藤岡町に建つ田中正造翁の銅像と霊祠 [栃木市の神社]
先日、太平山の田村律之助翁の胸像の事を書いた時に、栃木市内にどれほどの人が銅像建立という形で、その功績を顕彰されたのかと、思いめぐらした。 宗教的には歴史的に著名な僧侶が、栃木市内の寺院等に見る事が出来ます。慈覚大師円仁(岩舟町下津原高平寺別院誕生寺)そして高慶大師(城内町2丁目圓通寺)です。
藤岡町藤岡、新開橋北詰の藤岡文化会館駐車場入口付近に建つ、田中正造翁の銅像は立派な鬚を蓄え、羽織袴で直立し、杖を両の手で支え、はるか前方の谷中村をジッと見据えている。
像の高さは3.3m、大きな玉石を積み上げた台座を含めると7mにもなる。像の前に立って見上げると威圧感を感じる。作者は富山市小杉町の砂原放光氏で、昭和53年(1978)6月に藤岡町と田中会そして藤岡栃木ライオンズクラブによって建設されました。名盤の「田中正造翁」は足利市在住の島田宗三氏の筆跡。
脇に雨宮義人撰文になる、正造の生涯を記した碑も建てられています。
但し、田中正造自身は銅像建立については、強く否定をしていたと云われています。
同所、藤岡文化会館の裏手にある「藤岡歴史民俗資料館」には、田中正造翁の遺品も多く展示されています。
銅像の前を流れる渡良瀬川左岸を約1km程遡ると、道路の右手田圃の先、大きな木立の中に神社の社殿らしき建物が見えてきます。ここが田中正造翁の遺骨の一部とカツ子夫人を祀った「田中霊祠」です。
入口に説明板が建てられていました。境内には秋の深まった今、落ち葉が引きつめられ、参道脇のモミジが赤く色付いています。
藤岡町藤岡、新開橋北詰の藤岡文化会館駐車場入口付近に建つ、田中正造翁の銅像は立派な鬚を蓄え、羽織袴で直立し、杖を両の手で支え、はるか前方の谷中村をジッと見据えている。
像の高さは3.3m、大きな玉石を積み上げた台座を含めると7mにもなる。像の前に立って見上げると威圧感を感じる。作者は富山市小杉町の砂原放光氏で、昭和53年(1978)6月に藤岡町と田中会そして藤岡栃木ライオンズクラブによって建設されました。名盤の「田中正造翁」は足利市在住の島田宗三氏の筆跡。
脇に雨宮義人撰文になる、正造の生涯を記した碑も建てられています。
但し、田中正造自身は銅像建立については、強く否定をしていたと云われています。
同所、藤岡文化会館の裏手にある「藤岡歴史民俗資料館」には、田中正造翁の遺品も多く展示されています。
銅像の前を流れる渡良瀬川左岸を約1km程遡ると、道路の右手田圃の先、大きな木立の中に神社の社殿らしき建物が見えてきます。ここが田中正造翁の遺骨の一部とカツ子夫人を祀った「田中霊祠」です。
入口に説明板が建てられていました。境内には秋の深まった今、落ち葉が引きつめられ、参道脇のモミジが赤く色付いています。
2015-11-21 23:16
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0