着山東側登り口、護国神社大鳥居)
錦着山の桜4.jpg
(東側の坂を登った所、南側に回り込む)
ここで更に右に折れ、東側の山肌を登る細い通路が有りますが、今回は少し先から石段を登って社殿の前に出る参道を登りました。

錦着山の桜5.jpg
(山上に有る護国神社社殿前)
平日だった為か、この日の錦着山は人影はそれほど多く有りません。中年の女性や、老夫婦らしき人達が参道の石段を登って来て参拝をしていました。
拝殿に向かって左手方向に社務所が有りその横の坂を少し登ると、錦着山の頂上に成ります。国土地理院の三角点もここに設置されています。そこから西方向に進むと、昭和26年竣工となった、赤津川分水路の開鑿に尽力を尽くされた当時の栃木市長小根澤翁之胸像が、永野川と赤津川分水路の合流点を望む様に建てられています。空気が澄んだ日はここから北西方向に男体山をはじめとする日光連山の山々を展望する事が出来ます。
錦着山の桜6.jpg
(山上の西端、眼下の永野川緑地公園も桜が満開に成っています)

帰りのルートは、山頂から社殿の裏の道を抜けて、東側の道を下ります。
錦着山の桜7.jpg
(錦着山東側の道)
錦着山の桜8.jpg
(下りながら振り向くと青空を背景に錦着山のシンボルの燈台が)
錦着山の桜9.jpg
(錦着山の南西方向に緩やかな山並みの太平山を望む)

この週末、太平山の桜も見頃に成ってることでしょう。
nice!(0)  コメント(0) 

目黒川で、お花見をして来ました [草花]

今週に入り連日、初夏を思わせるような天候に、東京では桜も満開、まさにピークを迎えています。
そこで今日、思い切って東武電車に乗り込みました。最初の目的地は「目黒川の桜」です。
目黒川の桜3.jpg
(目黒川の両岸から川を覆うようにせり出した桜の枝一杯に花を付ける)

最寄りの駅は東急東横線の中目黒駅、目黒川はこの駅のホームの下を流れています。
私は25年ほど前、単身赴任で自由が丘と栃木を毎週往復をする生活を4年間続けました。その通勤ルートがこの中目黒駅で地下鉄日比谷線から東急東横線に乗り換えていました。その頃、会社の同僚からこの「目黒川の桜」の情報を耳にした事も有りますが、その当時は週末は栃木に帰って、子供達と一緒の時間を過ごす事で一杯でした。今回そんな懐かしさも手伝って、中目黒の駅を降りました。
目黒川の桜4.jpg
(目黒川両岸の通りは、花見客で溢れる)

そこは想像以上の混雑で駅のホームや改札口も行列が出来ていて、駅から出るのも一苦労、それから目黒川両岸の道路も目黒川に架かる多くの橋の上も、花見の客が溢れて歩くのも儘なりません。
目黒川の桜1.jpg目黒川の桜2.jpg
(川岸の通り沿いには露店が並び、桜の下で花より団子を楽しむ)

平日にもかかわらずこの混雑ぶりはどうなっているのかと、田舎者には不思議でなりません。
南部橋左岸橋詰に石碑が建てられていました。碑面上部に「櫻樹」と刻し、その下に記念碑となっています。碑陰を見ると、碑文と発起人・賛助員らの名前などが刻されています。碑文を読むと、
≪昭和二年目黒川改修工事竣成と相俟って 市街の風景を存する為め両岸一帯に櫻樹を植付 永久に記念すべく有志の計畫に因り成りたるもの也  昭和十一丙子年三月建之≫と、現在の「目黒川の桜」の最初の由来が記されています。
目黒川の桜5.jpg目黒川の桜6.jpg
(南部橋橋詰に建てられて「櫻樹 記念碑」とその説明板)

