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栃木市内、もう一つの清水川 [栃木市の河川と橋]

「清水川」とは、清く澄んだ水が流れる川で有れば、自然と呼ばれてくる名前である。
恐らく栃木市内でも、地元では「清水川」と呼ばれている川は結構有るのではないかと考えます。
このブログでも、4月と5月に2回に分け、「箱森町の清水川とその上流域」と、「柳橋町から湊町そして巴波川に落ちる清水川」を紹介しましたが、今回はもう一つの、栃木市内を流れる清水川流域を巡りたいと思います。
私がもう一つの清水川の存在を確認したのは、1993年5月23日子供達とサイクリングを兼ねて寺尾地区の橋巡りに行った時です。
尻内町に有った寺尾南小学校の南東部、国道293号に架かる小さな橋の親柱に「清水川」と記した銘板を見つけました。ちなみに橋の名前は「観音橋」と有りました。
清水川(尻内町).jpg
(国道293号に架かる小さな橋の親柱に「清水川」の文字が確認出来ます)
観音橋(清水川・尻内町).jpg
(東側の親柱には「観音橋」の銘板が付いています)

しかし、この清水川の河道を調べると、観音橋から下流は容易に確認出来ましたが、上流側についてはハッキリしませんでした。
国土地理院発行の地形図を発行年代ごとに表記されている川筋を上流に遡って行くと、幾つかのルートが見えてきましたが、「清水川」と表記するものは、一枚も有りません。「清水川」と表記がされているものはゼンリンの住宅地図だけで、それも観音橋の直ぐ上流部分に記されているだけで、その上流が何所なのかは判断できませんでした。

それが昨年ハッキリした回答が得られました。栃木市図書館に「寺尾地区地名の由来と自然災害」、サブタイトル「我が身と郷土を守るために」とあり防災士の栗原 栄さんが令和元年5月に非売品として発行された本を見つけたのです。
その本の中に、梅沢町を流れる清水川に関する記述が何カ所かありました。この本から得た情報を元に再度現地を巡って確認して来ました。

梅沢町を貫流する「清水川」の流れを、強引に簡略化した模式図に表してみました。実際はこの清水川流域を中心に行われた寺尾南部土地改良区による圃場整備が平成4年から平成12年の期間で実施された事で、田んぼは碁盤の目の如く整備され、水路も分散して直交する道路沿いを分流する様になっています。
それでもメインの流れは、宮下沢に流れ落ちるまでは確認出来ました。
分流した水路も最後は、愛宕神社が鎮座する舌状台地の先端部を回り込む水路に流れが集まって来て、国道293号に架かる「観音橋」の下を潜って、南西方向から流れてきた「内宿川」に合流、その先で永野川に戻っています。
梅沢町を貫流する清水川模式図2.jpg
(梅沢町を貫流する「清水川」の河道を模式図に描いてみました)
模式図の下側愛宕神社の右上から、斜め上に永野川まで破線で記した河道は、明治19年発行の迅速測図に記されていた河道の概略に成ります。

その本の、「梅沢町の小字の由来 1.立野(たての)」の説明の中に、<前略・・土地改良事業を導入するまで当地に湧水が2ヶ所存在していた。1ヶ所は清水川の源流で暗渠の最奥で渾々と湧いており、この湧水と永野川から取水された用水が合わさり、梅沢町「新町」、「木戸内」、「前田」を経て50haの水田を潤して尻内町「川入」で永野川に還流している。地元にとって貴重な水源であった。また、清水川源流の岩舟石で積まれた護岸工の下には「ハヤ」が潜んでおり、沢ガニもバケツ1杯も捕れるほど生息していた。>と、清水川の源流周辺の状況を記しています。
清水川源流付近の石垣.jpg
(模式図撮影点Aの写真、寺尾中学校の南東側、永野川の右岸脇に石積の護岸を確認)
撮影点Aから50メートル程脇を流れる永野川を遡った所に、堰が設けられ取水された水が先ほどの岩舟石の護岸付近で、合流しています。
梅沢大久保堰.jpg
(清水川に流す水を取水する、永野川に設けられた梅沢大久保堰)

梅雨の為増水した永野川から取水され、満々と水路を流れる水は、寺尾公民館と永野川との間の河道を南流、寺尾公民館の南側を西から東に流れ永野川に落ちる「梅沢」と交差することに成る。
寺尾公民館脇を流れる清水川1.jpg梅沢の下を潜る清水川.jpg
(寺尾公民館と永野川右岸の土手との間を南流して、梅沢の下を潜る清水川)

清水川の水はここで逆サイフォンの原理で梅沢の下を流れて、少し永野川の土手沿いを南流してから右方向に流れを変え、永野川から離れて行き、旧鍋山街道を抜け、住宅街の西側に出て南流しています。
D清水川上流域.jpg
(模式図撮影点D:旧鍋山街道沿いの住宅地を抜け西側の田畑と宅地の境を南流する清水川)

