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栃木城内町に建つ大正天皇野立記念の碑 [石碑]

これまで数回に渡って、栃木市内に残る天皇の御聖蹟に建てられた記念の石碑について書いて来ましたが、今回新たに一ヶ所確認出来ましたので紹介いたします。
今回の石碑は、栃木市城内町二丁目の愛宕神社境内に建てられていました。
城内町愛宕神社1.jpg城内町愛宕神社2.jpg
(小山街道、両毛線跨線橋東側の愛宕神社)

城内町二丁目の愛宕神社は、県道栃木・小山線を小山方面に走らせ、JR両毛線跨線橋の所で左側側道に入ると、直ぐその先道路左手に木々の茂る小丘が目に入って来ます。この小丘上に祀られているのが愛宕神社に成ります。そしてその道路際に目指す石碑が建てられています。
石碑正面.jpg碑陰.jpg
(大正7年陸軍特別大演習、11月18日栃木城内の御野立所記念碑)

石碑の正面には大きく「聖駕駐蹕記念碑」、その左脇に「陸軍大将松川敏胤謹書」と刻されています。
又、その碑陰には以下の碑文が刻されています。
     ≪ 今上講武于常毛之野閲兵于栃木之郊駐蹕于城内
       賜謁於將校實大正七年十一月十八日也栃木町民
       不堪欣躍建立記念之碑以傳              
       聖跡於無窮                        
       大正八年十月   栃 木 町 長  榊原經武謹撰
                    正五位勲三等日髙秩父謹書≫

この石碑がこの地に建てられた経緯は、田代善吉著の「栃木縣史・皇族・系図編」や「栃木市史資料編近現代Ⅰ」の第四節「天皇の行幸」に詳しく記されています。
大正7年11月13日より11月19日の7日間、栃木縣立栃木中學校(現、栃木高等学校)に大本営を置かれ、近衛師団を始め第一、第二、第八、第十三、第四、第十五の七個師団ならびに重砲兵第一旅団、交通兵団の一部を以て、栃木・茨城両県の広野に於いて陸軍特別大演習を実施。
11月13日の午後3時55分、御召列車は予定通りに栃木停車場に到着、御馬車にて行在所へ。翌14日は茨城県下館の演習地へ。15日は同じく新治の演習地、16日結城の演習地へと仰出された。11月17日は早朝より秋雨冷涼を冐して錦着山御野立所にて演習に臨み、次いて同午後1時栃木第二尋常高等小学校校庭にて参集した大演習参加将校等と御講評所に臨まれた。
翌18日は小山の閲兵式場に臨まれ式を終えた後、その場の最終地点に続く『栃木城内の地にて馬車より下りて、予め整列して迎え奉る在郷軍人将校に謁を賜い御少憩』されていますので、この事を末永く伝える為にこの地に記念碑を建てたのでした。
大正天皇は同18日午後2時30分、大本営から栃木町と大宮村の接続地に設けられた賜饌場に臨み、文武百官及外国武官吏員名望家等六千余人を召され、宴を共にされています。
そして翌11月19日、予定通り特別大演習の御統裁を終了され午前8時35分大本営を後にして御還幸されました。

こうして大正7年11月の陸軍特別大演習に関わった各所に、記念の塔や石碑が建立されたのでした。
改めて栃木市内の記念碑の場所を以下に記します。
  ①県立栃木高等学校構内    :「大本營記念」      大正9年11月建立
  ②錦着山山上            :「聖駕駐蹕記念塔」  大正8年10月建立
  ③市立栃木中央小学校校庭   :「聖駕駐蹕記念之碑」 大正8年10月建立
  ④城内町二丁目愛宕神社境内 :「聖駕駐蹕記念碑」   大正8年10月建立
  ⑤今泉町二丁目賜饌場跡    :「親臨賜宴之處」    大正8年 2月建立
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