南部橋の所から左岸の道を更に遡ると、鮮やかな朱色に塗られたアーチ型の橋が桜の間から現れて来ました。歩行者専用橋の「中の橋」です。
目黒川の桜7.jpg
(歩行者専用の「中の橋」、ここも多くの花見客が桜をバックに写真を撮っていました)

私が今日目黒川で撮った桜の花三昧を紹介します。
目黒川の桜8.jpg
目黒川の桜9.jpg
目黒川の桜10.jpg

やっとの思いで目黒川岸を遡って、東急田園調布線の池尻大橋駅にたどり着きました。早々にそこから脱出して東京メトロ半蔵門駅に向かうことに。次の目的地は「千鳥が淵の桜」にしました。
しかし半蔵門付近も多くの観光客や花見客で溢れていました。半蔵門前から内堀通りを北に歩き靖国神社を参拝。慣れない人混みの中を歩いた為か疲れが出て来たので、夜桜を見るのを諦めて帰路に付きました。それでも我が家に着いたのは22時近くに成っていました。疲れも出ます今日の歩数を確認すると、22,913歩を表示していました。
nice!(0)  コメント(0) 

新栃木駅前の巴波桜が満開に [歩く]

昨日のウォーキング途中、新栃木駅入口交差点の足利銀行新栃木支店角に薄ピンク色の花を付けた街路樹が目に留まりました。
この桜の樹は数年前より新栃木駅前通りの新しい目玉として、植樹が行われてきている桜の街路樹で、栃木街に因んだ桜の品種「巴波桜」です。
歩くコースを少し変更して、新栃木駅前に向かいました。
巴波桜1.jpg
東武日光線新栃木駅前から西に向かう道路は、駅前から大通り(主要地方道宇都宮亀和田栃木線)までの約500メートルの道路(県道新栃木停車場線)に現在まで植樹が進んで来ています。将来的にはその先の主要地方道栃木粕尾線の東北自動車道栃木インターまでこの巴波桜の植樹を行って、桜の並木を作って行く計画の様です。
巴波桜2.jpg巴波桜3.jpg
現在、最初に植樹された駅前広場の樹は3メートル程の高さまで成長してきて、駅前を鮮やかに彩っています。それぞれの樹には植樹に協力している嘉右衛門町や泉町、大町などの地元自治会や会社・団体のネームプレートが付いています。
巴波桜4.jpg
その後、突然降り出した雨に暫し雨宿りをしつつ、今日は良く歩きました歩数計は「16,677歩」、約10キロメートルも歩きました。
帰りがけに、私の一番お気に入りの桜見ポイント、巴波川の小平橋袂の桜の開花状態を確認して帰りました。蕾は大分膨らんで来ています。

nice!(0)  コメント(0) 

川越の街にて春色を写す [草花]

今日、春色溢れる川越の街を歩いて来ました。
暖かい陽気に誘われてか、「時の鐘」周辺は多くの観光客で大混雑していました。
川越蔵造り通り.jpg川越時の鐘.jpg

少し人混みから離れて、喜多院方向に移動します。更にそこから南に歩いて中院の境内を訪れます。
全くの予備知識も無く喜多院や中院を散策して来ましたが、それぞれ川越の桜の名所らしく、早咲きの枝垂桜や寒緋桜そして白木蓮の花々が色鮮やかに咲き誇っていました。
そんな川越の春色を、切り撮って来ました。

喜多院1.jpg
中院1.jpg中院2.jpg
中院3.jpg
中院4.jpg

先日、東京の開花宣言が出ました、桜のシーズンはいよいよこれから。わが街栃木での開花は、もう少し先に成ります。
nice!(0)  コメント(0) 

栃木市日ノ出町の元軍馬購買所跡地に建つ石碑 [石碑]

