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元栃木町役場庁舎 [石碑]

10月も下旬となり日が暮れるのが早くなりました。この時期はウォーキングをするのには最高の季節で、歩き始めは少し寒いかなと感じながら歩いていると、直ぐに寒さから解放されてきます。夏の様にダラダラと汗をかく事も無く、1時間も歩くとすっかり体も温かくなります。
今日は、夕方5時半ごろから7時までいつものコースを歩いて来ました。8,113歩約5.4kmのウォーキングです。以前はこの時間帯に歩くと日が暮れてもまだ役所や商店は仕事をしている時間なので、コース途中に有る市役所別館も窓から煌々と光が漏れていました。
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しかし昨年市役所が新庁舎に移ってからは、別館はいつも真っ暗な状態になってしまいました。少し寂しく感じる事も有ります。
元県庁堀内の南東角地に建つ元栃木町役場の庁舎は大正10年(1921)11月に竣工した木造2階建ての洋風建築で、設計は町役場の技師堀井寅吉です。平成10年(1998)9月2日国登録有形文化財に成っています。昨年まで栃木市役所別館として活用されていました。
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正面玄関の車寄せ前に、銅板エッチングされた「栃木町役場庁舎設計図」が掲示されています。そこには設計者堀井寅吉の名前や、建築工事概要が記されています。経費総額94,847円14銭内訳として土地買上費、工事費、装飾費が出ています。
旧栃木町役場9.jpg元栃木町役場0.jpg
春には建物の北西側のコブシの木に白い花が咲きます。
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庁舎前から栃木市街地に通ずる道路が元県庁堀を渡たる場所に「御幸橋」が架かっています。
旧栃木町役場6.jpg
「御幸橋」の名前は、明治32年11月15日から18日、近衛師団の演習がここ栃木地方で行われた際に、元県庁敷地内に建てられた、第二中学校(現栃木高等学校)が明治天皇の行在所に成りました。又、大正7年11月13日から19日の間実施された、陸軍特別大演習に大正天皇が、同じく行在所(大本営)としました。
この時、栃木駅から行在所に向かわれた際に、この橋を渡られた事に由来するものと考えられます。
現在の橋は、昭和6年(1931)12月に架設されたものです。
御幸橋1.jpg御幸橋2.jpg
この御幸橋の西側に背の高い石碑が建てられています。
旧栃木町役場8.jpg
この石碑は昭和43年(1968)10月23日の明治百年を記念して建立されたものです。碑陰に「明治百年 栃木市」と刻まれています。石碑上部の篆額「温故知新」の文字は、当時の栃木市長金子益太郎が書かれたものです。
碑文は「史蹟橡木県庁址」と題して、同じく当時栃木市文化財保護委員長であった日向野徳久撰、栃木県立栃木高等学校教諭 池澤洸謹書に依ります。
温故知新の篆額.jpg碑陰明治百年.jpg
明治4年の廃藩からの栃木県の成り立ちと、明治17年宇都宮に県庁が遷されるまでの来由が記されています。
又、この石碑の後ろ側にもう一つ、大きな自然石による記念碑が建てられています。正面に大きく横書きで、「栃木県議会発祥の地」と刻まれています。碑陰にその来由が記されたプレートが付けられています。
旧栃木町役場7.jpg
≪明治12年4月14日、都賀郡薗部村(現栃木市)の栃木県庁敷地内遙拝所を仮議場として栃木県最初の県会が開かれた。前年の府県会規則にもとづき、同12年4月第1回の県会議員選挙が行われ、36名の議員が選出された。(後略)≫と記した後に、≪昭和54年11月1日 栃木県議会建立≫最後に、大町雅美撰・七海水明書と記されています。
旧栃木町役場3.jpg
明治の初めにこの地に栃木県庁が置かれた証として、県庁堀とその県庁堀から巴波川とを結ぶ漕渠が残されました。これは栃木市にとっていつまでも大切にしたい歴史遺産です。





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