ここでチョッと寄り道を。
先ほど清水川の行く手を阻んだ「梅沢」について、参考にさせて貰った「寺尾地区地名の由来と自然災害」の本の中に、この「梅沢」について興味の有る説明がされていますので、抜粋して紹介させて頂きます。
<当地区を流れる「梅沢」は明治時代当初まで梅沢村と鍋山村の境界であった。河川名は一般的には流域名を付けた「坂の入沢」であるが、地元ではその呼び名は通用していない。当河川は洪水の時には一瞬のうちに水が流れるが直ぐに涸沢となるため地元では「キチゲガワ」と呼ばれていた。昭和初期には「深堀」、現在は「境堀」又は土木事務所名では「梅沢」である。>
ひとつの沢でも地元では色々な名前で呼ばれているものなんだと、教えられました。
C梅沢町靖国神社前を流れる梅沢.jpg
(模式図撮影点C:「梅沢」は中流域で「靖国神社」の前を流れています。今年3月31日、沢に水は無く涸沢状態でした)
B梅沢に架かる新宿橋.jpg
(模式図撮影点B:旧鍋山街道の梅沢郵便局脇の「梅沢」に架かる「新宿橋」です。撮影の時は丁度桜が満開でした。)

もう少し寄り道。
永野川の右岸土手に沿って流れてきた清水川が、右に曲がって土手から離れるところに古い水門が有ります。
永野川から離れる清水川.jpg錆びた水門開閉用ハンドル.jpg
(永野川右岸土手から離れて行く清水川と水門の開閉用ハンドル)

昭和52年9月30日発行の地形図には、西側の山並みと鍋山街道との間の水田地帯を一筋の青色の線が描かれています。この線が清水川の河道だと、例の本と突き合わせてハッキリしました。
その地形図には永野川の取水口に堰の記号が付いていますが、その位置は、この古い水門から100メートル程永野川を遡った、丁度現在の梅沢の落ち口辺りに成ります。現在の堰から260メートル程下流に当ります。
栗原さんの本には、かつてこの場所に有った堰の名は「おかえり堰」と記されています。何故その名前で呼ばれる様になったのかは、残念ながら記されていません。興味の有る所です。

大分寄り道をしてしまいました。清水川の流れに沿って下って行きましょう。
一度街道を抜けて西側の住宅街の裏手を回り込む様に流れた後、再び鍋山街道の道路の脇を流れて行きます。
E旧鍋山街道の脇を南流する清水川.jpg
(模式図撮影点E:鍋山街道の西側道沿いを南流する清水川)

この後清水川は梅沢ドライブインの北側で街道から離れて行きますが、ここに清水川の流れを分流させる水門が設けられ、ここから水路は二つの分けられて、梅沢ドライブインの裏手を南流していきます。
又、その水門の脇に「寺尾南部土地改良区」の「圃場整備事業竣工 記念碑」が建っていました。
分流水門.jpg圃場整備事業竣工記念碑.jpg
(梅沢ドライブイン北側の街道西側に見える分流水門と「寺尾南部土地改良区」記念碑)

碑陰の事業沿革.jpg
(記念碑の碑陰に刻まれた「事業沿革・事業概要」等)

梅沢ドライブインの南側に街道から西に抜ける脇道が伸びています。この道は西の山際に建つ「華藏寺」に突き当たります。この道路と清水川と交差する場所に架かる橋には高欄と親柱が有り、親柱を良く見ると右側に橋名、左側の親柱に竣工年月が刻されていました。
大門橋親柱左.jpg大門橋親柱右.jpg
(橋の親柱右側には「大門橋」、左側には「昭和九年十二月架設」と刻して有ります。写真奥山際に見える大きな屋根は華蔵寺の本堂屋根です。)

大門橋を潜った清水川は、橋の直ぐ下流部にて水路を交差させて流れを変えています。
F大門橋付近の清水川.jpg
(模式図の撮影点F:大門橋の直ぐ下流で、まるで高速道路のジャンクションの様な水路)

この後清水川の本流は、南流して西から東に流れる「宮下沢」に流れ落ちています。
G宮下沢に落ちる清水川の流れ.jpg
(模式図撮影点G:写真左奥から手前に流れる水路は「宮下沢」、手前右側の水路が清水川本流)

現在宮下沢は一直線に初音山に出来た「アゼリアヒルズカントリークラブ」への、鍋山街道からの取り付け道路の北側を流れていますが、このゴルフ場が建設される前は、地形図には描かれていない水路でした。
土地改良事業が始まる以前の宮下沢の流れは、星宮神社前から南東方向の、鍋山粉塵公害集団移転住宅地方向に流れ、90度転換して、三信砕石(株)社宅の近くで北西側から流れてきた清水川と合流し、そこから鍋山街道際まで流れ、清水内の「エネオス栃木梅沢SS」の前を暗渠となって流れ、愛宕神社の鎮座する舌状台地の先端を回り込んで、国道293号線に架かる「観音橋」へと流れて行きます。
H観音橋1(清水川・尻内町).jpg
(模式図の撮影点H:国道293号線に架かる「観音橋」、鉄パイ部のガードレールが追加されています。)
写真左端に愛宕神社の社標柱と奥に石の鳥居が写る)

この観音橋は、1963年3月に架けられましたが、交通量の増加に伴い1972年に拡幅工事が行われ、6.5メートルから9.25メートルに広げられました。

清水川はこの先で、南西方向から流れて来ている内宿川に合流して、その後すぐ永野川に戻って行きました。
これで梅沢町を貫流している「清水川」流域巡りを終了します。

今回の参考資料:「寺尾地区地名の由来と自然災害」栗原栄著
            国土地理院発行地形図25,000分1、「下野大柿」及び50,000分1、「栃木」
            ゼンリン住宅地図「栃木」


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