栃木市大宮町から県道44号(栃木二宮線・通称小金井街道)を通って栃木の市街地に向かってくると、今泉町二丁目の中元内科医院の手前で、斜め右に入る道路が有ります。こちらの細い道路が昔の小金井街道でした。この道路は現在市道11118号線の管理番号が付けられ、途中東武日光線の踏切を通過して日ノ出町の榎堂稲荷神社の前を通って、ウエルシア栃木日の出町店の所で、再び県道44号線に突き当たります。途中の踏切は歩行者二輪車は通行できますが、自動車は通行不可になっています。
旧小金井街道東分岐.jpg旧小金井街道東武日光線踏切.jpg
(左が現在の県道、右が旧小金井街道)  (途中の東武日光線踏切、自動車通行不可)
この旧小金井街道の西側の出口近く、現在の山門クリニック駐車場の隅に、大きな石碑が道路に面して建てられています。その手前には小さな3基の石碑が建ち、向かって右側の石碑から「生駒大神」・「軍馬忠魂碑」・「黒鹿毛ギヤンタ號 鐡馬靈神」とそれぞれ文字が刻されています。
鐵馬霊神.jpg軍馬忠魂碑.jpg生駒大神.jpg
「鐡馬靈神」と刻した石碑は、昭和6年2月5日に小松澤繁助翁が建立。
「軍馬忠魂碑」と刻した石碑は、昭和14年4月7日に栃木軍馬購買斡旋組合が建立。
「生駒大神」と刻した石碑は、昭和22年6月5日に栃木家畜商組合員有志によって建立。

そしてその後ろに建つ大きな石碑には「小松澤繁助翁之碑」と中央に大きく刻され、右上に「創立十五年記念」、そして左下部分に「軍馬補充部本部長陸軍中将武藤一彦書」と刻されています。
小松澤繁助翁之碑(表).jpg小松澤繁助翁之碑(陰).jpg
(市道11118号線沿いに建つ石碑)    (小松澤繁助翁之碑の碑陰)

この「小松澤繁助翁」とはどんな人なのか、手元に有る昭和47年4月7日下野新聞社発行の「郷土の人々 栃木・小山・真岡の巻」のページをめくると、「交通の先駆小松沢氏」として、≪小松沢繁助は、大正のはじめにトテ馬車を走らせた交通部門のパイオニヤ。日露戦争には、軍馬五百頭を軍に納めるという武勲を立てた。また大正十三年には小平重吉らと共同で関東自動車を創設、初代社長となった。≫と、紹介をしていました。
碑陰に目をやると、この石碑は昭和9年に、栃木軍馬購買斡旋組合が、組合創立15年を迎えるに当たり、昭和6年5月に病没した小松澤繁助翁の昔日の功績を偲んで、建碑したと記されています。碑陰一面に刻された碑文には、翁の軍馬購買斡旋に係わった人生が縷々と記されています。その全文を写し書きしました。
碑文写し.jpg
(小松澤繁助翁之碑、碑陰の碑文を写し書きしました。)

それではなぜこの石碑がこの地に建てられたのか。その答えは栃木市日ノ出町自治会が、昭和62年3月31日に町制50年を記念して発行した「日ノ出町史」の中に有りました。それは「栃木軍馬購買所」と題した記事で、≪トテ馬車又は関東バス株式会社の創設者でも知られている小松澤繁助翁が、日露戦争の時に軍馬を当地方から五千頭も納入して、近衛第一、第三、第十三、第十四、第十五、各師団に、昭和六年五月迄に軍馬を一万頭も買上納入しておりました。最初は、現在の深谷病院(今はサンライズクリニックに改称)の南側から久我様宅前道路迄に軍馬購買斡旋組合を作り、其の組合長に小松澤繁助翁がなられ・・・・以下略≫
まさにこの石碑の建つ場所に、「軍馬購買所」が有ったのでした。
この地方は美田が広がる農村地帯で、数多くの農耕馬が家畜として育てられ、農作業の大きな力となって家族同様に大切にされていました。それをお国の為として手放すことはとてもつらい事であったと思われます。
市内の各地に、軍馬として出征した馬を記念する石碑が建てられています。
日露戦役軍馬紀念碑(土与).jpg日支事變出征馬記念碑(薗部).jpg
(大平町土与の日露戦役軍馬紀念碑)  (薗部町の日支事變出征軍馬記念碑)

「小松澤繁助翁之碑」の前に建つ「鐡馬靈神」と刻した石碑は、翁がお亡くなりになった年の昭和6年2月5日に、翁自らが建立をしたもので、碑陰には戦場に赴き激務に耐えて務めを全うした軍馬への慰労の言葉が刻されています。

nice!(0)  コメント(0) 

金山浄水場取水塔 [建物]

映画「男はつらいよ」で有名な、東京都葛飾区柴又の帝釈天、正式には「経榮山題経寺」という日蓮宗の寺院。その参道の入口となる駅が、京成金町線柴又駅です。
柴又帝釈天.jpg柴又帝釈天参道.jpg
(柴又帝釈天の二天門から見た帝釈堂)  (柴又帝釈天参道の土産物店)
この柴又駅の駅前広場に建っているのが、「男はつらいよ」の主役、今は亡き渥美清さん演じる「フーテンの寅」こと「車寅次郎」の銅像です。柴又駅に向かう寅さんが、ふっ、と足を止めて後ろを振り返る。すると、その視線の先に、心配そうにお兄ちゃんを見送る、最愛の妹「さくら」の姿が有りました。
フーテンの寅像.jpg見送るさくら像.jpg
(柴又駅前広場に建つ「フーテンの寅」さんの銅像)(昨年姿を現した「見送るさくら像」)
この「見送るさくら像」は、昨年、2017年3月25日に、「男はつらいよ」の映画監督山田洋次さんや、妹さくらを演じた賠償千恵子さんも参加して除幕式が行われたもので、建てられてからまだ1年程しか経っていません。「フーテンの寅像」が設置されたのが1999年という事ですから、それから18年後にやっと寅さんを見送る妹のさくらさんが姿を現したことに成ります。二つの銅像が建ってやっと一つの物語が完成したのかも知れません。
この柴又駅や柴又帝釈天の東側を、北から南にゆったりとした流れを見せているのが江戸川です。
そして江戸川の右岸、柴又帝釈天の北側に、大正15年(1926)8月に竣工したのが、当時の南葛飾・南足立・北豊島の3郡の12町村を給水区域とした金山浄水場です。原水は江戸川の表流水を導入していました。現在三角形のとんがり帽子の屋根を持つ第二取水塔とドーム型の丸帽子の屋根を持つ第三取水塔が江戸川の右岸に見る事が出来ます。
金町浄水場第二取水塔.jpg金町浄水場第三取水塔.jpg
(金町浄水場第二取水塔、とんがり帽子)(同じく下流側の第三取水塔、丸帽子)
そこから少し下流にに向かい、土手から河川敷に下りて行くと、昭和58年(1983)の第25回レコード大賞に輝いた、細川たかしさん歌う「矢切の渡し」が今も東京都葛飾区柴又と千葉県松戸市を渡し舟で結んでいます。
矢切の渡し歌碑.jpg矢切の渡し(松戸側).jpg
(矢切の渡しの柴又側に建つ歌碑)      (江戸川左岸、松戸側の桟橋)
nice!(0)  コメント(2) 

錦着山に建つ句碑 [石碑]

錦着山はその形が巾着に似て、春には桜やツツジの花が全山を錦に彩る所から、錦着山と呼ばれるようになったと言われています。以前は所在地の名をとって、箱森山などとも呼ばれていた様です。
1980年錦着山全景(バイパス歩道橋上より).jpg
(1980年に栃木環状線薗部町歩道橋上より、錦着山を撮影)
1980年ツツジの錦着山.jpg1980年錦着山ツツジのトンネル.jpg
これらのツツジの花に彩られる錦着山の写真は、私が1980年に撮影したものですが、此の頃はまだツツジの木も元気が有った様で、現在は少し花が少なくなった気がします。
2016年4月錦着山の桜.jpg
(2016年の桜の錦着山、西側の永野川堤から撮影したものです。)
錦着山の標高は80.5メートル、山頂に三等三角点が建てられています。
三等三角点錦着山1964年8月撮影.jpg
(1964年8月に撮影した錦着山上の三角点。現在も変わっていません)
山上に祀られている護国神社は、明治十二年に初代栃木県令の鍋島幹が、大参事藤川為親や小参事柳川安尚ら朝野の有志と図り建立したもので、当時は招魂社と言い、栃木及び下都賀郡内で、西南の役や日清・日露の戦役で没した勇士の霊が祀られ、その後は上海、満州、日支事変の戦没者の英霊も合祀されています。現在社殿の両側には「日露戦役忠魂碑」「支那事変大東亜戦争戦没者慰霊碑」など多くの慰霊碑が建てられています。
2013年7月護国神社(錦着山).jpg
(錦着山の山上に祀られている護国神社)
2013年7月護国神社2(錦着山).jpg2013年7月護国神社1(錦着山).jpg
(護国神社の社殿両側には、数多くの戦没者の慰霊碑が建てられています。)
他にも山上には多くの石碑が建てられていますが、風化が激しく碑文の判読が出来なくなっている碑や、又、篆額の文字が何と読んで良いのか判らない碑も多く有ります。
そんな石碑の中に、山の東側中腹辺り、坂道の脇に建つ少し小ぶりの自然石に文字を刻した1基について、今回確認をしました。
錦着山の句碑1.jpg
(錦着山の東面中腹に建つ句碑)
碑の表面には「俥から 所在見上げる 雲雀かな」の俳句が刻されています。
碑の右下部分にこの句を詠んだ俳人の号と思われる「耕圃」の文字を読む事が出来ます。又、碑陰にも何やら刻されておりますが、ハッキリ確認出来ません。ただ最後の部分に「昭和二十九年七月七日建之」の文字が確認出来ました。
錦着山の句碑2.jpg錦着山の句碑3.jpg
(碑面)                         (碑陰)
碑面に刻されている「耕圃」と言う俳人はどんな人なのか、調べてみました。
「目で見る栃木市史」の中に、郷土の俳人と言う資料が有りそこに、「おろす帆の 結句めて度き 田面かな  耕圃 (薗部 前橋定治)」の句が掲載されていました。
それでは、この「前橋定治」と言う人はどんな人物なのか。最近発行された「石崎常蔵著 栃木人」に「栃木倉庫銀行専務」として紹介されていました。
「明治三年(1870)8月、当時の薗部村に生まれ、栃木町収入役と成り、その後その職を辞して、明治38年から大正3年、栃木町最初の耕地整理事業を委員長として完成させ、百有余町の美田をつくり県南地方の農業を著しく進展させた」と記しています。その他にも、栃木倉庫銀行を栃木町萬町に開業し専務取締役に就任、また、明治40年9月郡会議員、大正6年には町会議員になり、地方政治活動に手腕を発揮しています。又同大正6年には栃木商業会議所副頭取、昭和4年(1929)4月顧問、また俳人(号、耕圃)等多方面に輝かしい経歴を持つ人物で有る事を知る事が出来ました。 
錦着山の路傍に建てられた小さな句碑から教わりました。

nice!(0)  コメント(0) 

今日の一枚(栃木市あそ雛まつり) [祭]

今年も早いものでもう3月に入りました。
今日の一枚は、栃木市の大通りに飾られているお雛様です。
暖かな春の陽射しに誘われた栃木の街を散策して、撮影をしました。
あそ雛まつり.jpg
nice!(0)  コメント(0)